イーダちゃんの「晴れときどき瞑想」♪

美味しい人生、というのが目標。毎日を豊かにする音楽、温泉、本なぞについて、徒然なるままに語っていきたいですねえ(^^;>

徒然その131☆<死にざま>3様!☆

2013-03-07 02:13:22 | ☆文学? はあ、何だって?☆
                              


 開口一番に<死にざま>なんていうといかにも不謹慎なんだけど、僕は、<死にざま>っていうのは、そのひとのいちばんそのひとらしい人生の切り口---表現をかえるなら、もっとも鮮やかな「生」の姿の鏡なのでないか、な-んて風に常々思っているニンゲンなんです。
 ひょっとすると一種のマニアなのかもしれない。
 アタマのなかでは有名人・無名人を問わず、いろんなひとのさまざな死にかたのパターンが、朝から晩までルーレットみたいに常にくるくるとまわっていて、なにかのきっかけでその膨大なストックの一角が「PON!」と意識の表層に出てくるの。
 たとえば---いま、こめかみあたりに人差し指をあてて、「PON!」ときたのは、うーんと、なぜだかモンローですね。
 1962年の8月、シングルルームで死亡しているところを発見された、あの銀幕の大スター、マリリン・モンロー、ほとんどアメリカという国家のセックスシンボルだったといってもいくらいの存在だった唯一無二の大女優モンロー---彼女独自のあの淋しげな、おずおずしたとまなざしを何気に連想させるような、愛に飢え、愛に媚びつつ果てた、不安で孤独な、たったひとりの全裸の<死にざま>---。


    

 まずは、全盛期の彼女とデスマスクの彼女の上記フォトを見くらべて、願わくば、ちょっとばかし瞠目してください。
 僕は、この写真を見くらべるたびに、胸のあたりがしんと淋しくなってくる。
 生きてるってなんだろう?
 死んじゃうってどういうことだろう?
 生きているモンローのキュートな笑顔も、死んだモンローの冷たい無表情も、どちらも凄い説得力をもって、写真を見るひとに「何か」を訴えかけてきます。
 けど、モンローの場合は、調べていくと、これ、なんか暗殺っぽいんですよね。
 時は激動の1962年---反体制派の雄ケネデイ大統領暗殺を画策して、20世紀のアメリカに翌年クーデターを撒き起こそうとしていた軍産複合体とユダヤの金融勢力とが、ケネディ大統領暗殺の動機に絡んでいる証人を次々と粛清しはじめていた、まさに「そのとき」のことでした。
 ケネディの愛人だったモンローも、きっとその毒牙にかかっちゃったんですねえ。
 あと、これはフェイク情報かもしれないけど、モンローは、ケネディ大統領にプライヴェートでロズウェルで発見された宇宙人を見せられていて---ケネディは近々そのロズウェル情報を公開する手筈だったという情報もあります---「それ」の口封じのために殺された、なんて風に一部ではいわれています。
 一説によると、全裸にされて肛門から毒入りの座薬を挿入されたとか…。
 かわいそうなモンロー!
 大統領の愛人という本来なら超セレブなステータスが、時代とツキとの匙加減で、一気に逆側のマイナス・ポイントに傾いじゃったんですねえ。
 ねえ、あるんだ、こんなこと…。
 モンローは、愛に飢えた、淋しがりの、平凡な女でした。
 孤児じゃなかったんですけど、様々な事情から孤児院に入れられて、あまり親切でない里親のもとをたらい回しにされて育ちました。ある里親のところでは、性的虐待、ネグロイドみたいな扱いを受けて、相当辛い思いもしたようです。
 ただ、彼女、目鼻立ちの整った、非常に美しい美貌に恵まれていて、そのせいで若いころはモデルやったり、脱いだり、男関係でもいろいろあったみたい。
 でもね、モンロー、かわいそうなんですよ。

----あたしの愛した男たちは、みんなあたしを捨てる…。

 なーんて唇の端が引きつれそうな、チクリと痛い名言を残してる。
 で、その美貌と、天性の愛くるしさで一気にハリウッドのトップスターまで昇りつめて、ベースボールの大スター、ジョー・ディマジオとの結婚、大統領とのロマンスなど米国最頂の栄華を極めるんですけど、なぜか最期には、たったひとり、ベッドのなかで裸で亡くなってしまうんですね…。
 この光と影との落差の凄さ---モンローの場合は、特にそれが顕著であるように思います。
 そういうわけで、マリリン・モンローの死は、僕にとって非常に印象的な、忘れがたいものとなっているんです。
 これが、イーダちゃんが今日セレクトする<死にざま>のひとつめ---ふたつめを続いて述べませう---僕にとってカツーンとくる<死にざま>のふたつめ、それは……

 米国、モダンジャズ華やかりしころの稀代の黒人トランペッター---リー・モーガンですね。
 ページ冒頭にUPしたフォトをまず御覧になってください。いい男でしょ?
 実際、彼はとてもいいオトコでした。あの天才トランペッター、クリフォード・ブラウンの再来と呼ばれ、50年代の後半に颯爽とデヴュー。才能はもう折り紙つきでした。
 僕は、初めて彼を聴いたのは、アート・ブレイキー率いるジャズメッセンジャーズとの共演盤だったと思うんだけど、あの、夜空の彼方までまっすぐに伸びていくような、彼のしなやかに疾走する叙情性にはひたすら魅了されたもんなあ。
 ええ、リー・モーガンは、たしかに天才でした。
 僕は、<色気>があれほど明確な形をとった音楽って、いまだに聴いたことがない。
 そう、世界最高度のレベルにまで洗練された、<色気>の純粋な精髄が、そこにありました。
 そんな自信たっぷりの音楽を舞台で世界に向けて発信できるほどの男です。当然、私生活も華やかで、酒好きでやんちゃで遊び人、恋人も超・いっぱいいたようです。人生の頂点に駆けあがっていくとちゅうだった青春まっ盛りのリー・モーガンは、そんな自分をずいぶん誇らしく思ってました。矯正する気なんかさらさらなかったでせう。
 ところが1972年の2月19日---そんな自信家のモーガンを悲劇が襲います。
 ジャズクラブ「スラッグス」で演奏中の彼に、突然現れた愛人のヘレン・モアが、いきなり拳銃を発射したのです!
 彼女は、ほとんど錯乱状態でした。浮気を攻める激しい文句を叫びながら、手にしたガンを連発したと聴いています。
 至近距離からの拳銃弾はモーガンの身体を射抜き、彼はそのままフロアに崩れ落ち、翌朝の2時45分に死亡が確認されました。享年33才。
 こういうと、ただのチンピラ・ミュージシャンの死って感じなんだけど、僕は、彼の死もモンローの死と同様、なぜだか忘れられないんです。
 モンローの死ほどの淋しさは感じないんだけど、彼の<死にざま>には、彼女のそれと匹敵するほどの、あたかも勢いのいい彗星の王子が夜空からぎゅーんと墜落していくような、目をしばたくほど眩しい光芒が見える気がします…。


                          

 で、3番目の<死にざま>としてイーダちゃんがセレクトするのは、ぐーんと時代が遡って、なぜだか古代ギリシアのアルキメデスなんですよ。
 僕みたいな後世の第三者が自分の<死にざま>が好きなんていっているのを、仮に彼が聴けたら怒るかもしれない。

----ひとの死にざまに優劣や好みをつけるなんて貴様は何様のつもりだ? え? 神にでもなったつもりか?

 でもね、これっばかしは偽れない、僕は、アルキメデスの<死にざま>は、むかしっから超・大好きなんスよ。
 アルキメデスは、いわずと知れた、歴史に残る大数学者。
 なかでもシラクサのヒエロン王に王冠の金と銀の比重を調べるようにいわれたとき、浴場で浴槽に入ったときに自分の身体と同比重のお湯が溢れるのを見て、金と銀の比重の見分けかた、いわゆる「アルキメデスの原理」を思いつき、嬉しさのあまり「ヘウレーカ、ヘウレーカ!」とはしゃぎまわって、裸のままで踊るように家まで帰ってしまった、というエピソードは現代でも有名です。
 こうして書きだしてるだけでも、この逸話には心をゆさぶられるものを感じます。
 いいなあ(トため息して)、この種の無垢は、僕は、大好きだなあ。
 しかし、彼は、この原理の発見以外にも、流体静力学、起重機、アルキメデス・ポンプの発明、さらには第2次ポエニ戰爭のときには、梃子の原理を応用した巨大投石器なども発明していて、敵勢力をさんざん困らせたりもしています。
 これは、ただ者じゃない、そーとーに有能なひとだったようですねえ。
 しかし、B.C212年、シラクサはローマ軍に包囲されます。
 アルキメデスはその夕、砂地に円を書いて、自身の数学について考えごとをしていると、そこに若いローマ兵がやってきました。彼は、アルキメデスがローマでも有名な大数学者だなんて知らない。ただの汚い老人と思い、アルキメデスが砂地に書いていた円を槍先でくしゃくしゃにしちゃう。
 そしたら、そこでアルキメデス、

----ワシの図を攪乱するな!

 と烈火のごとく怒ったっていうんです。
 で、その若いローマ兵は、そんなアルキメデスをあっさり刺し殺しちゃう…。

 アルキメデスは、享年75才ぐらいだったということです。
 彼にしても、人並に生存欲とかはあったはずです。大学者とはいえ、色も欲もある、あたりまえの人間だったんですから。
 けれども、研究に夢中になっているときには、そのような俗世の損得勘定は、彼、翔んじゃってたんですね---遠いむかし、公衆浴場で「アルキメデスの原理」を発見した、あの歓喜のときのように。
 その無骨な無垢と童心に、イーダちゃんは、いまもじんじん痺れます。
 うーん、これは、前のめりの、いい<死にざま>だなあって。
 いつか訪れるだろう自分のエピローグ時にも、できれば僕もアルキメデスのように骨っぱくありたいなあ、と何気に思ったりもします…。


                                

 うーむ、ちょっとしんみりしてきちゃいましたねえ。
 ラストに仏蘭西のあの問題作家セリーヌの小説の一節をちょこっと引用して、それを締めの結びめに、この記事を閉じたいと思うんですけど、どうでせう?

----運河の飲み屋は夜明け前に店を開くならわしだった、船頭たちのためだ。夜の終りに水門がゆっくりと開き始める。それから見渡す限りの風景が息づき働き始める。岸がゆっくりと流れから離れ、水を挟んで両側でだんだん高くなってゆく。仕事が闇ん中から浮び上がってくる。あらゆるものが見え始める。はっきり、固く。ここには捲揚機の囲いが、そうして遠くの道には向うの方から人間たちがもどって来る。まずは日の出をくぐって顔いっぱいに陽光を浴びる。みんなそのまま通り過ぎてく。青白い素朴な顔が見えるだけだ、あとはまだ夜ん中だ。彼らもいつかはやっぱり死ななきゃならないんだ。どんなふうに死ぬんだろう…?
                                                          (ルイ・フェルディナン・セリーヌ「夜の果ての旅」より)

 夜もようよう更けました。今夜はこれで終いといたします。お休みなさい---。

                                                                      ---fin.
                         

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