北京・胡同窯変

北京。胡同歩きが楽しい。このブログは胡同のあんな事こんな事を拙文と写真で気ままに綴る胡同お散歩日記です。本日も歩きます。

第171回 北京の胡同・(続)永勝巷 未完成なれど三日会わざれば刮目して見よ。

2017-12-11 12:31:53 | 北京・胡同散策
後日、永勝巷におじゃましたら、出入口付近に変化は見られなかったものの、
中に進むと未完成ながら前回とはだいぶ違っていました。

そこで、今回は前回ご紹介した8号院の前から、その変貌ぶりをご覧いただきます。


タイルが一枚一枚丁寧に貼られていました。
地面も新しくなりました。その意匠だけではなく、水はけがよいように
工夫が凝らされています。


門扉も門環もともに新しくなりました。


門楼の上にはお洒落な瓦が葺かれ、門簪も取り付けられ、しかも「吉祥」の文字。


前回、作業員さんがタイルを貼っていた外壁です。


いつ、この大きな「永勝巷」と書かれた表示板が、内城の胡同や大柵欄地区の胡同と
同じようにその外壁に貼られるのだろうと気になっていたので、ちょっとほっとして
います。






突き当りの外壁にも飾りが付けられています。
わたし的には、なかなか似合う、と思う。


突き当りを北方向へ。
「不通行」、つまり、通り抜けられない路地ですが、一歩一歩かみしめるように
歩きたくなってしまう小径。


どこのお宅のものかわかりませんが、これから飾りつけがなされるようです。


窓枠も新しく。









近くまで出かけた折、ふと立ち寄ってしばし静かにたたずんでいたくなるような、
そんな小さな路地。




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第170回 北京の胡同・永勝巷 今は昔、斗母宮のあった路地ー工事中でしたー

2017-12-07 10:27:54 | 北京・胡同散策
永勝巷。
“不通行”と書かれている。
日本の場合だったら、「通り抜けられません」と言ったところだろう。



胡同を歩いたり、胡同について調べたりしていると、昔の北京には
寺廟など宗教施設の多かったことに気付く。
ここ、永勝巷もその一本だ。

場所は小喇叭胡同と同じく永安路沿い。二本東側にある。



胡同関係の本によると、今は昔、ここには道教宮観があったという。
名称は“斗姥宮(とろうきゅう/ドウラオゴン)”。
“斗姥”は別名「斗母(ドウムー)」で、北斗七星の母親のことだ。
建てられたのは康熙四十三年(1704年)。
そこで地名を“斗姥宮(とろうきゅう/ドウラオゴン)”といったと
光緒《順天府志》にはあるという。
その後「西斗母宮」と改名され、1965年に現在の「永勝巷」となった。
斗姥宮が建てられてから、かれこれ300年以上の歳月が流れているわけだ。



現在は一部改築、一部改修中だ。















この先は目下工事中のようだ。
いったんは日を改めて出直そうかと思ったが、可能な範囲で記録として
写真を撮っておくことにした。









突き当たりの8号院を東に曲がると、案の定改修工事中だった。



外壁にタイルを一枚一枚丁寧に貼ったあとの確認作業中。



そこで、わたしもちゃっかりとしゃがみ込み、しばし作業を見学する。
作業員さんは作業員さんで、
「どうです、うまいもんでしょ、ちゃんと写真に撮っておいてくださいね」
と思ったかどうかは定かではないが、カメラを向けると、作業の結果がよく
見えるような体勢をとってくれた。おおらかな作業員さんだ。



写真を撮ってから、よっこらしょと声に出して立ち上がり、思い出したように、
もう少し奥へ行ってみた。



この胡同は短い。突き当りを北へ行くと、あっという間に北端だ。



写真奥に玄関が見える。そこがこの胡同の最北端。
この日は、残念ながらこれ以上は先へ進めない。

引き返すと、8号院の玄関周りを先ほどの作業員さんが計測中だった。
「仕事はキッチリやらせてもらいますよ」、スケールをかまえる背中が
そう語っているように見えた。



タイル貼りは、まだまだつづく。


ちなみに、タイルの長さを測らせてもらったら、24センチ、6センチ、
厚さ1センチ2ミリだった。



日を改めて再び訪れることにして、次の胡同へと向かう。




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