イーダちゃんの「晴れときどき瞑想」♪

美味しい人生、というのが目標。毎日を豊かにする音楽、温泉、本なぞについて、徒然なるままに語っていきたいですねえ(^^;>

徒然その86☆新潟「くっちゃい」お湯紀行--新津温泉から月岡温泉へ☆

2011-10-21 01:11:54 | ☆湯けむりほわわん温泉紀行☆

                       


 さて、新潟胎内市の日本一臭いお湯「西方の湯」で一夜をすごしたイーダちゃんは、その翌朝、宿に荷物を置いたまま、旅2日目の旅程を消化すべく、迎えにきてくれた予約の「のりんす号」に颯爽と乗りこみました。
 今日の狙いは、やはり日本有数の油臭を誇るという、新潟新津(にいつ)市の公共浴場「新津温泉」---!
 こちら、「西方の湯」のある中条駅から、電車でちょーっとあるんですよね。
 地方の電車のダイヤには、僕の慣れ親しんでいる首都圏ペースが通用しないことは、かつての旅行体験からも判明していたんで、なるたけ早め早めのペースで今回の旅は編んじゃおう、とイーダちゃんは考えたのでありました。
 そうして、この読みは正解でしたねえ---中条駅から出る新白線、おっそろしく本数が少なくて、高校生が多く通学する朝夕の時間をのぞくと、ほとんど利用できないっていってもいいくらいだったんですよ。
 クルマがないとやっていけない土地柄とでもいうのでせうかね。
 実際、僕の利用した朝の列車では、利用者の9割以上がなんと高校生といった、ほぼ完璧な修学旅行列車となっちゃいまして、なんか一般の大人の乗客である我々のほうが逆に異分子チックに見えちゃって、乗り心地的にはあまり快適じゃなかったような気味もありました。
 ま、しかし、それも旅の味っていっちゃ味でせう---約1時間半のそんな車両の旅を経て、たどりついいた新津駅は、これは、いまさっききあとにしてきたばかりの中条駅と比べると、かなり都市の香りの強い町でありました。
 なにせ、駅、降りて、中央の道路を進むと、アーケードの商店街がありましたから。
 もっとも、商店街の大部分は、こういう田舎町の常として、半分以上閑散としたシャッター街になってはいたんですけど、中条とくらべると、やっぱり町的度合いが高いようです---往来するひとの数が、なんといっても多いんです。そのうちの大多数が年寄りで、若者的な活気に乏しいのというのはたしかに事実ですが、それはそれ---こういう知らない地方の田舎町を、ぷらぷらと徒歩で散策するのが、イーダちゃんは、なにより大好きなのでありました。
 まして、この日は絵に画いたような上天気でしょ?---心はもうご機嫌そのもの、

----うーむ、ひさびさこれはいい気分だゾ! とアーケードで伸びなんかしちゃってね。

 で、ネットで調べておいた地図を見ながら20分ほど歩いたころ、お目当ての「新津温泉」を見つけることができたんです。
 すっごく大きな地元デパート(名前は失念しました。失礼)の一本さきの筋の道を、左にグーンと入ったとこの突きあたり。
 見た感じは一般の家屋となんら変わらない、それこそ看板がなけりゃ、誰も気づかないような場所なんですわ。


       

 ところがところが、そのような平凡で目立たない市井の外見はさりげない偽装なんでありまして、こちら、アブラ臭のする温泉をこよなく愛する全国のマニア衆のあいだでは、一種の「聖地」とも呼称されている、ちーとスペシャルな場所なんですよ。
 うむ、それでは、噂の「新津温泉」の実力を、あい試そうではございませぬか。
 玄関の左のところにいたおばあちゃんに300円わたして---それにしてもこの300円ってのは、安すぎじゃないですか?---いざ、湯殿へ!


     

 長い廊下をわたって木製の着替処に入ったとき、そのアンチックな時代臭のする風情と、風呂場のほうから香ってくる強力なアブラ臭とに、アタマがくらくらするような感覚をまず覚えました。

----これだよ、これ! これのためにわざわざやってきたんだよー!

 と、すっかりはしゃいじゃって、服を脱ぐのももどかしい感じだったのですが、まあかろうじて服を脱ぎ、風呂場のガラス戸をがらりとやって、先客さんに挨拶し---そのときの湯浴み客は、僕以外にはおひとりだけでした---そうして、入念に幾度も掛け湯して、足先からこちらのタイルのお湯に身体をゆっくりぬっぷり沈めてゆけば---嗚呼、なるほど、こりゃあ凄いや…。
 アブラ臭というか、ほとんどこちら、純粋な石油のごとき香りのお湯なんですよ。
 中条の「西方の湯」でも石油臭は強烈にしてましたが、あそこの湯から臭素や尿素、あと醤油を煮しめたような諸成分を綺麗に濾過しきって、純粋な石油臭だけ残したら、ひょっとしてこんな感じのお湯になるのかも。
 でも、体感は、はっきりいって超・サイコー。(^.^:>
 お湯自体は写真の通り、ここ、見事な透明湯なんですよね。
 湯音は41、2度ってとこ---いわゆる、めっさ適温ってやつ。
 イーダちゃんはこのユニークな石油臭のお湯に肩まで沈ませて、静かに目をとじてみます。
 窓からは午まえの爽やかな秋の光がすさーっと差しこんできてるし、お湯自体が思いもかけぬほど柔らかな肌触りなモンだから、湯舟のなかで両掌をゆらゆらさせてるだけで、脱力しきったリラックス感覚が、全身の隅々まで自然に伝播されてゆくの。
 その速度というかスローな歩みようがね、体感的になんかたまんない。
 あと、呼吸するたびに肺の細胞層の奥まで染みてくる石油臭が、じわーっとなんともいい感じ。
 お湯のなかでえもいわれない、そんな静かな恍惚にくるまれていたら、ある詩の一節がふいに脳内に去来してきたんです。

   幾時代かがありまして
   茶色い戦争がありました

   幾時代かがありまして
   冬は疾風吹きました

   幾時代かがありまして
   今夜此処でのひと盛り
   今夜此処でのひと盛り

   サーカス小屋は高い梁
   そこに一つのブランコだ
   見えるともないブランコだ

   頭倒さに手を垂れて
   汚れた木綿の屋根のもと
   ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん……

 うん、中原中也の「サーカス」の一節ですよね。
 なぜ、ここで中原中也なのか---それは分からないけど、それが、急にひらめいいて、アタマのなかを唐突に廻りだしたのは事実---そして、そのなかでも特にアタマに響いてきたのは、この後半の「ゆあーん ゆよーん ゆあゆよん」というフレーズなのでありました。

----ゆあーん、ゆよーん、ゆやゆよん、か…。

 と石油の香りのお湯のなか、アタマのなかの反響のうながすまま、なんとなくつぶやいてみます。
 すると、語呂がお湯の体感にマッチして、なんだか妙にいい感じ---うん、もういちどいってみるか。

----うーむ…。ゆあーん、ゆよーん、ゆあゆよーん…。

 いい終わりに両手で顔にお湯をぽしゃりとやったとき、全身がこの中也の呪術的文句にあわせて、湯舟から静かに滑空していくような、摩訶不思議な無重力感がちょっとありました……。


      ×             ×

 さて、石油臭のキング湯たる「西方の湯」も、クイーン湯たる「新津温泉」も堪能しました。
 となると、近辺での残り湯は、これはもう「月岡温泉」しかないでせう。
 というわけで、「新津温泉」の駅前アーケードの一角で昼飯にラーメンを食したイーダちゃんは、食後早々列車に乗りこみ、「月岡温泉駅」を目指したのです。
 実は、僕、この「月岡温泉」を訪ねるのは、これが初めてじゃなかったんですが。
 ええ、2008年の6月24日に、いちど来てるんです。そのときはまだ健在だった愛車での訪問で、「浪花屋旅館」というお宿に宿泊しました。目当ては、温泉チャンプの郡司氏が推薦してた、こちらの地域の共同湯「美人の泉」! 
 でも、このときは、その「美人の泉」がたまたま休館日で、涙を飲んで湯浴みを諦めた、といった経緯があったんですって。
 で、今回は、その雪辱戦といった次第---。
 ただ、列車が「月岡温泉」駅に到着したとき、そのあまりの田舎っぷりに、イーダちゃんは途方に暮れちゃったことをにここに告白しておきませう。
 まず、こちらの駅が無人駅かも、というくらいは予想の範囲内だったんだけど---
 まさか、駅からバスが一本も出てないとは思わなかった…。
 というより、駅から肝心の「月岡温泉」の地図が、駅のまわりのどこにもないの。
 あと、タクシー会社の電話番号なんかも、どこにも書かれてない。
 「月岡温泉まで徒歩40分、バスで10分」と→が一本書いてある看板だけがかろうじてありますが、そのバスがどこからでるのか、どこで待って、いくら払えばいいのか、という肝心の詳細を記しているモノはまったくなし。
 これってどーよ? おいおい、「月岡温泉」さんよ、あんた、ほんとにこれで観光客呼ぼうって気がマジあんの? と激を飛ばしたくなるくらいの超・無策なんですよ…。
 しかしまあ、これほどなんにもない無人駅の駅前広場に、いつまでぽやーんとしててもしようがないので、ええ、ままよ、と勘を頼りにテキトーに歩きだすことにしました。
 →の促すまま、駅前の細い道りを右に---老人施設をいきすぎて---ようやく見えた県道とおぼしき道を右に。
 で、そのとき撮った写真が、このページのアタマにUPしたやつです。
 むーっ、なんか焼いておりますな、なんざんしょ? まさか、この日本で焼き畑ってこともないでせうし。
 いずれにしても、のんびりした、見てるこっちの気持ちが茫洋と凪いでくるような田園風景です。
 写真、2点ほど追加しておきませう---左下は「月岡温泉」無人駅のホーム(左手にちらっと見えるのが老人施設です)、右下にあるのは、ページアタマのフォトの追加ヴァージョンね---この県道をあと5キロほどトコトコゆくと、「月岡温泉」のはるけく市街地にようやく到着できるのですよ---ふむ。


         

 心がほっこりしてくるような、こーんな風景のなかを、1時間ちょいくらい歩いたころでせうか?
 とちゅうから上りの行程がつづきましてね、上半身が汗びっしょになったころ、よーやくイーダちゃんは目的の共同湯「美人の泉」に到着することができました。
 超・懐かしいことったら---2008年の6月以来の、3年ぶりの再訪です。
 ただし、前回は、ここの玄関前で「本日閉館」の表示を見て、泣く泣く引き返したわけなんですが、今回はそういうの、ありません---今回は、どうやら湯浴みできそうな気配です。


       

 そうして、お察しの通り、イーダちゃんは、今回はのーんびりと、午後の一刻を「美人の泉」ですごすことができたんですよ。
 素晴らしかったなー、あれは(満足げに)…。
 こちらのお湯は、ええ、右上のフォトからも分かるように、非常に珍しい、鮮やかな緑色をしてるんですね。
 緑色のお湯というと、群馬の志賀高原の「熊の湯ホテル」の緑の湯、あと、岩手の山間にある「石塚旅館」の硫黄泉なんかが、まず思いだされます。
 それと、群馬・万座の「万座温泉高原ホテル」の混浴の緑湯なんかもそうでせうか---もっとも、こちらはさまざまな源泉を混ぜあわせちゃったお湯のようですが。
 共同湯「美人の泉」のお湯は、湯温を一定に保つために、残念ながら循環させられています。
 だから、お湯の鮮度に関しては、手放しに賛辞できるものではありません。
 つまり、ぽしゃんと湯っこに入ったときの感触は、前述した「新津温泉」や、「月岡温泉」の掛け流しを実施しているほかの多くのお宿とくらべると、だいぶ落ちるってことです。
 それは仕方ない、ただ、こちら循環は循環でも、あの破滅的な塩素注入は、してないんですよね。
 ですからまあ、多少酸化の度合いは進んではいるものの、うん、まあいいお湯だっていえるんじゃないでせうか。
 なにより、緑色っていうのは、魅力的ですよ。
 僕は、めっきりくつろいじゃったな---ひっきりなしの湯浴み客が行き来してるんで、写真、なかなか撮れなかったんですが、ちょうど皆が湯舟を離れて身体を洗いはじめたとき、着替処から隙を見て、携帯でパチリとやりました。
 それが、右上写真---ねっ、いまにも涎がでてきそうな見事な緑でしょ?
 うん、こちら、いい湯っこでしたねえ。
 湯あがりに着替処の脇から外に繋がっている木製のロッジに出て、そこの椅子に座って、すっぱだかのまま外の風にあたっているしばしの時間が、なんとも至福でありました…。(^.^;>


     ×               ×

 
 新潟・越後の国からのイーダちゃんの温泉レポートは、以上です---。
 今回のテーマは、いわゆる「くっちゃいお湯」というモノだったのですが、皆さんはどうでせう?
 くっちゃいお湯はお好き? それとも、苦手なほうですか?
 僕は、大地の恵みとして自然湧出した温泉は、例外なくほとんど好きですが、くっちゃいお湯は特に好きな部類です。
 個性の強いお湯っていうのは、そう、現実世界の友人といっしょで、アクの強い奴ほど付きあってみれば愉しい、みたいなところがあるんじゃないか、と自分的には思ってるんですが。
 ほら、付きあいはじめは、個性の主張が強すぎて、ちょっと引ける部分もたしかにあるんだけど、相手を知るにつれ、そのような違和感は徐々に和らいでいくみたいな---ああ、コイツ、こんなにいい奴だったのか。知らなかった。もっとまえから知っときゃよかったなあ、なんてあとになってから思ったりね。
 今回の訪湯は9月の下旬でしたが、本来はもっと冬寄りの、雪のちらつく季節の湯浴みなんかが、ひょっとして理想的だったのかもしれません。
 だって、ぼた雪の舞う朝方の湯浴みなんてねえ、考えただけでお肌の穴がきゅっとなりますもん。
 というわけで、いつもの4小節ブレイク---うん、温泉ってやっぱいいよなあ! という例のひとこと感嘆でもって、今回の紀行の結びに替えさせていただきたいと思う、旅明けの湯けむりイーダちゃんなのでありました---。<(_ _)>

    





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