少々古い話で恐縮ですが、2008年の11月24日から29日にかけて、イーダちゃんは、熊野の地の探索に赴いておりました。
第一の目的は、ま、温泉ね。
熊野には、日本最古の、世界遺産にまでなった、あの湯の峰温泉の「つぼ湯」がありますから。
ほかにも「川湯温泉」とか「渡瀬温泉」とか、特A級の名湯はいっぱいある。
温泉フリークであるイーダちゃんにしてみれば、これは、願ってもみない土地柄であります。
ただ、この旅には、実は、それ以外の第二の目的というのもあったのです。
それは、パワースポットの探訪というもの---。
熊野というのは、古来より、ひとが生活を営む平地とは区別された「黄泉の国」として見なされていた、いわば特別な土地だったのです。
ここの山々を越え、徒歩ではるばると巡礼すれば、心身にたまった垢が落とされ、それまでの罪業も負のカルマも綺麗に洗われ、罪人も病人も宿願の「再生」を果たすことができる、と代々信じられてきたのです。
そーんな有難い土地は、残念ながら野蛮な東の国(注:イーダちゃんはその関東人です)には、いまだありませんや。
いろんな歴史書や文芸書、あるいはオカルト文献なんかで、そっち系の知識をしこたま仕入れるのに余念のなかったイーダちゃんにとって、そんな熊野は、まさに憧れの大地であったのです。
ですから、このときの熊野行は、自分的に凄く盛りあがりましたねえ!
さて、このときの熊野行にあたって、僕がまず頭をひねったのは、滞在場所の確定でした。
有名な場所だから、金さえ払えばいくらでもいい部屋には泊まれます。
でも、せっかくの熊野古道巡礼の旅を、あまりにも俗世的な快適欲で汚しちゃうのもどうも気がひける。
というようなわけで、イーダちゃんが最終的にセレクトしたのは、あの熊野神宮の宿坊だったのであります。
ええ、あの熊野神宮の敷地内には、宿坊があったのです。
その名も「瑞鳳殿(ずいほうでん)」!---なんと、有難くも気高い御名ではないですか。
一泊の料金、3000円。しかも、駐車場代まで無料とくる。
こりゃあ経済的じゃないですか。おまけに古道を歩くひとのために、巡礼用の杖まで貸しだしてくれるらしい。
巡礼の旅人のための至れりつくせりの気遣いに満ちている、この博愛的なシステムを利用しないテはありません。
で、イーダちゃんは、こちら、熊野神宮の宿坊「瑞鳳殿」さんに3泊することを決めたのでした。
そうして、2008月11月25日の夕遅く、白浜温泉と湯の峰温泉の「つぼ湯」を経由してきたイーダちゃんが、愛車でようやくこちらの「瑞鳳殿」さんにたどりつくと、うわ、思っていたよりずいぶん立派なところではないですか。
木製の二階建ての、体育館みたいな造りの、古い建物です。
でも、重い荷物の詰まったリュックをクルマから運びだした僕が、なにより先に感じたのは、建物に刻みこまれた歳月の重みというよりは、建物全体を含むこの土地全体に充満している「気」の厳しさのほうでした。
ええ、クルマの密室空間から冷たい外気の外にでた途端、襟元がゾクリとしたもん。
那須の北温泉の駐車場にきたときの空気と、ちょい似てる。
そう、那須のあそこらへんも、いわゆる修験道の土地でしたから。
ただ、こちらの場合、その厳しさの「度合い」が、それよりもややキツイ気がする。地霊というか、そういった厳粛な気配がビンビンするの。
やはり、これは、神社の敷地内に建物が位置しているせいでせうか?
ずーっとむかし、神代の時代には、神とひととは土地を住み分けて住んでいた、という話を聴いたことがあります。神社の敷地というのは、つまりは「神側」の土地、本来ならひとの住めない特別な神粋なのであって、むりにそこに住もうとしたら「障り」がある---ということは、ほん怖の「魔百合のショックレポート」を読んで学んではいましたが、本で読むのと実際に肌で体験するのとでは大ちがいです。
ましてや、いま僕がここにこうしている神社は、ただの神社じゃない。
あの「八咫烏」が創設したという、天下の熊野神宮なんですから。
これほど濃密な気配に満ちているというのも、それは、ある意味当然かもしれない。
----しっかし、くる…うん、ここ、くるよなー……。
とボヤキつつ、案内されただだっぴろい部屋内に荷物を広げはじめます。
でもね、寝ながらビール飲みつつ読もうと思っていたお色気雑誌とかは、どうしてもリュックから取りだせなかった。
おっかないんです。やりづらいんです。そんなことしたら、どっかの誰かにいまにも怒鳴られそうな気配がするんです。
非常に厳しい視線に注視され、監視されているような、ふしぎな感覚---。
この皮膚感覚は、僕がこの宿坊にいるあいだじゅう、ずーっとありましたね。
だもんで、僕は、自分の精神世界内も清潔にするよう心がけないわけにいかなくて、Hなこともなるたけ考えないようにしてた。
おかげで「瑞鳳殿」にいるあいだの僕の精神世界は、坊主のごとく清潔だったのです…。(^.^;>
ただ、この夜の「瑞鳳殿」には、宿泊客は僕ひとりきりしかおらず、一応麩で部屋分けこそされているものの、本来は大広間の宿坊ですからね---麩をちょいとあけると、まっ暗闇の畳のスペースが延々と見えて---しかも、いまいったような峻厳とした「気」の満ちた気配でしょ?---このような部屋でじっとしてるのは、いささか怖くもありました。
だもんで、暇にまかせて、僕は、「瑞鳳殿」の探検としゃれこんでみたのであります。
でも、そーっとね---なぜなら、1Fは宿坊だけど、2Fはここ、宿坊勤めの坊さんが眠っているから---なるたけそーっと「瑞鳳殿」の1Fを探索したイーダちゃんが見た光景は、以下の通りです。
おーっ! と、ここで、格闘技に興味のある方は、のけぞらなくっちゃいけません。
僕ものけぞりました。
だって、なんだってここに、あの植芝盛平先生のポスターがあるのよ---?
(注:植芝盛平翁というのは、日本の合気道の草分け的存在。メチャメチャに強かった御仁。軍の兵隊と決闘してピストルの弾丸をよけたエピソードとかが目白押しの超巨星。あの「神業」塩田剛三氏の師匠でもあったひと)
しかも、どう見ても道場みたいな、この畳の間はなーに?
あとで判明したところによると、合気道の1年に1度の伝統のイベントは、ここ、熊野で必ず行われることになっているのだとか。
しかも、僕のこの旅のメインの目的である「大斎原」で、それは通常行われる、というのです。
そうとわかったとき、イーダちゃんは思わず膝を叩いちゃった。
さっすが合気道、自然の「気」のパワーってのをちゃんと分かってるんだなあ、と嬉しかったですねえ。
そうして、翌日の早朝訪れた「大斎原(おおゆのはら)」が、こちらです。
まず、ページ冒頭の上のフォトを見てほしいなあ。
あの、どう思います、これ?
僕は、なんというか、この「大斎原」というのは、いままで訪れた夥しいパワスポ系の場所のうち、もっとも好きな場所のひとつなんです。
だって、ここ、凄いんですモン---まず、ニッポン一の大鳥居ってのが凄い。
この鳥居、上の部分に3本足の八咫烏の紋章が刻んであってね---下からそれを見上げたときの威容は、なんともたまんないものがある。
それからねえ---なんと、この「大斎原」には、神社の社殿もなーんもないんです。
ええ、「大斎原」って、基本的にからっぽの場所なの。
より正確にいうなら、本来の熊野神宮というのは、長いことこの「大斎原」にあったんですよ。
すなわち、長い歳月、多くの巡礼者にとっての「蘇りの聖地」でありつづけていたのは、現在の現・熊野神宮ではなく、元・熊野神宮であるところの、ここ「大斎原」だったのであります。
ただ、明治22年の大洪水で社殿が全部流されちゃって、現在は、石祠が残ってるだけの場所になってしまったという塩梅。
(「大斎原」の熊野神宮は、熊野川の中洲にあったのでした)
でもねえ、ぱっとしない石祠のほかにはなんもない、このからっぱの場所が、どういうわけかとてもいいんです。
僕は、現・熊野神宮の社殿より、はるかにこっちのほうが好きだなあ。
まあ、論より証拠---次のフォトをどーぞ御覧下さい---。
如何かな---?
凛として、同時に限りない包容力をも感じさせてくれるような、稀有の自然のオーラを体感していただけたでせうか?
率直にいっちゃいますと、こちら「大斎原」---僕的基準でいいますと、5本の指に入るほど超・好きなパワースポットのひとつなんです。
峻厳と寛容とが同居してる。
張りつめた厳しさと凪いだ微笑とが、おなじひとつところに同時に存在してる。
もうほとんどマジックですよね? このような場所は、僕は、ほかに知りません。
ええ、こちら「大斎場」さんは、僕的にいって、伊勢神宮のあの「内宮(ないくう)」さんに富士樹海、あと、長野伊那市の「分抗峠」に北海道の「サロベツ原野」、それから、あの下北半島の「恐山」なんかとおなじような、いわばスペシャルな場所なんですよ。
あの世とこの世とが交錯して存在しているみたいな、摩訶不思議な異空間---。
そこにいると、もういるだけでパラダイスといったような、一種の至福酩酊状態にいつのまにかなっちゃうの。
この朝も、僕、あたりに垂れこめた霧が綺麗に晴れるまで、5時半からおよそ7時すぎまで、この「大斎原(おおゆのはら)」のなかをひたすらぶらついてましたもん。
うん、あんまりこの地に満ち満ちた「気」の威力が素晴らしくてね---不正確な言葉ですみませんが、これは「気」とでもいうしかないんだなあ---ぶらぶらしたり、ときどき深呼吸してみたりするだけで、もうまったりと愉しいの。
現世の汚穢に汚れきった細胞のひとつひとつが、じわーっとそろって蘇生してくる悦び、とでもいうんでせうか?
とにかく、一瞬たりとも退屈なんかしないのよ。
風が吹いて木の梢がゆれたら、なんかそれが「おお」って感じだし、曇りの雲の隙間から一瞬陽光が漏れてきたら、これまた神示のように「おお、そうか」なんて感じ…。
かさこそ草を踏みしめて歩く自分の足音まで、なんかいつもより意味深であって…。
とってもふしぎ、でも、なんだか背骨あたりからじんわりハッピー……。(^.^)☆彡
----ここはとんでもなくすごい。神さんは熊野神宮の境内ではなく、ここにいらっしゃる。鳥肌が立ってきて、金縛りにあったような感覚に襲われた。全国の霊域と呼ばれる場所にはずいぶん行ったが、近畿に関しては、三輪山とここに尽きる。(ある巡礼男性)
むーっ、僕も同感ですね。
写真だけ見ると、「なんだ、ただの原っぱじゃん?」と思うかもしれません。
あーあ、ぜんぜんダサイじゃない、と、がっかりするひとも多いかもわからない。
たしかに、石碑とかいくつかあるけど、それは、現・熊野神宮の社殿---書きもらしましたが、熊野本宮とこことの距離は、徒歩で10分あまりです---などと比べると、全然大したものじゃないし、物質的には、ここには大したものはないんだ、と、いいきってしまってもまあいいでせう。
でも、ここはね、いって、実際に足を踏みいれてもらえば、勘のいいひとなら絶対分かるから---。
なに、特別に勘がよくなくったって大丈夫---霊感も特に必要なし!---日常と非日常の堺の蝶番的部分にいささかなりとも関心のあるひとが行けば、ここ「大斎原」は、絶対に「なにか」を得られるスペシャルランクな場所であると、イーダちゃんは魂の奥底から深ーく確信しているのでおじゃります…。
最後に、朝靄の煙る熊野川の美しい写真をひとつここに添えさせていただいて、この「大斎原(おおゆのはら)」関連の記事を締めくくりたいなあ、と思う不肖イーダちゃんなのでありました---。m(_ _)m
「しかし、いつ見ても空の一角に大鳥居があるっていうのは、どんな感覚なんでしょうね? 地元のひとは違和感とかないのかな?」
「いやー、僕等は生まれたときからそうだったから。空ってそういうもんだってのが刷りこまれているっていうか…。修学旅行で東京とかに泊まってると、む
しろ鳥居がなくてなにかが欠けているっていうか、なんか落ちつかなかったですもん」
「へえ…(ト感心して)」
-----神宮地元のGS兄ちゃんとの会話より。
まえに、福島屋旅館さんを、でも、ここ、ボロですよぅ、といったのに、まったくメゲテないので、ややっ、変わったコだなあ、と思っていたのですが、なんだ、武道繋がりの同士だったのでありますかw
僕にも、太極拳の師範代やってる変態な知人、おります。
ええ、「かっぱ天国」、なかなか面白いところですよ。
しかも、こちら、女性上位の温泉で、女風呂のがはるかに良いようなんですので、是非いちどお訪ねください。
上諏訪、下諏訪、僕も、大好きな温泉です。
できたら今度レポートしてみたいですねっ(^.^;>
以前、熱海の福島旅館と来宮神社の大楠に反応して
コメント歴のある あこち です。
あたしも、20代のうら若きヲトメのころ、
神の啓示か何だかわからないけど急に
学校の図書館の薄暗がりで
「ああ、私、熊野に行かなきゃ!」と思い立ち
当時住んでいた北海道から 鈍行乗り継いで
熊野まで行ったことがあります。
しかし、今回のイーダちゃんの情報は驚くことばかり。
植芝大先生の息のかかったところでありましたか。
(私は合気道はやっておりませんが、合気道の師範クラスの実力を持つ古くからの変態な友人がおり、私自身も太極拳をやっていて 最近 なんとな~~~~~く「気」といふものがわかりかけてきてます)
それと、この鳥居の写真。
写真だけで背筋にぞくぞくしたものが走りました。
すごい!ここはすごいです!!!!!
あ、ひとつ前の「かっぱ天国」のレポートもよかったです。名前からして、勝手に某回転寿司屋をイメージして
きっとバッタくさいんだろうなと思っていたあたくしの先入観を一掃してくれました。
温泉大好きです。先月は上諏訪下諏訪の温泉を堪能してきました。
また 温泉レポート、楽しみにしております。
西方温泉に一人で行く勇気はまだありませんが・・・・