Hello、Classicや名作映画の話がつづきましたがね、今日は一転変わって下卑た話、ブルースの話をしませうか。
下卑た、なんていうと、ブルースやってるひといたら怒るかもしれませんね。御免。m(_ _)m そんな意味じゃないのよ。いいなおしませう。ブルースは下卑てない、むしろ高貴だ、と。ただ、高貴なんだけど、ときとして下卑た面を見せてしまうこともある、ちょうど、僕ら現代のニンゲンみんながそうであるように、と、こういいかえてみませう。これならどうです? (^^;>
ブルースは、もともとはアメリカの黒人奴隷の音楽でした。
それがカントリーやら讃美歌やらとフュージョンして、何百年かするうちに、切なくて情けないくせに不思議と逞しい、いかにも人間臭い音楽が自然発生的に出来上がったのです。
それが、ブルース。(注:向こう流に正確に発音するならブルーズ、です。末尾が濁ります)
1970年の中ごろまで、ブルースは音楽市場で圧倒的なシェアを占めては……いませんでした。残念ながら。
ロックやJazzの源流音楽として、多くのミュージシャンからの尊敬と敬意を集めながらも、爆発的に売れるってことは決してなかった。ブルースってリアルな音楽ですから。
小洒落たデートの際、カーステからいかにも肉体労働者系のダミ声で、
----待ってくれ。頼む、行かないでくれ。見ててくれ、土下座でも何でもする。
お前に行かれたら、俺はどうしようもないんだ……。
と、こうこられたら貴方だってちょっと引くでせう? おいおい、なんだよ、これはって。
そう、お洒落じゃないんです。お洒落のイロハは、生臭いものを上手に隠すことからはじまりますからね。
リアルなもの、汗くさいものが恥ずかしい時代がだんだん忍び寄ってきていたのです。洗練されたものが美しく、素朴なものがダサイとされる時代、人間が人間であることを恥じ入るるような---そう、あの暗黒の80年代が……。
80年代に青春を送ったイーダちゃんがこういうのもなんですが、率直にいって80年代は非常に居心地、わるかったですね。
ところが、そんな時代にも決してメゲず、戦前とおなじく唾を飛ばしながらブルースを歌い捨てる、長生きのじいちゃんミュージシャンがおりました。
それが、かのライトニン・ホプキンスでした。
邦訳すると「稲妻ライトニン!」
くはーっ、うさん臭え! でも、このうさん臭さって素敵に人間臭いじゃないですか。
大学の先輩の寮の部屋でライトニンの「モージョハンド」を聴かされたイーダちゃんはふっとびました。
だって、小節がてんででたらめなんですもん。ブルースの基本は、4/4/4/4の12小節、ですが、ライトニンが演ると、それが4/5/5/4とか気分によって伸びたり縮んだりするのです。これに合わせるベースマンこそ冷や汗もん。
ですがですが---このアドリブが格好悪いかといえばとんでもない!
マドンナやマイケル・ジャクソンより(当時、彼等、全盛時代でした)はるかにはるかに格好いいんです。
特に「モージョハンド」中間部のギターソロには痺れましたねえ。
ロックンロールの生みの親のひとりである、あのレイ・チャールズがライトニンのことをこんな風にいってます。
------ライトニン・ホプキンスを超えるブルースなどあるものか。
というわけで、今年の8月に1か月の北海道旅行を試みたイーダちゃんは、車中でどんな音楽を流せばいちばん北海道の空気に似合うのか、いろいろと試行錯誤しながら愛車を駆っていたのです。
あれは富良野のR237でした。ブルックナーが終ったところでCDを入れ替え、今度はよし、ライトニンだ、とアクセルを踏みこんだとき、なんと真後からパトカーが!
「げっ。ヤバ」
スピード違反でした。50キロの道を78キロで走っていたから。18,000円の罰金でした。
イーダちゃんはちょっと腐りましたが、腐るより実はびっくりしていたのです。
というのはその1月前の7月4日、東北道を愛車で北上していた際、やはりそのときもライトニンを聴きはじめた直後、イーダちゃんはおなじように岩手県警の覆面パトカーに捕獲されていたからです。
ライトニンとポリス、これ、似合うんです、とても。
ライトニンの胴間声が流れている車内の窓ガラスを、ポリスが斜め後ろから片手でとんとん叩いてきて。
そこをめいっぱい苦めな渋り顔を作ったイーダちゃんが、ゆっくり窓をあけるってワケですよ……ブルージーだなあ!
てなわけで2か月のあいだに2回もポリスに捕獲されてしまったイーダちゃんなのですが、じゃあ、ライトニンには懲りたかと問われればとんでもない! むしろ、もっと骨がらみのブルース・フリークになっちゃったよ、と、イーダちゃんはにこにこと笑って答えることでせう。
ビバ、ライトニン、ビバ、ブルーズ!