イーダちゃんの「晴れときどき瞑想」♪

美味しい人生、というのが目標。毎日を豊かにする音楽、温泉、本なぞについて、徒然なるままに語っていきたいですねえ(^^;>

徒然その38☆独断と偏見の Beatles ベストテン! PART1☆

2010-12-25 09:11:31 | ☆ザ・ぐれいとミュージシャン☆
                                  

 あのー あらかじめ断っておきたいのは、これはあくまでイーダちゃん主導の遊びのランキングだということです。
 ですから、あまり本気になって怒ったりされませんように。4人グループなのにポールの曲が1曲もないのはどういうわけだ! とか、後のロックの礎となった後期の曲が少ないのはどうにも解せん! とか---むきにならないようお願いしたいと思います。
 むかしっから僕は骨の髄までのジョン・レノン・フリークなんですから。
 死んだってこれは矯正できないと思う。でも、とどのつまり、批評の主軸は、主観をよりどころにするしかないですからね。
 客観的たろうとするのはいい。しかし、そのために主観を捨てたら、これは本末転倒というものでせう。
 完璧な客観なんて哲学的にいってもギャグ以外の何物でもないですしね。
 異論があるのははなから承知---しかし、どうでもいい能書きはあとまわしにして、そろそろ本番いきますか。はい。

----じゃーーーーん! (トここでア・ハードデイズナイトのイントロのG7sus4が鳴ったつもり)

<No.1 I Want To Hold Your Hand >
 さんざん迷ったんですが、ナンバーワン・ソングは、やはりこれ以外にないでせう。
 何度聴いても歌いだしが覚えられない謎のイントロといい、C→G7→Am→Em という影を含んだやや無茶でふしぎな展開といい、それらの音楽の展開のうえに安々と大股で乗っかって、極上の張りに満ちた声を心もちかすれさせながら、青春の喜びと苦みとを同時にふりまきつつぐいぐいと強引に邁進していく、若きジョン・レノンの味わいここに極まれり、の一品です。
 これ、ジョンのベスト・ヴォーカルのひとつだと思うな。
 書の名人でもときどきいるじゃないですか---筆を紙からもちあげる際の、ほんのわずかな墨の歪みですら表現として光り輝く、みたいな。
 この時期のジョン・レノンがまさにそれですね。小林秀雄流にいうなら「吐いた泥までが輝く」---明るい場所から暗い曲がり角(Am→Emの部分)に入るときの声の一瞬の翳り具合が、全力でシャウトする直前の声の一瞬のため加減が、首をふってロングトーンの雄たけびをあげるクライマックスの声の爆発が---すべてが極上の表現としてここに結実している。
 これはどうやっても、狙ってできるような類いのものじゃありませんや。
 アタマ始発のプロジェクトじゃぜんぜんない。頭と身体が同時進行で進んで、最終的におんなじエクスタシーを共有してる。
 まれにみる奇跡といってもいい。そういう意味でイーダちゃん的には、このころのビートルズは、後期の「サージェント・ペパー」や「リボルバー」も及ばないはるかな高みにいたような気がします。後期のはある程度狙ってやってますからね。少なくともまるきりの無心じゃない。ところが、このころのビートルズはまっさらの無心ですから。その差はでかいと思います。
 そんなジョンの極上ヴォイスをさらに際立たせるように鳴ってる、ポールの声もとてもいい。いい仕事してます、ポール。ポールの声はいつでもジョンをよく引きたたせてくれます、極上のトロを引きたたせるワサビみたく。
 あと、リンゴのドラム。これが極めて並じゃない。何度聴いてもうまいとは思えないんだけど、ビートルズのドラムはやっぱりこのひと以外はないでせう。
 ブラックで、後ノリでいて、しごくシンプルなんだけど、いかにもハート・ウォームであり、ときとしてほんのりキュート、あと、立ちあがりの上りの部分がちょいとシャイでいて---。
 いずれにしてもグーなコンビネーション、いいバンドで、いい曲ですよ。
 青春期特有の青さと苦さの両面を、これほどみずみずしく表現した曲って少ないんじゃないかな。
 そういう意味でこれは、イーダちゃんにとって「恩寵」みたいな、いまも特別な1曲となっています。唯一無二の凄い曲ってわけ。
 最後のコーダ前のE7---I Wanna Hold Your Hand~! の ~の伸ばし部分では、いつでも聴いていて心ごとぐにょりとよじれます。ああ、胸がイタイ…。フルヴェンやマリア・カラスより上かもね。ほかの曲と同一線上で比べることのできない、一期一会の、スペシャルな王冠ソングです---。

<No.2 She Loves You >
 No.1 が「抱きしめたい」でNo.2 が「シー・ラブズ・ユー」となると、月並すぎてがっかりするひとがあるいはいるかも---。
 でも、御免なさい、この2曲だけはどうあってもちょっと譲れません。
 僕がこの曲をはじめて聴いたのは中学の昼休みの校内放送だったのですが、校内スピーカーからの極悪モノラル音だというのに、ジョンとポールのイェーイ、イェーイに、心、ざわざわ震えましたもん。
 聴いた瞬間のインパクトの強さに限っていうなら、この曲、抱きしめたいより上かもわかりません。
 いま思ったんですが、60'Sを吹きぬけたビートルズという現象を誰かに説明する場合、もっともふさわしくて分かりやすい名刺代わりになるのは、もしかしてこの曲かもしれませんね。
 そのくらいこの曲には、ビートルズというバンドの魅力がみっしり詰まってます。
 爆発寸前なくらい、ギチギチに詰めこまれている、といってもいい。
 前のめり気味に駆けだすドラムロールに、いきなりかぶってくるジョンとポールの全力コーラスがまずたまらない。
 ほんの5、6秒の、イントロぬきのこの歌のはじまりに、すべてを賭けちゃってるんですからねえ。この関を切ったみたいな熱気と尋常じゃない勢い---ペース配分まったく無視のこれだけでも相当に無茶な試みなのに、それが歌の終りまで萎むことなく、うねるように疾走しつづけるんですからあきれちゃう。普通、こんなことやれませんって。
 ビートルズの上り調子の爆発的ベクトルを象徴するような、極めつけの1曲---。
 これ聴いて、胸がイタなくならないのは、ひととしてどこかまちがっている気がします。(^.^;>

----ぜんぜん関係ないんですけど、RCサクセションの「トランジスタ・ラジオ」のなかで主人公が屋上で聴いていた曲って、たぶんビートルズの初期ナンバーじゃないですかね? 僕は、「抱きしめたい」か「シー・ラブズ・ユー」あたりが臭いと思う。ストーンズも考えたんだけど、初期のストーンズに青空はちょっとばかり似合わんでせう? 「フロム・ミー・トゥー・ユー」や「プリーズ・プリーズ・ミー」でもむろんありなのですが、やっぱり「抱きしめたい」系であってほしいなあ。

<No.3 I Feel Fine >
 イーダちゃんは、この曲、中学のとき、TVかなんかのCMで偶然聴いたんですよね。
 一瞬でブッ飛びました。
 なんですか、これ? 以来、ずーっとブッ飛びっぱなしです。
 まじめな話、これだけ「翔んだ」曲に出会ったことはあれ以来いちどもないんですよ、残念ながら。
 なんというか、これ、幻視者の曲ですよね---僕は、これ聴くごとにランボーの「見者の手紙」なんかを連想するんですよ---だって、明らかにこの曲、常軌を逸してますもん。ジョンの後期の「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」とか「ルーシー」より翔んでるんじゃないかな。ジョンはもともと幻視者一族の末裔のような立ち位置の詩人なんですが、いま挙げた2曲では、まだ書こうという意志が結構感じられたりするじゃないですか。レコーディングという仕事に対する、一種の息苦しい義務感みたいな。いうなれば計画出産みたいな、役所の香りがかすかにするんです。
 でも、この曲は、なんか天気のいい日に、プール際でクスリをキメながらギターをいじっていたら、たちまちポカンと1曲できちゃいました、みたいな安産の気配がするんですよ。つくった、というより、できちゃった、というような---ある意味、とっても南国的な---。
 そういった自由気ままな風情が、たまらなくカッコいい曲です。
 国籍不明のリンゴのラテン・ドラムがまた実によく効いてます。
 この曲でジョンが見せてくれる、いなせな歩きっぷりの見事さときたら!
 音楽の定石に絡めとられたベテラン・ミュージシャンには絶対生みだせない曲でせう、これは。
 イントロの落下フレーズは、強いていうならブルース・コードのブレイク・パターンの変形と読めないこともないのですが、ジョン・レノン独自の超・半音階が(あれ。なんか、ここの部分モーツァルトの記述みたいだゾ)無茶苦茶に多用されているせいで、ブルース的世界からはるけく隔たった、サイケデリック・ワールドみたいな白日の異世界を現出させちゃってる。
 この曲は、まぶしいです。
 サングラスをかけても、レンズの隙から漏れてくる夏日がぎらぎらとまぶしい、あの感じ…。
 この日差しは、季節も、時間も、世間のルールも超えて、貴方の魂をまるごと照らしだします。どんな嘘も隠れられない。この日差しから隠れる場所って、たぶん、ないんじゃないでせうかねえ。
 あらゆる意味で、天才ジョン・レノンを実感できる怖い曲だと思います---。

<No.4 Rock And Roll Music >
 天性のヴォーカリスト・ジョン・レノンを味わうのに、これは格好の1曲です。
 元々は恩師チャック・ベリーの曲なんですが、チャック・ベリーのオリジナルがどこかスカスカのしょぼい印象が否めないのに対し、ジョン全盛期のこのカバー・ヴァージョンは、もう硬質硬派の極みみたいな見事な出来に仕上がっています。
 この路線のカバー名曲はそれこそビートルズ初期には腐るほどあって、「ユー・リアリー・ガット・ア・ホールド・オン・ミー」とか「デイジー・ミス・リージー」とか、どれを選ぼうか少々迷ったのですが、結局これにしました。「ツイスト・アンド・シャウト」もなかなかに捨てがたかったんですが、まあ、たまたま今日はこっちの「ロックンロール・ミュージック」のほうを選んじゃった。けど、本来的には日替わり順不同ということとで処理してくれれば、それでいいかも。
 だって、ここでのジョン、ぴかぴかにきらめいてるんですもん。
 なにをやっても決まっちゃう---歌いながら含み笑いすれば、そこがカッコいい。音程がじゃっかんフラットすれば、今度はそこに投げっぱなしみたいな、かすかにニヒルな風情が生まれてみたり。
 いうなれば自由自在。これだけできれば、そりゃあ歌ってて楽しいだろうと思います。それに加えて、ジョン独特の、ナイフみたいな攻撃性が加味されるわけでせう? これは、やっぱりロック・ヴォーカルの教科書とでもいうしかないですよ。
 この曲を歌うジョンは、ええ、さながら光の国から脱藩してきた不良王子のごとし、です。
 しかも、これ、ワンテイクのみの、ほぼぶっつけ本番のレコーディングだったというんですから、びっくりの二乗です。
 イーダちゃんはよく思うのですが、ジョン・レノンのベスト・ヴォーカルって、自分の声を見せびらかすように歌っていたこのころに尽きるのではないかなあ。後年になると、このひと、自分の声を加工しはじめるじゃないですか。ちょうど「リボルバー」のあたりからでしたっけ? これだけいい声してるのになんで? と僕なんかは思うのですが、どうやら話を総合してみると、ジョンはどうも自分の声が嫌いだったようですね。
 むーっ、もったいなすぎ---天才の考えることはよく分からん…。(xox;>

<No.5 Tell Me Why >
 アルバム「ア・ハードデイズ・ナイト」のなかの1曲---。
 作者であるジョンは「NYの黒人ガール・グループみたいな曲」といっていたそうですが、なーるほど、いわれてみればたしかにそっち系のニュアンスもままありますね。ただ、いちどこのビートルズ・ヴァージョンを聴いちゃうと、団子状の音のインパクトがあまりに強すぎて、NYのガール・グループのことなんて<のほほん>と連想している余裕はまずないですね。
 トリプル・トラックのジョンのひとり3重唱の歌いだしだけでも、これは相当のインパクト---。
 というか、うるさいくらいにパワフルなんです。中学生の僕は、最初にアルバムでこの曲を聴いたときは心底たまげました。
 ロックがうるさい、とはたぶんエルヴィスのときなんかからいわれていた一般的意見だったんでせうが、それでも当時の白人ロック・シンガーは、やっぱり過去の Jazz Vocal の伝統をはみださないように、意外と丁寧に、滑らかに歌っているんですね。ヴェルベット・ヴォイス的に声にまずよそ行きの衣装を着せて、さあ、舞台で歌ってきなさい、みたいなニュアンスといいますか。
 そういったリスナーへの上品な配慮といったものが、この曲においてはかけらもない。
 地声で思いっきりがなりたてる、ジョンの声のこの無礼な轟きを聴け! とでもいいたいですね。
 特に後半部、If there's anythin' I can't do のところの裏声の3声スキャット---ねえ、これ、まったく揃ってないんじゃないの、ジョン?
 プロの歌でこんなハチャメチャなのを聴いたことがなかったイーダちゃんは、これ聴いたときは、マジびっくりでした。
 で、またレコードをとめて---レコードって単語に泣けますね、嗚呼、レコード時代!---針をもどして、もう一度この曲を聴きなおしたもんです。そしたら、またまたびっくりした。2度目なのにね。いまじゃもう300何度目あたりになるんでせうが、いま聴いてもまだちょいびっくりしますもんね。ここに封じこめられた音楽パワーは凄いもんですよ。
 まったくもって耳に優しくない---そのあたりの感性がとっても素敵です。
 いまでこそラップとかオルタナティヴとかさまざまな音楽ジャンルが生まれてきましたが、ここまで尖っている音楽はそうないように思います。音楽が商売になってしまってからというもの、シンガーはまずスポンサーやらレコード会社やらに配慮するようになっちゃいましたから---あと、PTAとか都条令とかにもね。
 それじゃあいかん、いかんぞう、とイーダちゃんは心から世情を憂います。
 管理された、誰の耳にも優しい、誰の立場も傷つけない、甘口の、お利口な音楽に未来はありません。
 本当の自由がつまっているのは、ジョンのこの< Tell Me Why >のコーラス部みたいな、ハチャメチャな音楽のなかじゃないか、と思います…。
 
                                                               (第一部、了) 
  P.S.ちょい遅れたけどハッピー・クリスマス。 (^.^;>

 

 
 

徒然その35☆やあ、ジョン、元気ですか?☆

2010-12-14 00:53:23 | ☆ザ・ぐれいとミュージシャン☆
                           

 やあ、ジョン、元気ですか---?
 貴方が亡くなってから30回目の冬の到来です。
 信じられないでせう? 貴方がいなくなってから30回目の12月8日がやってくるなんて。
 YOKO さんや息子さんからいろいろ聴いているとは思いますが、貴方が亡くなってから、ずいぶん多くのことが変わりました。
 80年代は素晴らしい時代になるって貴方はいってましたよね。
 ほかならぬ貴方がそういうんだから、僕もきっとそうなるって思ってました。いや、思いこんでました。
 でも、あれは、手放しでいい時代と呼べるような時代ではひょっとしてなかったかもしれません。
 むしろ、貴方のいっていた Bad Times というコトバで呼んだほうがふさわしい時代っだったかもしれません。
 80年代はニッポン史上もっともリッチな時代でしたが---ディスコとか六本木とか---そのように華やかな若者文化が、70'Sの純粋さを失い、大人の商業主義の波に呑まれ、吸収されていく時代でもありました。
 70'S にいまだに郷愁を覚える僕なんかにとっては、生きにくい時代だったという感触がいまだ残ってますね。
 そうして、21世紀の初頭には、貴方のいたNYで 9.11 なんてのも起こった。
 それに引きつづいて勃発したイラク戦争---目を覆うような悲惨事です---一説によれば100万人あまりの市民が死んだとか。
 悲しいことに、我が国の首相はこの戦争を支持することを公言し、僕はどうにもできない無力感と脱力感のなかで、貴方がこのニュースを知ったらどう思うだろう、と自問してました。
 ええ、貴方が死んでから、僕は自分のなかでこの秤----メジャー---を多く使うようになったのです。

----こんなとき、John ならどうしたろう? どう感じ、どう行動したろう?

 この問いは、ほとんど僕の指針になりました。
 貴方は黄金の声をもつ天性のロックンロール・シャウターで、優れたソングライターであると同時に繊細な抒情詩人でもあり、ときにはラジカルな平和運動家ですらありましたが、僕が何より魅かれていたのは、それらすべての才能の底に流れていた、驚くべき「率直さ」の奔流です。
 貴方は、もの凄い正直者でした---。

----ほんとの僕はひどい臆病者さ。生きてることを愛しているし、やりたいこともある。殺してやるって脅されたらキ○タマでもなんでも見せちゃうよ。

 なんていってるのを見つけたときはマジびっくりしました。あの天下のジョン・レノンだというのに全然カッコつけてない、どころかキ○タマですよ、キ○タマ!
 だいたいの男性諸氏にとって「臆病」っていうのはいまだ禁断の一句ですから、各人がおのおの流の虚勢の張りかた、ビビリ風情の隠し方、みたいな化粧パターンをたいてい用意してるわけ。
 でも、ジョンはそんなの使わないんですよ。
 この愚直なまでのスッピンの率直さは、絞りたてのレモンみたいに瑞々しく、まぶしいくらい魅力的でした。
 あと、ウーマン・リヴ関連ではこんなこともいってましたね。

----僕は、男が偉いと思ってるブタだった…。

 うわ、と思いましたよ。
 僕、当時はほんの中学生でしかなかったんですが、このセリフは革命的でした。
 ただの一言なんですけど、このつぶやき自体がもう完璧ロックンロールしてましたもん。
 実は、当時の僕、ロックとか急進的なモノがやたら好きな神奈川の一少年だったんですけど、それはそれとして、根っこの部分では非常に古典的な価値観をもっている少年でもあったんですよ。すなわち、ロックに夢中になっているような最先端部分と、女は男にかしずくものである、みたいな超・古典的な価値観が矛盾なく共存してるようなところがあったんですよ。
 いまでもこいういうタイプってけっこう多いと思いますよ、ニンゲンって案外芯の部分では変わりがたい生き物ですから。
 ファンションだけのロックをするなら、それは簡単です。
 それっぽい服で全身をキメて、LIVE をしたり、見に入って踊るなり、あと、なにかにつけアナーキーなふるまいだけでもすればそれ風に見える。端的な話、ま、誰だってできる。
 しかし、こういう身のまわりの、代々引き継がれてきて、ほとんど血と肉と化しているような「しきたり」めいた価値観まで、ロックでゆさぶるっていうのは、これは大変な難事です。
 自分の慣れ親しんできた感性、生活、癖といったそういうものから、もういきなり急カーブを切らなきゃいけないんですから。
 内面から変われっていうことですから、これは甘くない。
 人生のなあなあ部分、そのすべてにいちいち決着をつけて自分なりに進んでいけってことですから。
 でも、考えてみれば、ジョンのいってたことって、いつだってそっち側からのアプローチだったんですよ。
 しかも、ジョンが偉いのは、それらをすべて実行しちゃうこと---それに尽きます。
 躊躇なんてないのよ。ベトナム戦争がまちがってると思えばマスコミを集めてベッド・インを敢行し、「平和を我らに」なんて歌をつくって皆と一緒にもう街を行進してる。
 ショーンが生まれ、男女平等思想にかぶれると、たちまちのうちにロックミュージシャンを廃業し、YOKO 不在のダコダハウスの家事一切を取りしきり、1日がかりでパンを焼いたり洗濯したり掃除したりしている。
 いまのひとにはわかりにくいかと思いますが、当時、ハウスハズバンドなんて言葉はまだ生まれたばっかりだったんですよ。
 最前線の超一流のロックミュージシャンが引退して家事に専念するなんて、それまで誰も想像すらしたことがなかった。
 あらゆるひとの予想をこえてたわけですよ。あのミック・ジャガーですら「!」みたいな感じになっちゃった。機会があるごとに雑誌のインタヴューなんかで、ジョン、そこから出ておいでよ~ と呼びかけて、主夫たろうと家庭内で苦闘中だった当時のジョンを何度も苦らせています。 
 ジョンの主夫時代って、それくらい新しくて革命的だったんですよ。

----君もみんなもぜんぜんわかってないよ。赤ん坊の世話を焼いたり家事をしたりするのは1日がかりの大仕事なんだぜ…。

 ジョンのこのひとことで家事全般に対する見方が変わったというひとは、とても多いはずです。
 僕もそのうちのひとり。それまで料理なんかに興味はなかった。でも、ジョンがいうんだからと自分から料理を覚えようという気になって、実際はじめてみて、ある程度覚えもしました。そしたらね、これが案外楽しいの。そういう意味でジョンには凄く感謝してますね。
 あと男のひとりとして、僕も、社会的なあれこれの活動を無意識のうちに家事や子育てより上位に置いていたんですが、心のうちのそんな暗黙のカースト制度---これの順位にも「?」マークをつけて考えてみるクセがつきました。
 
    外で闘って喰いぶちを探してくるのは たしかに大変なお仕事---
    でも1日家にこもって 終りのない無数の些事仕事を次々とこなしつつ
    子供を育てたり皿を洗ったり夫の世話したりするのも 結構な難事なんじゃないかな?
    どっちが大変なの? そして、どっちの仕事をこなしているほうが人として偉いの?

 コレ↑は自家製のカルトン(4行詩)なんですけど、僕の当時の悩みはだいたいが上記通りのものでした。
 いまじゃむろん解決してますけど---つまりは、どちらのほうが偉いのか、なんて発想自体がまちがってたってこと。
 偉いというなら---偉いなんて観点自体ややへんなんですけど---まあ、どっちもそれなりに偉いんですよ。ただ、どちらかがどちらより偉い、とかいうようなことはない。
 つまりは比較級の「秤」自体が、そもそも「ヘン」の元だったってこと。
 それを教えてくれたのが、ジョン・レノンって男だったんですよ---。

 フツーだったらそんな説教じみたこと、誰がいったって聴きゃあしませんって。
 でも、ジョンの場合、自分の生活者としてのピュアな苦しみを、シンプルで虚飾のない、自分なりの必死のコトバでもって語りかけてきてくれましたからね---しかも、いつの場合でもソリッドなロックバンドのご機嫌なリズムに乗って。

----生きなくちゃいけない
  愛さなきゃいけない 偉くならなくちゃいけない
  突っこまなくちゃいけない
  でもとても難しい ほんとうに難しい
  ときどき僕はダウンな気になる
  
  食べなくちゃいけない
  飲まなくちゃいけない
  何かを感じなくっちゃいけない
  心配しなくちゃいけない
  でもとても難しい ほんとうに難しい
  ときどき僕はダウンな気になる
                (ジョン・レノン It's So Hard より)

 リアルです。ジョンの歌っていつでも身を切るくらいリアルで、痛い…。
 Beatles が革命的な何事かをなしたとするなら、その支柱になっていたのはまちがいなくジョン・レノンでした。
 ジョンは正直でした。そうして、自分のその正直さに対してとても誠実でした。
 正しいと思ったことはいわざるを得なかった。胸に隠したまま上手に老いていく方法なんて論外でした。というか、そのような「楽に生きるための処世術」一般を憎み、対決してきたのがジョンだったといえるのではないでせうか。
 誠実に、正直に生きるって、たぶん、途轍もない難事です---。
 それを徹底してやったら、たぶん会社ではトラブリはじめ、迷惑がられ、下手したらそのまま排除されちゃう。
 ジョンほどの世紀のスーパースターですら撃ち殺されちゃうんですから。
 これはつまり、正直と誠実とを憎んでるひとの勢力もこの世には確実にあるということです。
 不景気、倒産、失業、借金……こういう暗い時代のあとには、歴史的に戦争が追っかけてくるのが常でした。
 ですから、いまこそ僕らも用心しながら歩かなきゃ、と思います。
 
----君らはSEXとTVと宗教とに酔わされて、自分は利口で階級なんかとは埒外の自由な人間だと思いこむ。
  でも、僕にいわせれば、君らはしようがない百姓さ…。 (ジョン・レノン「労働階級の英雄」より)

 ジョン・レノンは身体を張って激動の時代を誠実に生き抜き、僕の見本となってくれたひとでした。
 ジョンの声は本当に美しく、切なくて眩しかった。
 暗雲のたれこめたいまのような時代にこそ、僕らはジョンの歌に耳を傾け、ジョンの正直さや率直さを見習っていかなくちゃ、と思います。(^.^;>


 なんか、熱入れて書いてたら、ちょっとシリアスすぎる内容になっちゃったゾ。
 近いうちに、Beatles ベストテンとか、そういった軽めの企画モノ---コード進行なんかも入れたマニアックなやつ!---にもチャレンジしてみるつもりです。(^^;





徒然その32☆ホロヴィッツのクライスレリアーナ☆

2010-12-06 00:00:06 | ☆ザ・ぐれいとミュージシャン☆
                            

 特別なCDって誰にでもあると思うんですが、全盛期のホロヴィッツが69年に弾いたこの「クライスレリアーナ」なんて僕にとってさしずめそのような1枚ですね。
 シューマンの音楽の第一印象は決してよいものではなかったのですが。
 小学校の音楽鑑賞のとき聴かされた「子供の情景」が僕はたぶんシューマンとの最初の出逢いだったように思うのですが、子供心になにか凄い拒否反応があったのを覚えてますね。
 ほかの音楽鑑賞の時間はそうじゃなかったんですよ。
 ほかのときは単調なオーケストラ演奏が退屈で僕は大抵眠がってました。したがって記憶もほとんど残ってない。
 でも、「子供の情景」を聴かされたときは、うわー 厭だ、とすぐ思いました。こんなニブイ音楽は大嫌いだって。
 そのときの教壇の色や窓枠からさしていた光の加減までよく覚えてます。よっぽど厭だったんでせうね。それだけの拒否反応を誘発させるだけのパワーを音楽自体が内包していた、と読むのがこの小事件の恐らくいちばん正しい解釈なんでせうけど、この自分の過去の記憶を思いおこしますと、あのショパンがシューマンの「謝肉祭」を聴いたとき、いきなり発作的に立ちあがって、

----僕は、こんな音楽は大嫌いだ!

 と吐き捨てたエピソードなんかがつい連想されたりもしますね。
 シューマンの音楽ってそういう資質があるような気がします。なんとなく田舎芝居というか、子供じみてるっていうか、ほら、それ以上はしゃいだら滑稽になっちゃうって歓喜の坂を、平気でタッ、タッ、ターッって熱狂的に駆けあがっていっちゃうとこがあるじゃないですか。
 ショパンは決してやらないと思うんですよ、そういう美学的にみっともないことは。
 ええ、ショパンはダンディーでエゴイストですから。舞台のうえで笑われるなんてことにはとても耐えられない。
 でも、シューマンはちがう。内面の熱狂に押されたら、たとえば音楽がピアノの88鍵の鍵盤をこえて駆けあがっていくことを要求している場合、ほんとにその架空の音階を弾こうとして、身体をのばしすぎてピアノの椅子から身体ごと転がり落ちるとこまでいっちゃう。
 要するに子供なんですよ、バランスなんて崩れてもいいの、エクスタシーを隠さないんです。
 パトロン夫人のその日の眉の角度にあわせて装飾音の色あいを変えていかざるを得ないような音楽をやっていたショパンなんかからすると、許せなかったでせうねえ、こんな天真爛漫で気ままな音楽は。
 ショパンがあれほど感情的にシューマンの音楽に反応しちゃったってことには以上のような理由があったのでは、とイーダちゃんは推察します。
 ショパンにはシューマンのこの無心の歓びの身ぶりがどうしても許せなかった。
 そこにはいささかの嫉妬の念も、ひょっとしたらまじっていたかもしれません。
 そう、たしかにシューマンの音楽には聴くひとの評価を大きく二つに分けるような、なにか極端で過剰なところがあります。
 それを滑稽ととるか、高貴ととるかはたぶん聴く人の耳次第---。
 だから、躁鬱気質の激しいスキゾな音楽だなんていわれて、いまだに評価が分かれがちなんだと思います。

 こういう夢想家気質まるだしの特別な音楽は、当然弾くひとを選びます。
 いくら完璧無比のメカニックがあったって、このはなはだしくシューマニテスティックな、痛々しいくらいに無垢な「童心」をキャッチできなきゃアウトです。
 というわけで天才ウラディミール・ホロヴィッツの登場です---。
 このひとはシューマンの「子供の情景」の楽譜を手に入れた少年時、喜びのあまりベッドの枕のしたに楽譜を入れて眠った、という経歴の持ち主です。
 シューマン弾きっていうのはこうでなきゃいけません。ホロヴィッツがピアノ演奏史上指折りのメカニックの持ち主であることは周知の事実ですが、実はその事実とおなじくらい少年時のこの「子供の情景の楽譜を枕の下に入れて眠った事件」は重要なエピソードではないでせうか。
 ホロヴィッツは2度ともどれないロシア時代の自分の遠い過去を愛無するかのように、「子供の情景」を弾いていますね。(注:ホロヴィッツはソビエト連邦からの亡命ロシア人でした)
 テンポ・ルバートをごく控えめに用いつつ、全体的に非常にスマート、隠し味としてのビターな苦悩も奥のほうに注意深く微量に混ぜこまれてて、きりりとした、実に端正な名品に仕上がってます。
 これに匹敵する「子供の情景」はというと、僕にはコルトーのレコーディングぐらいしか思いつかないなあ。
 これは、陶酔しながら歌舞伎の見栄を切るような、いくぶん大時代な演奏ですけど、ホール最後尾の席まで思いがきっちり届くのは、なんといってもこちらがわの演奏なのではないかしら? やっぱり、ポリーニやアシュケナージみたいな安全主義の音楽の器じゃ、シューマンのあの過剰なロマンテックを盛れっこないですよ。
 失礼。いささか「子供の情景」のほうに寄り道しすぎちゃいました。「子供の情景」もいい作品ですけど、実は、イーダちゃんがより語りたく思っていたのは、シューマンがそのひとつあとに書いたエキセントリックな傑作「クライスレリアーナ」のほうなのでありました。

 ロベルト・シューマンが28才のときに作曲したこの<Kreisleriaana Op.16>---これは、彼が世に送りだした数々の名作のなかでも5本の指に入るくらい、シューマニステックに痛んだ作品です。
 この曲の題名は、当時音楽批評もやっていた有名作家のホフマン---ほら、あの「砂男」の作者ですよ---彼の小説「牡猫ムルの人生観(未読です、失礼)」に登場する、楽長クライスラーに由来するそうです。
 こちら、8曲の小曲が組みあわされたかたちの、シューマンお得意の、ファンタスティックな組曲の形式をとってます。
 短調と長調の曲が、シューマン内面のファンタジー世界の架空の住人「フロレスタンス(光の住人、シューマンのポジティヴ部分)とオイゼビウス(闇の住人、シューマンのシャドウ)」の対話のように、ときには仲睦まじく調和したまなざしを交わしあいながら、ときにはいがみあった憎悪と絶望の視線でお互いを突き刺すように睨みながら、クライマックスの終曲にむかってぐんぐん突き進んでいくわけなんですが、ロマンチックな憧れに身体を焦がしながら進みゆくその夢想の歩みようは、まさにロマン派音楽のひとつの頂点といってもいいほどの、豪奢でゾクゾクする味わいです。
 作者であるシューマンがいうには、この曲はすべて彼の妻であるクララ・シューマンに捧げたものなのだとか。

----…この曲はあなたへの思いが結晶したものです。この曲はあなたに、あなただけに捧げます。あなたはこの曲のなかに、多分、あなた自身の姿を見出し、微笑むことでしょう。(R・シューマンから妻クララ・シューマンへの手紙より)

 手紙にこうやって書いたときにはシューマンもそのつもりだったと思うんですが、でも、最終的にはシューマンはこの曲を盟友のショパンに献呈しちゃってるんですね。そのへんがいかにも矛盾だらけの人生を生きたシューマンらしいといえばらしいんですが、ほんと、このひとだきゃあ、よく分かりませんよね。純粋なのか功利的なのか、ロマンティックなのか実利的なのか---音楽雑誌の編集長をしたり、後輩音楽家のブラームスを発掘なんかもしてるから、社会的にみてもそうとう腕っこきの人物だったはずなんですが、音楽を聴くとぶきっちょの極みみたいに聴こえるときなんかも多いし---うーむ、謎ですね…。
 このページを作成するにあたり、イーダちゃんはさまざまな「クライスレリアーナ」を聴きなおしてみました。
 たとえば1983年のアルゲリッチのもの(左下)、あるいはぐっと遡って1935年のコルトーのものとか(右下)---

            

 ほかには72年グラモフォンに録音したケンプのもの、64年RCAのルービンシュタイン、92年アファナシエフ、52年のソフロニツキー……。
 どれも超一流ピアニストの演奏ですからわるいわけがない、皆、聴きほれるべき美点があり、また、聴かせのツボを憎いくらいに心得ている、プロフェッショナルな演奏ばかりです。
 ただ、あくまで「シューマニスティックに」という視点を入れて切りこんでいくと、やっぱり資質的に落ちていく演奏がぽつぽつ出はじめてきたんですね。
 具体的にいうなら、影のなさ、闇の少なさ、あまりにも健康的すぎるということで、まずルービンシュタインが脱落しました。
 とてもいい演奏なんですけど、あまりに健やかな、満ち足りた演奏は、シューマニスティックな見地から見てどうかと思います。
 あと、新劇の芝居めいたアファナシエフが落ちました---凄く面白いんだけど、演奏の決定的な素直さに欠けてるって点で。
 つづいて、ケンプ---僕はケンプのシューマンって案外好きなんですど、このクライスレリアーナにかぎっては、ケンプは守備範囲外って感じ、ちょっとしました。特に終曲の2曲でのテクニック的な面で。
 アルゲリッチ---普通にいったら素晴らしいんでせうけど、なんというか、躊躇とか屈折といった面が物足りないようにやや感じられてしまった。シューマンって主情だけでバーッといっちゃうような音楽とはちょっとちがうと思うんですよ。ある部分では不自然に急停車みたいに立ちどまったり、それから、泡喰って慌てて飛びだしていくような---非常にぶきっちょな、ある意味での「クサさ」「みっともなさ」みたいな特質が絶対必要だと思う。逆に、そういった部分がないと、演奏のほかの部分も生きてこない。彼女の演奏はそういった意味で1元論的な演奏になっちゃってる気がします。ラフマニノフならそれでいいかもしれないけど、あくまでこれはシューマンですから。だもんで残念ながらアルゲリッチ女史も失格。
 で、残るのは、コルトー、ソフロニツキー、ホロヴィッツの3人なんですが---。
 ソフロニツキーは、凄いです、このひと。
 天性の叙事詩人として、このひと、たぶん、かの大ホロヴィッツと張れるだけの器量をもってます---が、あまりにも録音わるすぎ。これじゃあねえ…。
 コルトー---この方もホロヴィッツと方向性はちがえど大天才ですからね。
 見事に、ロマンティックな、夢想家肌の、彼なりのシューマンを作りだしてます---しかし、終曲、あーん、指がついていってない!
 それでも、僕は素晴らしいと思うんですけど。ただ、やっぱ、次点ってことになりそうですねえ。

 というわけでホロヴィッツです。「クライスレリアーナ」の栄冠は、やはりこのひとのものでせう。
 唯一の弱点としては、第1曲の譜面で第2版を弾いてるくせに、第5曲のエンディングでは第1版のものを用いていること。要するに版の混乱がじゃっかん見られるあたりでせうか。
 けど、それ除いたら、この69年CBSソニーの録音は、つくづく無敵だとイーダちゃんは思います。
 聴いていて胸苦しくなるほどの音楽というのはいくつかあるんですが、僕にとって、ホロヴィッツの弾くこの「クライスレリアーナ」はその最右翼ですね。
 20代のころは全盛期の陽水のヴォーカルだとか、シト・ヴィシャスの「マイ・ウェイ」、あるいはパーカーのサヴォイ録音なんかを聴いて、「わあ、スゲー。これぞ究極の痛い音楽だろう」なんてひとりで悦に入ったりしていたのですが、いちど、ホロヴィッツのこれを聴いちゃうと、もういけない、ほかのじゃてんでいけなくなりました。
 てゆーか、これほど内部に禍々しい「魔」が飛びかっている音楽って、寡聞にして、僕はほかに知りません。
 特に終曲---シューマン独自の8分の6拍子の、不気味わるい騎馬風のリズムの音形から、いきなり過去の熱情が吹きこんでくるところ---74小説目の Con tutta forza (全力をこめて) の部分からの悲壮なロマンティケルの怪しい輝きときたら、音楽のできる最大限のことをあそこで凡てやりつくしちゃったって感じです。
 あそこの部分を弾き終えて、ばったり倒れてそのままピアニストが死んじゃってもちっともおかしくないです、あれは。 
 むしろ、あれほどの「魔界」を鍵盤の上であんな風に立ちあげちゃって、なんで貴方その後フツーに生きていられるの? といったような感じですか。
 そうですね、異常な演奏家による異常な演奏だと思います。
 あれほどの無明の闇を呼びこむためには、どれほどの狂気を必要とするのか、考えただけで恐ろしくなります。
 ええ、ホロヴィッツはまちがいなくある種の狂人でせう。老年期のDVDのインタヴューなんか見ただけでも、そのへんの事情は皆さんもすぐに了解してくれることと思います。だって、このひと、モロですから…。

 それにしても、このひとのが鍵盤上に展開する、絢爛たる魔界の崖から見上げたときの、遠い彼岸の夕空のあの美しさ!---それは、もう言葉にできないくらいの憧れと望郷の念でいっぱいに満ちているんですよねえ…。
 なるほど、色合いはいささか血生臭すぎるかもしれない、しかし、絶美なんです。見てるだけで胸がいっぱいになって自然に泣けてくる。淋しくて、けど、同時になぜか懐かしくって。こんな風景はたぶん死んでからじゃないととても見られないと思う。
 だから、イーダちゃんは2、3ケ月にいっぺん、CD棚からホロヴィツツのこのCDをこわごわ取りだして、CDプレーヤーに乗っけてみるわけなんですよね。
 現実のざらついたマンネリ攻撃からしばし逃れ---夢見るために。
 そのためには、これ、最上のアイテムだと思います。
 ちなみにこの録音はホロヴィッツが65才のとき、1969年の2月5日と14日にわけて、NYの30番街のスタジオで録音されたものだそうです---。(^.^;>
  
 
  


 
  

                                             

徒然その17☆いと美しき恍惚---アルフレッド・コルトーについて☆

2010-10-24 21:47:22 | ☆ザ・ぐれいとミュージシャン☆
                          

 批評家の宇野功芳氏がその著作のなかで、ショパンならワルツがいちばん好き、とおっしゃっていたことが以前ありました。
 宇野先生とは意見がことなることがわりに多いイーダちゃんなんですが、先生のこの見解にはまったくもって大賛成---本をほっぽりだして思わず拍手を送りたくなったくらい、このときは嬉しかったんです。
 批評家の先生ともなると意見をいうのにもいろいろ体面とか面子とかややこしい事情が絡んできそうじゃないですか。
 たとえば、ショパンなら「ソナタ3番」がいいとか「幻想ポロネーズ」が格別だとか、そんな風に答えたほうが多分しかめっつららしいマニア連は感心してくれやすいんじゃないかと思うんですよ。
 ところがこのとき先生はそうされなかった。
 受け狙いめいたことなんかてんでいわず、非常に正直に自分の気持ちを打ち明けてくれました。
 素晴らしい、いいですね、そういうひとが僕は好きです。
 で、フレデリック・フランソワ---グールドはショパンのことをこう呼ぶんですよね、この衒学趣味が気に入ったんでちょっと盗用をば---の作品なんですが、イーダちゃんの好みも宇野先生といっしょで、とにかくワルツ! ショパンではワルツがいっちゃん好きなんです。
 ショパンのワルツってホントにいいですもん。
 あれって心のなかから湧きでてきたばかりの獲れたてインスピレーションを、そのまま切って握ってカウンターに「はい、お待ち!」の世界じゃないですか。
 力みがなくて、へんな気取りもぜんぜんなくて---。
 なるほど、ワルツはポロネーズやバラードなどの大作とくらべると、貴族のサロンなどで受け入れられやすいように---特に地元有力者の奥さん連中あたりをくらくらっと一瞬でたらしこめるように!---なるたけキャッチーに分かりやすく書かれているっていうのは事実です。コケテッシュな媚びテクも、思わせぶりな流し目も、それこそもうてんこ盛り状態。でも、ショパンって凄い盛りつけ上手のシェフだからほとんど胃にももたれない、そのへんすっごくワザ師的に書かれているわけなんですよ。
 それは、唖然とするほど見事な手腕というしかない。
 ところがこのワザ師ぶりにケチをつけるひとがいる、効果を狙いすぎててあざとい、それに、構成が単純すぎるっていうんですよ。

  ----構成が単純じゃなぜいけないんでせう?
 
 僕は、複雑で深遠なほうが藝術として上だなんてまったく思いませんが。
 僕にいわせれば、ショパンのバラードなんかのほうがむしろ装飾過多ですよ。それとスケルツォも。あれは、たぶんベートーベンからの悪影響じゃないのかしら?
 ショパンみたいな天性のメロディー・メイカーには、ほんとは形式なんか通り一遍程度のもので充分なんですよ。
 ベートーベンは当人もいっていたようにメロディー・メイカー・タイプの音楽家ではなかった、だもんで、その短所を補うためにいろいろ頑張っていたら、ああした形式で音楽をがちがちに締めあげるっていう独自路線をたまたま発明してしまった、というだけのもんであってね。
 あの芸風はあくまで彼一代限りのもの、あんな理詰めで窮屈な、拘束器具みたいな重苦しい枠組のなかに、メロディー・メイカーたちの自由でみずみずしい歌心を押しこめちゃあイカンですよ。スポイルされ音楽嫌いになっちまう。 
 武術的な視点からいわせてもらえば、ショパンのバラードはちといかんですな。
 あれ、構えが大きすぎるし、力みもそうとう入ってる。実力でいえばせいぜい初段クラスの感じ。むろん、稀有の素質と天才をもっているのは認めますが、でもこーんな大仰な、これからさあ襲いますよ、みたいな攻撃じゃ見え見えもいいとこ、これじゃあ勝負には勝てません。
 ワルツのが厄介ですね---いかにもこっちは手強そう。
 なによりワルツはフットワークがいいですよ。それに、軽みとしなやかさとが実にうまく同居してる。要するに限りなく達人ぽいわけ。
 こんな塩田先生みたいなの相手にするのはいやだなあ、はなから勝てっこないですもん。(^.^;>
 てなわけでやっぱりショパンはワルツでせう。(ト独断的にほくそ笑む)
 で、ワルツといえば、でてくるのはフランスの大御所であるところのこのひと、アルフレッド・コルトーかと。
 徒然その1で紹介したホロヴィッツよりもさらに古い時代のひとですけど。
 今回は、ガス灯時代のピアノの詩人---マエストロ・コルトーのお話です---。

 アルフレッド・コルトーは、1877年の9月20日、スイスのニオンの生まれ。
 ドゥコンブとディエメっていう、なんでもショパンの最後の弟子だったというひとにピアノを習ったそうです。
 でも、ピアノといっしょにこの人、若いころは指揮もやってて、フランスでワグナーの「神々の黄昏」や「トリスタン」「パルジファル」を初演しちゃったりもしている。
 要するにピアノだけじゃない、幅広い音楽性をもっていたってわけですよね。
 チェロのパブロ・カザルス、ヴァイオリンのジャック・ティボーと組んだ「カザルス・トリオ」はあまりにも有名。
 ただ、第二次大戦でフランスがドイツに占領されたとき、このひと、占領軍のヴィシー政権に非常に協力的だったんですよね。
 だもんで戦後は音楽界から追われたり、カザルス、ティボーからも絶縁をいいわたされたり(もっとも、後年に友情は回復したようですが)……けっこう苦い目にもあってるおひとです。

 以上がダイジェストの経歴なんですが、こうした百の能書きよりやっぱ一の現物。
 というわけでここの冒頭にアップしたコルトーの写真をもういちどじっくりとご覧あれ。
 これって凄くないですか? 僕は個人的にこれを、霊感がひとの脳髄をずるずるーっと音を立てて上ってくる瞬間をまざまざと捕らえた非常に貴重なフォトだと思っているのですが。
 とても美しい写真ですよね---これは、コルトーが自分で設立したパリのエコール・ノルマル音楽院で、生徒に音楽の教授をしている際の映像です。ピアノを弾きながら、音楽について喋っているところ、まあ弾き語りみたいなもんですかねえ。弾いてる曲はシューマンの「子供の情景」のなかの1曲<詩人のお話>---。
 で、コルトー教授は、これを弾きながら「ここは迷いながら、何かを探すように……」とか、「さあ、最期は夢のつづきに浸ってください……」とか詩的なことを呟きつつピアノの和音を奏でているんですが、そのピアノも言葉もどっちとも、なんというか超絶品なんです、これが……。
 文字で書くと、「えー ちょっとくさいよ」とかいわれちゃいそうだけど、見てもらえば必ず分かるから。
 スローな曲なのにもの凄い迫力なんです。貴方のなかの「子供の情景」観ががらがらと音をたてて崩落していくこと、間違いなし!
 ま、これはジョークですが、ぜひにも一聴をお薦めします。
 ちなみにこの貴重映像、ワーナーヴィジョン・ジャパンから出ているDVD「アート・オブ・ピアノ-20世紀の偉大なピアニスト-」のなかに収録されております。こんなプログを見ているよりも、いますぐ銭をもって大都市のCD屋に走れ、と僕はいいたい。金額は3,800円くらいだったと思います。
 たしか youtube でも視聴可能だった気がします---。

 コルトーの特徴をひとことでいうなら、「即興的な感興を思いきり生かした草書体のピアニズム」とでもいうべきでせうか。
 もう、ルバートかけまくりのピアノなんですよ。いまじゃかえって誰もこんな風には弾けないはず。
 あと、特徴的なのはミスタッチ---このひと、ミスタッチがとても多いの。♪ツララツララでしっ……ツララツララげしっ……。コンクール予選落ち100パーセント間違いなしのピアノなんですが、なぜかこのがたぴしピアノがとてもいいんです。
 ミスタッチまでが音楽的なんですよ---聴いてるうちに黄昏色のノスタルジーが胸いっぱいに広がっていくんです。

 ラフマニノフはコルトーがそうとう好きだったみたいですね。
「ねえ、ゴロヴィッツ」とある日彼はラジオを聴きながら若いホロヴィッツに向けていったそうです。「このコルトーってピアニストはうまくないけど、とても音楽的じゃないかい---?」

 ふわーっとコルトー発のむせるほど濃い詩情に包まれたら、たぶん、貴方はもう一生コルトーから離れられなくなると思います。
 ただ、コルトーの欠点は、音がわるいこと!(xox;>
 このひと、録音がひどいんですよ---まあ、全盛期が1930年代ですからむりもないんですけど---率直にいって、いまのデジタル録音に慣れたひとはとても聴いてられないかと。
 そんなコルトーのベストテイクを探してイーダちゃんがみつけてきたのがこれ、
 コルトー77才のときのショパンのワルツです。

 変ニ長調「小犬のワルツ」作品64-1 と 変イ長調「別れのワルツ」作品69-1

 これ、世界中にありとあるショパン録音のなかでの最高峰ではないか、とイーダちゃんは思っています。
 特に「小犬のワルツ」なんて、これ聴いて僕泣きますから。マジで。(ToT;>
 「小犬のワルツ」で泣かせる……そんな荒業をかませるピアニストは世界広しといえどもたぶんこの方のみでありませう。
 
 なお、前述したショパンは---1954年の5月---コルトーがEMIのスタジオで録音したものです。(^^;

 





 
 

徒然その12☆サロベツ原野のエルヴィス☆

2010-10-16 23:01:45 | ☆ザ・ぐれいとミュージシャン☆
           がらーんちょん。広大で淋しい、道北サロベツ原野。
         

 徒然その10の北海道キャンプのコーナーでもちょっと書いたのですが、イーダちゃんは今年---2010年---の8月、まるひと月かけて北海道各地を放浪してきました。
 目的は多々ありました---温泉、キャンプ、名所の見学に多少のグルメ、自然をめいっぱい味わうこと---それから、これは超マニアックな趣味としての、運転中のミュージック実験!
 こんなややこしいいい方だとなんのこっちゃさっぱり判らないかと思いますが、なに、よーするにクルマのなかでどんな音楽を流せば北海道の風景にいちばんマッチするのか、という実験(?)のことです。
 発想からして香ばしい暇人臭がプーンと香ってきそうですが、いやいや、イーダちゃん的には結構まじめなつもりです。
 クルマで北海道をさすらうとなると、車中ですごす時間も当然多くなる。
だったら、その時間をただ漫然と運転してるだけじゃあちょっともったいない、お気に入りの Music CDをドカスカ持ちこんで、かたっぱしからそれらを流して、北海道にもっとも似合う音楽というのをひとつ見つけてやろうじゃないの、といったような腹づもりでいたのです。
 で、広大で人口密度の少ない、行けども行けども無人の草原とハンゴンソウの集落がつづく北海道の各所をクルマで飛ばしながら、イーダちゃんはさまざまな Music を聴きまくってみました。
 もうほとんどノージャンル……ブルックナーにグールド、ティボー、モーツァルトのオペラにシューリヒト、パーカーにレスター・ヤングにオーネット、さらにはトルコのウード演奏から百恵、ジャニス、各種のロックまで……なんちゅー節操のなさ、まあ滅茶苦茶なんですが、そうやっていろいろ試した結果ダントツで北海道に似合っていたのが、意外や意外、エルヴィスでした。

 エルヴィス・プレスリー---いうまでもない、ロック界の最初のスーパースター。
 ジョン・レノンのアイドルにして、ロックンロールというジャンル全般を統括するキングのことです。

 古いカントリーのハンク・ウイリアムズなんかいかにも似合いそうだなあと思って、僕はあらかじめ彼の作品をもちこんでいまして、事実、彼の淋しげな Voise はとてもよく北海道景色にマッチしていたんだけど、でも、エルヴィスには敵わなかった。

 北海道の旅において、エルヴィスは無敵でした。
 どこでかけても似合っていたし、サマになってた。

 本土で聴くと、彼のロックってなんというかちょっと過剰なんですよ。
 たしかにこのひと、歌、異常にうまいし、リズム感も人間離れしてる。
 でも、このひと独特の、まったく理性を感じさせない、感情と本能の爆発みたいな傾向の音楽が僕はやや苦手でした。
 あと、あの甘い声を大きく震わせてのエルヴィス・ヴィブラート---これを聴かされると、湿気の多いルイジアナあたりの沼地に自分がずるずると引きこまれていくような感触をいつも覚えるのです。
 あまりの情の濃さに思わずむせかえるような、たまんない感触につい逃げたくなったり。
 あと、スローなバラードを歌うときにたっぷりとふりまかれる、微妙な乳臭さの伴うほのかなマザコン臭……。

 まあ、認めちゃいるけど、ちょいと苦手な存在であったというワケなんですよね。
 ところが北海道という地において彼を聴くと、そうした苦手感覚がみーんな吹き飛んじゃったんです。
 いままで短所と思っていた彼の癖のひとつひとつまでいちいち格好よく見えてきたのです。
 見わたす限りなんもない平原の風景ってね、基本的にしんと淋しいんです。ほんのり寂寥地帯なんです。家もひともなーんもなくて。そういう土地を包みこめる歌があるとすれば、そこにはエルヴィスくらいの情の濃さが必要なのかもしれません。都市に住むクールで薄情な市民なら思わずむせかえっちゃうほどの、至死量ぎりぎりの圧倒的な情の深さってやつが。
 道北のサロベツ原野で聴いたときの彼はとりわけ素晴らしかった。
「マジ? カッコいい。なに、ぜんぜんちがうじゃん……」
 エルヴィスの濃ゆいバリトン・ヴォイスが、なんか凄い普遍性を帯びて、広大な平原のうえをすさーっと風のように流れていくんです。平原と青空のなかにゆっくりと拡散していくんです。草々をなびかせることによって自分の駆けたあとをゆるやかに刻みながら。
 あれは見ものでした。
 ええ、とても綺麗だった---。

 そういえば北海道ってどことなくアメリカの西海岸のオークランドあたりに似てるんですよね。
 10年ほど前ですが、以前、知人のクルマに乗せられてそのオークランドを走っていたとき、カーステから流れるカントリーと周りの風景があんまりマッチしているんでびっくりしたことがあったのを思い出しました。
 アメリカ人がエルヴィスのことを「キング」なんて呼ぶのは、僕はそれまでせいぜいビジネス上での誇張的表現だろう、くらいにしか思ってなかったんですよ。でも、どうやらそれは浅い読みちがいだったみたい、広大なアメリカ大陸で、もしくはそれとよく似た北海道のような土地で流せば、エルヴィスは恐らくとてもよく「鳴る」シンガーなんだと思います。
 もしかしたら、ほかのどんなシンガーよりも。

 野菜や果物にはいわゆる産地というのがありますが、ニンゲンにもそういうのってありますよね?
 ひょっとして僕らはそれと知らず、生まれ育った土地の香りを自分で思っている以上に周りにふりまきながら生きているのかもしれません。
 そーいえば、ライトニング・ホプキンスなんて聴いてると、彼の生まれ育ったテキサスの乾いた風土、トウモロコシ畑、はるかな地平線なんかがなんとなく見えてくることありますもんね。
 北海道ドライヴでの実験結果は、とにかくエルヴィスがナンバーワンでした。
 2位もおなじ、3、4位がなくて5位もまたエルヴィスってくらいの、圧倒的な1位です。
 北海道の地においては、彼の音楽のなかにある無知も野蛮さも、きらきらと美しく照り輝くのです。こいつは敵わねえ。彼が狂ったようにアメリカで売れつづけた理由が肌で理解できた気がしました。
 ジョン・レノンはいまいち。やっぱり彼はリバプール出身ですから、港町の潮風の吹く土地のほうが似合うようです。
 ブルックナーなんかいいかもと思っていたのですが、微妙にちがっていましたっけ。彼もやっぱり本当の意味で「鳴りきる」ためには、背景にドカンとでっかいアルプスが必要なんじゃないかと感じました。
 シベリウスは内気すぎ。
 ラフマニノフ、北海道もロシアも平地同士のせいか、結構よかった。
 井上陽水---どこでもとても鳴るひとなんだけど、ここ、北海道ではやや繊細すぎる感じ。
 ロバート・ジョンソン---グッド! アメリカ南部 Music は概して北海道に合うみたい。思わず泣きそうになりました。
 あと、これはCDじゃなくて偶然ラジオで流れたんですが、松山千春がとてもよかった。
 僕、彼のことは声はいいけど大味だと思って、あんまり好きじゃなかったんですよね。
 でも、北海道で聴いたらやっぱりとても「鳴り」がいいワケなんですよ。本土で聴くよりずっと。
 やっぱりがらーんとした平野では、平野出身者の音楽が強いのかもしれませんねえ。(^o^)/ 

-----以上、北海道サロベツ原野からのレポートです。担当はイーダちゃんでした。m(_ _)m


 



 
 



徒然その11☆ミスター・ジョン・レノン!(^o^)/☆

2010-10-14 01:19:03 | ☆ザ・ぐれいとミュージシャン☆


僕がジョン・レノンと出逢ったのは、中学二年のときでした。
 ちょうどジョンが「Rock'n'Roll」を出して、長い主夫生活に入っていた時代のころです。ですから、当時ジョンは音楽界の第一線からまったく撤退してたワケで、TVなんかには全然出てなかったんですよ。時代はT-rex一色でしたね。グラム・ロックの時代。あと、Kissとかピストルズとか。ただ、僕としては、彼らの発信するRockに、それほど魅かれているという自覚はなかったんですよ。それなりにいいな、とは思ったけど。
 初めて音楽に魂を奪われたのは、神奈川県藤沢市善行中学の昼休みの校庭ででした。
 校内放送でビートルズの「She Loves You」がかかったんですよ。
 そのとき、僕、たしか竹箒でみんなとわいわい遊んでたんですよ。でも、一瞬で気持ちを奪われちゃって、同級生の小林っていうのに(彼、そーゆーのにやたら詳しいマセガキだった んです)、
「なあ、小林、あれ何? いま放送でかかってるの? 教えて。なんて曲?」
 すると、彼、ふふんと小馬鹿にしたような笑いをうかべて、
「なんだ、お前、そんなのも知らないの?(得意げに。うん、そーゆー奴でした)」
「うん、だから教えてって(苛々を抑えつつ)」
「あれはね、ビートルズのシー・ラブズ・ユーって曲。常識じゃん」
 その瞬間以降、中学はもうビートルズ一色でしたね。それ以前の僕のアイドルは極真空手のマス・オーヤマだったんですが、一瞬にしてそのブームは煙になっちゃった(笑)。ギターはじめて、バイトしてレコード買ってね、関連本ことごとく集めて……。で、「A Hard Day's Night」や「Dizzy Miss Lizzy」でVocalをとっている、剃刀みたいな通りのいい声をしたジョン・レノンって男にだんだんと熱中していったワケなんですよ、コレが。
 なにしろジョンは格好よかった。やることなすこと、全部が全部。
 ジョンはインタヴューがまた格好いいんですよ、気まぐれで、男臭くて、奔放で。
 アメリカ上陸の際、あんまり決まりきったことばかり聞かれるのにウンザリしたジョンがある記者に返した応対がこれ、

----アメリカでいちばん嫌いなものはなんですか?
----You……。(苦りきって)

 好きだったなあ、この真正直な答えよう!
 世界のアイドルだった全盛時代、ベトナム戦争について米記者から尋ねられた際の対応も凄かった。

----この戦争は間違ってるよ。アメリカはいますぐ戦争をやめて、ベトナムから撤退すべきだ。

 僕が小学校のときから、毎朝のTVニュースではベトナム戦争のニュースが流れていたんですよね。僕はそれを見ていつもイヤーな気持ちになっていたんだけど、偉い大人も誰でもその大きな戦争についてきちんと答えてくれたひとはいなかった。それをこれほどシンプルに、かつ明快に答えてくれたのは、まさにジョン・レノンだけだったんですよ。
 もー 震えましたね。(ToT;>
 いまのアイドルでいったい誰がこんな返答をします? アイドルじゃなくって芸能人でも誰でも。
 こんな返答をしたらケネディ暗殺事件すらウヤムヤにしたアメリカで今後どうなっちゃうのよ? 殺されるかもしれない。
 むろん、マネージャーのエプスタインだって戦争に関しての返答は差し控えるように前もって警告してはいたんです。
 実際、ポールはいう通りにしてました。
 でも、ジョンはそうしてはいられなかった。損得の問題じゃない、いわずにはいれない気持ちについなっちゃったんでせうね。その結果、どうなろうとも。
 ジョン・レノンのこの正直さ、誠実さには、いつも魅了されます。
 こうしてこれを書いている、いまこの瞬間も。
「Imagine」---名曲だと思いますよ。
 Classicな基礎をもった、いわゆる西洋伝統音楽の文脈のなかでの名曲とはちがう、しかし、この曲の持ってる深いヴィジョン、思想性、あとやっぱりこの曲においても底流してる、なんともジョン流の愚直なまでの「率直さ」---そうした見地から総合的に見てみると、この曲、Bach や Beethoven ももうすでに超えちゃっているのでは、と思ったりもします。
 いや、もしかするとそれ以上、これ、ひょっとして、この2000~3000年間でナンバーワンの曲かもしれません。
 30年前ならこんな意見フフンと鼻先で笑われましたけど、現にいま、世の中だんだんとそっちサイドに動いていってるじゃないですか。
 ただ、僕個人としては、Imagineはあんま好きじゃない。
 ジョン、自分の声にエフェクトかけて、か細いような、なんか弱々しいVocalになっちゃってるじゃないですか、結果的に。
 僕は、好き勝手に気持ち良さげに歌ってる、若い、ゴリゴリのジョンがやっぱり好きですねえ。
 たとえば「青春」ってコトバを聞いて、僕がいちばん最初に連想するもの。
 ふたつ、あります---Schubert の歌曲「美しき水車小屋の娘」(ただし夭折の名テノール、Fritz Wunderlich が歌ってるものに限ります。フィッシャー・ディースカウじゃダメ)---それともうひとつ、それは「恋するふたり」を歌っているときの、ジョン・レノンのあの切ない、張りのある、濡れそぼった声なんですよ。
 あれは、まさに目に見えない命のしずくをふりまきながら歌ってるような、ジョンだけの奇跡のVocalだと思います。
 ジョン・レノン、いま生きてたら、イラク戦争、9.11、それに我が国の尖閣諸島問題、やっぱり黙ってられなかったでせうねえ。
 現にイラク戦争のときは「Imagine」全米でズバリ放送禁止になりましたもんねえ。その理由がいい、兵士の士気を落とすからだって。
「Imagine」と、それを禁止しないと戦争を遂行できない政府と---どちらが正しいかはいうまでもなく自明だとイーダちゃんは思いますけど。
 残念ながら、いまの時代の歯車はいい方向にむかって廻ってはいない、僕はそう感じます。でも、そんなこというとジョンに怒られちゃいますからね。ジョンはいつも明るく楽観的でした。
 で、最後にジョンならではの美しいコトバをひとつあげておきますか。
 
---僕は、ロックフェラーとはまったく違うやりかたでロックフェラーたちと闘いたい。自分たちとあまりにちがってるんで、彼等がどう反撃していいか分からなくなるような、そんなやりかたで。

 おやすみなさい。今夜貴方が見る夢はきっといつもと違うでせう。m(_ _)m

 




徒然その8☆ライトニンを聴くと捕まる。何故だ? (ToT)☆

2010-10-09 19:21:34 | ☆ザ・ぐれいとミュージシャン☆


 Hello、Classicや名作映画の話がつづきましたがね、今日は一転変わって下卑た話、ブルースの話をしませうか。
 下卑た、なんていうと、ブルースやってるひといたら怒るかもしれませんね。御免。m(_ _)m そんな意味じゃないのよ。いいなおしませう。ブルースは下卑てない、むしろ高貴だ、と。ただ、高貴なんだけど、ときとして下卑た面を見せてしまうこともある、ちょうど、僕ら現代のニンゲンみんながそうであるように、と、こういいかえてみませう。これならどうです? (^^;>
 ブルースは、もともとはアメリカの黒人奴隷の音楽でした。
 それがカントリーやら讃美歌やらとフュージョンして、何百年かするうちに、切なくて情けないくせに不思議と逞しい、いかにも人間臭い音楽が自然発生的に出来上がったのです。
 それが、ブルース。(注:向こう流に正確に発音するならブルーズ、です。末尾が濁ります)
 1970年の中ごろまで、ブルースは音楽市場で圧倒的なシェアを占めては……いませんでした。残念ながら。
 ロックやJazzの源流音楽として、多くのミュージシャンからの尊敬と敬意を集めながらも、爆発的に売れるってことは決してなかった。ブルースってリアルな音楽ですから。
 小洒落たデートの際、カーステからいかにも肉体労働者系のダミ声で、

----待ってくれ。頼む、行かないでくれ。見ててくれ、土下座でも何でもする。
  お前に行かれたら、俺はどうしようもないんだ……。

 と、こうこられたら貴方だってちょっと引くでせう? おいおい、なんだよ、これはって。
 そう、お洒落じゃないんです。お洒落のイロハは、生臭いものを上手に隠すことからはじまりますからね。
 リアルなもの、汗くさいものが恥ずかしい時代がだんだん忍び寄ってきていたのです。洗練されたものが美しく、素朴なものがダサイとされる時代、人間が人間であることを恥じ入るるような---そう、あの暗黒の80年代が……。
 80年代に青春を送ったイーダちゃんがこういうのもなんですが、率直にいって80年代は非常に居心地、わるかったですね。
 ところが、そんな時代にも決してメゲず、戦前とおなじく唾を飛ばしながらブルースを歌い捨てる、長生きのじいちゃんミュージシャンがおりました。
 それが、かのライトニン・ホプキンスでした。
 邦訳すると「稲妻ライトニン!」
 くはーっ、うさん臭え! でも、このうさん臭さって素敵に人間臭いじゃないですか。
 大学の先輩の寮の部屋でライトニンの「モージョハンド」を聴かされたイーダちゃんはふっとびました。
 だって、小節がてんででたらめなんですもん。ブルースの基本は、4/4/4/4の12小節、ですが、ライトニンが演ると、それが4/5/5/4とか気分によって伸びたり縮んだりするのです。これに合わせるベースマンこそ冷や汗もん。
 ですがですが---このアドリブが格好悪いかといえばとんでもない!
 マドンナやマイケル・ジャクソンより(当時、彼等、全盛時代でした)はるかにはるかに格好いいんです。
 特に「モージョハンド」中間部のギターソロには痺れましたねえ。
 ロックンロールの生みの親のひとりである、あのレイ・チャールズがライトニンのことをこんな風にいってます。

------ライトニン・ホプキンスを超えるブルースなどあるものか。

 というわけで、今年の8月に1か月の北海道旅行を試みたイーダちゃんは、車中でどんな音楽を流せばいちばん北海道の空気に似合うのか、いろいろと試行錯誤しながら愛車を駆っていたのです。
 あれは富良野のR237でした。ブルックナーが終ったところでCDを入れ替え、今度はよし、ライトニンだ、とアクセルを踏みこんだとき、なんと真後からパトカーが!
「げっ。ヤバ」
 スピード違反でした。50キロの道を78キロで走っていたから。18,000円の罰金でした。
 イーダちゃんはちょっと腐りましたが、腐るより実はびっくりしていたのです。
 というのはその1月前の7月4日、東北道を愛車で北上していた際、やはりそのときもライトニンを聴きはじめた直後、イーダちゃんはおなじように岩手県警の覆面パトカーに捕獲されていたからです。
 ライトニンとポリス、これ、似合うんです、とても。
 ライトニンの胴間声が流れている車内の窓ガラスを、ポリスが斜め後ろから片手でとんとん叩いてきて。
 そこをめいっぱい苦めな渋り顔を作ったイーダちゃんが、ゆっくり窓をあけるってワケですよ……ブルージーだなあ!
 てなわけで2か月のあいだに2回もポリスに捕獲されてしまったイーダちゃんなのですが、じゃあ、ライトニンには懲りたかと問われればとんでもない! むしろ、もっと骨がらみのブルース・フリークになっちゃったよ、と、イーダちゃんはにこにこと笑って答えることでせう。
 ビバ、ライトニン、ビバ、ブルーズ!
 
 
 
 

徒然その7☆ジョルジュ・エネスコのヴァイオリン☆

2010-10-09 14:49:10 | ☆ザ・ぐれいとミュージシャン☆
 映画のレヴューをどしどし集めて、むりやりブログにブチこんじゃったんで---初めてのブログにはしゃいじゃったんだよー---そーとー読みにくい、繋がりのない展開になっちゃいました。(コレは読みにくいぜ!)読んでくれてるひとがいたらスミマセンm(_ _)m

 さて、映画レヴューがずーっと続いたんで、今回は話題を変えて、ひとつ音楽話など♪
 
 では、大ピアニスト、ウラディミール・ホロヴィッツにつづいて、イーダちゃんが死ぬほど熱愛してるふたりめの音楽家、それは、ルーマニア出身のヴァイオリニスト、ジョルジュ・エネスコさんでーす!(^o^)/
 自分的には結構これだけで盛りあがっちゃうんだけど、エネスコ、一般的にはあまり知名度ないですからねえ。一応解説をば。
 
  ジョルジュ・エネスコ。
  1881年ルーマニア生まれのヴァイオリニストにして作曲家。

 
 
 実はこのひと、ガス灯時代の大ヴァイオリニスト、クライスラーやティボーと並んで「世界3大ヴァイオリニスト」なんて呼ばれていた時代があったくらいの大音楽家なんですよね。
 ルーマニアにはこのひとの名前を付けた村があるくらいの名士。
 王女と結婚したりしてね、もう栄華の極み。
 ただ、本人的には自分はヴァイオリニストなんかじゃなくて作曲家だと思っていた。だもんで、あまり演奏には積極的でなく、これほどのクラスの音楽家としては録音も驚くほど少数しか残してないんです。
 知名度も同時代のカザルスやコルトーなんかに比べると劣るなあ。音大生やマニアしか知らない感じなんですもん。
 でも、でもね---このひとの音楽は超・凄いんです。
 僕がエネスコを知ったのは、ホロヴィッツと比べてだいぶ遅かったんですが、はじめて彼の「音」を聴いたとき、僕ぁ一瞬で胸苦しくなっちゃいましたね。
「なんじゃ、これは!?」と思った。
 祈りの音だと思った。歯ぎしりしながら祈ってるひとだけが出せる、そんな音楽だって。
 で、気がついたらマニアの日々でした。当時は彼のCDなんてほとんど出てなかったんで、(インターネットもまだまだ未発達でした)日々の仕事のあいまに神保町の古レコード街をさかんに巡礼しましたよ。
 いま、彼の音楽をいちばん出してて、かつ知名度があるのは、うーん、やっぱ、オーパス蔵さんかなあ。
 復刻専門のビドルフもいいけど、彼のCD、希少価値でいま一枚三万円はするんで、これはちょっとお薦めできません。
 何がお薦めかというと、やっぱりヘンデルのホ長調のヴァイオリン・ソナタでせう。
 これは、凄いっスよ。マジ。(x.-)
 僕、ブログの先に書いたホロヴィッツは超好きなんですけど、彼の感覚を突きつめた果ての世界ってね、あんまり鋭敏すぎてほとんど病者の世界なんですよ。そう、辺り一面に無明の霧のたちこめた彼の世界は、他者と世界への恐怖に満ち満ちていて、そこからときどき覗き見る彼岸の世界はとても美しいんだけど、なんというか救いがない。
 三島由紀夫がそういえば「感覚」だけじゃ世界は救えないっていつかいっていましたね。
「感覚」や「美学」というのは、本来崩れていくのがその本筋。だから、世界を救おうと思ったら「美学」だけじゃダメ、それには「理念」と「思想」とが必要なんだって。
 エネスコのヴァイオリンには、それがあるんです。
 なんか、ヴァイオリンの弓を弦にこすりつけるたびに松ヤニの粉が細かく飛ぶんだけど、エネスコの場合、それがただの松ヤニじゃなくって、自分自身の命を削りながらでてくる燐粉なんじゃないか、と思っちゃうくらいの音を出すんですよ。
 聴いててとっても痛い音。でも、物凄く染みる音……。
 ジョルジュ・エネスコ---20世紀前半を代表する大音楽家です。以後、お見知りおきを。(^^;>


あ。全然関係ないけど、イーダちゃんは nifty温泉におなじ「イーダちゃん」名でクチコミのマイ・ページもってます。
 この8月、ちょうど北海道を一周してきたばっかりなんで、温泉に興味ある方はそちらのほうもどーぞです。(^^;

徒然その1☆ウラディミール・ホロヴィッツについて☆

2010-10-09 12:07:11 | ☆ザ・ぐれいとミュージシャン☆
    

 はじめてこのひとの音楽に触れたのは高校時代---。
 当時高二だった僕が自宅テレビで何気にチャンネルをひねったら、「ホワイトハウスのホロヴィッツ」という番組がやっていたのです。当時の僕はあまりクラッシックには興味なかったんですが、まあ見てみたんですよ。当時の大統領のカーターさんとにこやかに語りながら、ひとの良さげなおじいちゃん---このひとがホロヴィッツでした---がでてきて、よいしょとピアノに腰かけて、いきなりラフマニノフ編曲の「星条旗」を弾きだしたんですが、
 その音!
 最初の和音の刹那の轟きだけで、僕はもうホロヴィッツにKOされちゃいました。
 爆烈。なんちゅうパワー……ちょっと、これは信じられない……いま思えば、あれは、異常な演奏というべきなんでせうねえ(XoX;>
 ホロヴィッツは曲の形式なんかてんで無視して、ムソルグスキーを弾くような圧倒的なパワーでもって、なんとも無慈悲に、残酷なタッチでこの曲を楽々と弾ききっちゃいました。のちに浅田彰がその著書「ヘルメスの音楽」(ちくま学芸文庫1995)のなかで、このときのホロヴィッツの演奏について触れているのを見つけたときは嬉しかったですね。
 いや、浅田さんもいっておられますが、あれはマジ、怪物的な演奏でした。
 イーダちゃんは、あれ以来、ホロヴィッツに魂を吸いとられてしまったのです。
 で、いまだに吸われっぱなしってワケ……(^.^;>

 ホロヴィッツの藝術をひとことでいうなら、「魔神」、ですかねえ。
 ありあまるテクニックと青白い火花の飛び散る激情という点において、このひとを超えるひとっていないんじゃないかなあ? 
 ええ、同郷の大ヴァイオリニスト、ナタン・ミルシュタインもいっているように、このひと、リヒテルやポリーニより芸術家としてのランクは確実に上だと思いますよ。そのあたりの真実は今後の歴史がこれから証明してくれるでせうけど。
 現在残ってる録音でお薦めのモノはといえば……69年のCBSから出てるシューマンの「クライスレリアーナ」あたりかな。LP時代にこれと一緒に収録されていた「クララ・ヴィークの変奏曲」もいいですね。
 どちらの演奏も激ヤバランク。末期のシド・ヴィシャスよりはるかにヤバい……。
 まっとうな暮らしを営んでいる市井の市民なら、たぶん7回生まれ変わってもこんな禍々しいピアノは弾けないんじゃないでせうか。煉獄の底でのたうちまわる罪人たちの気持が手に取るようにわかってこれちゃう、一種悪魔的な演奏です。
 あと、これはマニア向きの推薦になっちゃうかもしれないけど、52年の5/4、ジョージ・セルと一緒にやってるチャイコフスキーのピアノ協奏曲。いま出回ってる53年の1/12のヤツとは違うので、そのあたりは誤解なきよう。
 これ、海賊盤になっちゃいますけど、苦労して手に入れるだけの価値のある、おっそろしい演奏です。
 この迫力に匹敵するのは、全盛期40年代のチャーリー・パーカーか、ジミヘンくらいしかいないんじゃないかと思います。
 ほとんど音楽という領域すら踏みはずしているような破綻だらけの演奏なんですけど、この爆烈ピアノは人間業なんて軽々と飛びこえちゃってますからねえ。思わず笑いがでちゃうくらい物凄い。笑って笑って、我に返ってからゾッと冷や汗、みたいな---。
 機会があれば、ぜひ、聴いてみてやってください。(^.^;>

 
 注:あ。ちなみにこのとき---ホワイトハウスの星条旗---のホロヴィッツの演奏、youtube horowitz whitehouse で視聴可能です。