
----死のうと思っていた。ことしの四月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物
の布地は麻であった。鼠色の細かい縞目が織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。
夏まで生きていようと思った。(太宰治「晩年」より)
あらかじめいっておきますが、イーダちゃんは太宰治さんの支持者ではありません。
どちらかというとその逆の、批判者のほうに組する者ですね。若いころの三島由紀夫が直接太宰さんに会ったときにいった「僕は、太宰さんの文学が嫌いなんです」という、これとまるきりおんなじセリフを、いつでも彼にむかって投げつける用意があります。
個人的にいわせてもらうなら、まず、彼の死にかたが厭ですね。
ぐでんぐでんに酔ったあげく、太宰さんは自らの恋人であり弟子でもある「すたこらサッちゃん」と共に玉川上水に飛びこんだのですが、あれは、正確にいうなら、情死なんかじゃなくて「酔っぱらい死に」だと思うな。単なるアルコールまみれの衝動自殺を、いささか文学的に美化しすぎちゃってるんじゃないですかね。もっとも、死者に鞭打つつもりは毛頭ないんですが。
文学的にみても、太宰さんは、川端康成や坂口安吾の足元にも及ばないと感じます。
稀有の才能は、むろん認めますし、ある意味、たしかに天才だったろうとも思ってる。しかし、なんというか、川端さんや安吾なんかにくらべると、格下の小物濃度がだいぶ高いですよ、太宰さんっていうひとは。
人間世界のあらゆる約束事を嘲笑うような、なんとも無慈悲な、川端風死者のまなざしも、吹きっさらしの縄文平野みたいにどこまでもだだっぴろい安吾的な風通しのよさも、太宰文学のなかにはありません。
このひとの精髄は、僕は、人情伽なんだと思う。
飛びぬけた材料(素質?)だけで勝負するんじゃなくて、身近なありあわせのゴシップを組みあわせて、それの料理法---語り口の妙で聴かせるテクニシャン・タイプとでもいいますか。
要するにいいまわしですよね。声色。あと、呼吸。一瞬のひらめきとタメとにすべてを賭けてるわけですよ。
冒頭にあげた「晩年」の1節なんかにも彼流の美学は爆発しまくっていて、その末尾の「決め」具合についいちゃあ脱帽するよりないため息モンの見事さなんですが、太宰さんってこういうブレイクのあとに、なぜだか自分の「技」の効果をたしかめるように、やや下方向からちらり目線で相手の顔色をうかがうくせがちょっとあるじゃないですか。
この顔色うかがいの残心というか、媚びというか、一種歌舞伎めいた「しな」といったものが、僕は、どうしても嫌ですねえ。好きになれない。
ただし、人気だけは、彼、いまもすさまじいんですよ。
川端びいきの僕としてはあまり認めたくないのですが、もしかしたら、川端さんと安吾をあわせたよりあるかもしれません。
ただ、今回ここで僕が展開しようと思ってるのは、文学論じゃなくて彼の「占い」なんですよね。
西洋占星術の立場から太宰さんの星を読んだ場合、どうなるか?
だもんで、まず、彼のネイタル・チャートからいきませう。

これが、太宰さんの出世図---いわゆるネイタル・チャート(海図)というやつです。
これによると太宰さんの太陽は双子座の21度に位置---これは、いわゆる双子座生まれというやつです。作家さん関連にはかなり多い太陽配置です。意味は、クールで多弁、機敏にして移り気。んでもって、ちょい薄情。
感情の表示体である月は、藝術の表示体である蟹座にIN。感覚的な鋭さ、繊細さを先験的に物語ってるような感じ。
あと、重要な、感受点としてのASC---アセンダント(生まれた瞬間の地平線位置)---は、なんと、蠍座だよ、このひと!
なーるほど、太陽位置が物語るこのひとの本質は、どちらかといえば乾いた感じの、「風」星座の双子座なのに、作風がどうにも水っぽく、情の濃ゆい印象がしてた理由がここで飲みこめましたねえ。
このひと、太陽は「風」だけど、月も、アセンダントも、どちらも「水」星座なんですよ、実は。
これは、情、濃ゆいに決まってますよ。もう、どろっどろ、といってもいい。
このひとの本質はいまさっき述べたような、非常にクールな双子の中性知性なんですが、それが、このもって生まれた情の濃さ、血の熱さみたいな要素にぐいぐい引きずられ、一種の情のどんづまりの土壇場みたいな場所にいつも追いこまれちゃう、みたいな暗示が、もしかしたら、この星の配置から読めるのかもしれない。
ま、あんま先走りはイカンのですが---ま、ちょっとここまでの要点をまとめておきますか。
1)太宰さんは双子座生まれの「風」のひと。
本質はクールで機知の塊、頭の回転むっちゃ速く、嫌味なほど器用。
けれども、月は蟹---アセンダントは蠍座後半。
と、どちらも「水」サインなので、「情」の濃さに引きずられる縁多し、としておきますか。
2)あ。あと、これは10惑星の配置図なんですが---チャートの右下にかたまってる数列表のこと---これによると太宰さん、
活動宮5、不動宮0、柔軟宮5
の配置です。不動宮の0ってのが、やはりポイントですね、これは。
不動宮は現実世界と当人との結びつきを示唆する場所ですから、それが0ということは、これは、現実性の全くない、霞のような人生?
活動宮に5つも星がいるから、行動力はかなりあります。
そういえばこのひと、若いころ共産党の活動とかもやってたんでしたっけね?
あと、柔軟宮に星5つだから、感受性豊か---迷ったりくよくよ悩んだり。
ただ、中間部にあるべき不動宮に在籍の星が0なんで、その活動と煩悶とのあいだに、憩える畳の部屋がどこにもない、といった感じでせうか。
これは、ちょっと苦しいかも。
ニンゲン、やはり、どっかに寝転べる憩いの空間がなくては。
しかし、太宰さんには、それ、ないですね。強い活動と煩悶とのあいだを行ったり来たりのくりかえしばっかりで、その中間がない…。
前読みはまあこんなところでせうか。
では、1)の要素を敷衍していきませう---今度は、ほかの星の読みも絡ませて。
僕はさきほど、太宰さんの太陽は双子座の21度にいる、としかいわなかったのですが、この21度っていうのは、実はサインのなかでも非常に双子的要素が強く出る、クリティカルな位置なんですよ。
さらに太宰さんのこの太陽、おなじ双子座のなかの冥王星と合の座相をつくってる。
ほんの4度ちがいの、これは、かなり強めのコンジャンクションです。冥王星は、自分と組んだ相手の星の性質を極限まで引きだす魔導士的存在です。
これだけでも滅茶苦茶に強い配置なのに、太宰さんの場合、さらにさらに逆行の水星がこの2星に合で絡んできてるんですね。
つまり、
3)双子座のサイン内で、「太陽-水星-冥王星」の3星が、かたーく結びついてるわけ。
太陽-冥王星の配置は、己の意志を超えた、冥王星の強烈な運命力、とも読めますね。
動きだしたら、とことん行っちゃう。どうにも止まらない暴走機関車が自分のなかに常にあるわけ。
カタストロフィ的な暗示、強力な意志力で自分ごと滅んじゃう、みたいなも傾向もちょいとある。
水星-冥王星のラインは、これは、極端な知性であり機敏さ---冴えまくり---自分自身を傷つけるほどの分析力、とかね。
これだけ星が鋭すぎる配置だとはなはだ生きにくそうなものなんだけど、太宰さんの場合、職業が作家さんでしたから、これらの運命的なハンデをむしろ文学上の武器として、いろいろと活用できたんじゃないでせうかねえ。
くるくる廻るアタマと弁舌---。
心が痛めば痛むほど冴えわたる筆---。
愚痴っぽい負け惜しみを吐きだしたつもりなのに、それすら作品を飾る見事な背景の暗雲になっちゃう、みたいなね…。
さらに、太宰さん、太陽-水星のコンバストまであるんだから。
これは、客観的な作品のまえに大きく「わたし」が競りでてくる、私小説的な作風の暗示でもあります。
ねえ、これなんか太宰さんの芸風を、ズバリいいあててる感じじゃないですか---。
4)あとは8室ですかね、特徴的なのは。
太宰さんは、ここの8室に「月-金星-海王星」3星の合連合をもってらっしゃる。
蟹座は、別名「藝術の宮」と呼ばれているくらい、感覚においてひいでたエリアです。
器用で、繊細で、心配りが細かくて、情に厚くて、優しく、そうして、ちょっと食いしんぼ---。
太宰さんの伝記とか読むと、書かれているお人柄は、ほぼこのままじゃないですか。実際、太宰さんは食べるのが好きで、かなりの量をぺろりと平らげて平気だったようですから、この一致はちょっとおかしいかも。
しかし、まあこれは、藝術家として理想的な月であり金星の配置だと思いますよ。
強いていうなら、感受性の傾向として、表面的にきれいなものに魅きつれられがちないささかの軽薄さも読めるけど、この月-金星のコンビは双方海王星とも組んでるわけだから、無限の想像力が次から次へと湧いてくる才能を物語ってもいるんです。
IC脇の火星との120度も絡ませて考えたら、このひと、血沸き肉躍る、南洋一みたいな「大冒険小説」なんて書いてもきっとうまかったでせうね。そっち系の素質もすごくあるもん。ひょっとして、ハリー・ポッタークラスのものくらい、案外ひょひょいとひねりだしちゃったかもしれませんよ。
あの跳ねるみたいな筆先で、いとも軽々とね。
そう考えると、すごい惜しいですよ。
僕は、太宰さんの冒険小説は、彼の純文学以上に、個人的に非常に読みたいですもん。
そういう意味で、やはり、自殺はいけません---「ほんとにあった怖い話」の霊能者・寺尾玲子さんも、その友人の視っちゃんも口をそろえていってます、汝、自殺することなかれって。
5)ホロスコープの天頂にいちばん高くエレベートしてるのは、幸運の星・木星です。素晴らしい!
これ以上はないってくらいの、これは、サイコーの仕事運ですね。頂点を極める運です。
実際、太宰さんの場合、そうなりましたもんね---日本国がつづくかぎり、彼の文名はたぶん不滅でせう。
中学生のとき、学校帰りの故郷の橋から川をながめつつ、
----えらくなれるかしら?
と問うともなく問うていた太宰少年---いや、当時はまだ津島少年でしたっけ?---の願いは、そうした意味で見事にかなったというわけです。
このようなのちの世の彼の名声を、当時の津島少年に耳打ちしてやれたらなあ、とイーダちゃんはSF風に夢想してみます。
そしたら、津島少年どうしたでせうねえ?
わーっ、と声をあげて晴れた八甲田山にむけて走りだしたでせうか?
それとも、純情そうにほほを赤らめて、やや下にうつ向きながら、くすりと笑ったでせうか?
あとのほうがありそうですけど、さあ、どうでせうねえ---。
6)それから、このMC近くの木星がいる場所、あくまで乙女ですから、潔癖で、傷つきやすい、繊細な仕事ぶりで世に知られるようになる、みたいな外側からの読みも可能です。
だとすると、これ、なかなかあたってません?---太宰さんの世界って根本が乙女チックですもん。
実際の乙女ってけっこう傍目よりたくましくて図太いものなんですが、抽出された、理想化された純粋培養の乙女チックっていうか、そのようなふしぎな芸風をもっていたひとだった、と思います。
7)あとは、まあ、2、3点---異常なシチエーションの恋愛を好む性癖、たしかにありますねえ。
心中好き、情死好き、なんていうと不謹慎なんですけど、このひと、絶望とか苦悩とかいうのはむろんあったんでせうけど、それ以前に、単に趣味として「情死好き」「心中好き」だった、といった危ない傾向、ちょっとありそうですよ。
8)さらにいえば、ニンゲンとしての、先天的な「可愛げ」にも恵まれていたひとっぽいですね。
ずいぶん可愛いひとだったと思われます。誰彼かまわず借金しまくっていっぱしの無頼派を気取ってみたり、困ったちゃんの要素もそうとうにあったと思うけど、たいていのことなら「仕方ねえなあ、あいつは」で許されちゃうような、甘い、ふしぎな坊っちゃん的人徳をもってたひとのように読めますね…。
まだまだいけそうですが、占星術の予備知識のないひとには、これ、そうとう読むのきついと思います。
度数論とかHNとかの話もちょっとしたかったのですが、それやってたら、これ、それこそ本になっちゃいますから。
というわけで今夜はここまでに収めておきたいと思います。長々とすみませんでした。
最後まで読んでくれてありがとう---そして、グッドナイト---アルファ・ケンタウリより、よろめき占い師のイーダちゃんでした。(^o-)V
蟹座と魚座ライン、魚座火星と蟹の団子。
水だわ。
流れて浸かって、漂って~
酒、色恋、入水・・・
沖に上がって体を乾かして欲しいです(笑)
火の星座が弱くて、ぐだぐだ男子かなぁ
えらそうな事言ってすいませんでした!!
そうだ、いわれてみれば魚座ってアルコールの表示体でもあったんですよね。それ、すっかり忘れてました…。
いずれにしても、あまりに水棲生物にすぎる、というご指摘、僕も、まったく賛成です。
陸にあがって身体を乾かすべきなんでしょう。でも、やっぱり、本質的に「濡れ場」が好きで、どうにもならなかったのかなあ?
考えるとキリないですね。運命のふしぎさってやつを感じます。(^.^;>
固定がなく柔軟も多めなんですね。ふりまわされている感じもそのまんま。ううむ、面白い。
ねえ、坂口安吾とか宮沢賢治のチャートもそのうちやりたいと思ってるんですが、いかんせん出生時間が…。
出生時の分かる文豪がいたら、どうぞご教授ください(^.^;>