今回は、侯位胡同(HouweiHutong/ホウウェイフートン)を散策しました。
当日歩き出したのは、前回ご紹介した「北鮮魚巷」沿いにある東出入口から。
まずは、名称や形状の移り変わりについて、ざっとご紹介させていただきます。
〇明の時代
次の地図を見ると、その名称は不明ながら胡同自体はあったことが分かります。
上の地図は、2007年刊『北京胡同志』(主編段柄仁/北京出版社)所収
「明北京城街巷胡同図 万暦ー崇禎年間(公元1573-1644年)」より。
オレンジ色の部分が「侯位胡同」です。
〇清の時代
『デジタル・シルクロード|古都北京デジタルマップ』所収「乾隆京城全図」で確認したところ、
上掲の地図と同じくその名称は不明ですが、上掲の地図と同形であることが分かりました。
地図は著作権の都合により省略しました。
ご興味をお持ちの方はご面倒ですが、次のURSにてご覧ください。
https://dsr.nii.ac.jp/beijing-maps/
「乾隆京城全図」の「0004 乾隆京城全図:vol.10」です。
〇民国期から現在まで
1947年から現在名が使われているようですが、文化大革命中に一度「前鋒胡同」という名称に改められた
ことがあるそうです。
なお、「侯位胡同」という名称にみられる「侯位」という言葉から、この胡同には高い位の人物が
住んでいて、そのことが名前の由来かな? と考えていたのですが、残念ながら不明であったことを
お断りしておきます。
次の地図は、同上書所収「北平旧城街巷胡同図(1949年)」からお借りしたもの。
オレンジ色の部分。明や清の時代とは違い、東西方向に走る道の西側の部分が消失しています。
次の地図は同上書所収「建国門地区」よりお借りしたもので、時代は2007年頃。
次の地図は「百度地図」より。
さて、冒頭で「侯位胡同」と書かれたプレートをご覧いただいたわけですが、このプレートは
実は冒頭より二枚目の写真左手に写っている公共トイレの外壁に貼られていたもの。
その外壁には、こんなプレートも貼られていました。
「名称」とあるところに注目すると、このトイレの名前が「侯位胡同14号対」ということが確認
できます。「侯位」の「侯」の字が「候」になっている点に関してはさておいて、普段考えても
みなかったことなのですが、トイレにもちゃんと名前がついている点がおもしろい。お蔭さまで
世界がひろがったような、なにかとっても得した気分で今回の胡同歩きのスタートを切ることが
できました。(^O^)/
次の写真は先ほど登場した「侯位胡同14号」の屋根越しの風景。
秋の胡同の風物詩の一つ、ザクロ(石榴)が実っていました。
ザクロは一般的に豊穣や多産を象徴していると言われているので、胡同にいかにもふさわしい景色だ
と、つくづく感じ入った次第です。そういえば、ザクロは鬼子母神が右手に持っていましたね。
次の写真に写っているのが、侯位胡同14号院の玄関。
次の写真はその柱に貼られていた門牌。もう少しで見落とすところでした。
屋根の一部にも細かい植物模様が施されていました。往年の邸宅の立派さを想い起こさせる
一部かもしれません。
次は14号院の向かい。
わたし好みの雰囲気いっぱいで感激しました。
今にも“何か”出て来そうです。
個人的感想はさておいて、こちらの洋館、もともとの住所はわからないのですが、現在は前回
少し触れた蘇州胡同16号院内の一部ではないかと思われます。
上にご紹介した14号院と洋館の前から少し行くと、右を向いても左を見てもアパートが
ありました。
当日は国慶節の少し前だったので国旗がひるがえっています。
この国旗があったのは10号院。
玄関の上には円形の鏡。
余談ですが、胡同でこの鏡に合うたびに思うことは、儒教、仏教、道教、陰陽五行説、おそらく
それ以上に古くからあるさまざまな民間信仰について、もっと知るように努めないと、という柄
にもないことなのです。小人閑居して不善をなす。不善ばかりなしてまいりました。少年老い易く、
学なり難し。もうとっくに老いております。学などこれっぽっちもありません。しかし、胡同歩き
と同じく、生きることにゴールなく、トライあるのみ。
と、いうわけなので10号院沿いの道端に置かれた可憐な植物群を撮りましたのでご覧ください。
可憐な植物群の先には「福」の字の貼られた玄関。
この福の字を撮った後に気付いてしまいました。
屋根越しに、なんだかわたしを惹きつける華風洋館があるではありませんか。
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当日歩き出したのは、前回ご紹介した「北鮮魚巷」沿いにある東出入口から。
まずは、名称や形状の移り変わりについて、ざっとご紹介させていただきます。
〇明の時代
次の地図を見ると、その名称は不明ながら胡同自体はあったことが分かります。
上の地図は、2007年刊『北京胡同志』(主編段柄仁/北京出版社)所収
「明北京城街巷胡同図 万暦ー崇禎年間(公元1573-1644年)」より。
オレンジ色の部分が「侯位胡同」です。
〇清の時代
『デジタル・シルクロード|古都北京デジタルマップ』所収「乾隆京城全図」で確認したところ、
上掲の地図と同じくその名称は不明ですが、上掲の地図と同形であることが分かりました。
地図は著作権の都合により省略しました。
ご興味をお持ちの方はご面倒ですが、次のURSにてご覧ください。
https://dsr.nii.ac.jp/beijing-maps/
「乾隆京城全図」の「0004 乾隆京城全図:vol.10」です。
〇民国期から現在まで
1947年から現在名が使われているようですが、文化大革命中に一度「前鋒胡同」という名称に改められた
ことがあるそうです。
なお、「侯位胡同」という名称にみられる「侯位」という言葉から、この胡同には高い位の人物が
住んでいて、そのことが名前の由来かな? と考えていたのですが、残念ながら不明であったことを
お断りしておきます。
次の地図は、同上書所収「北平旧城街巷胡同図(1949年)」からお借りしたもの。
オレンジ色の部分。明や清の時代とは違い、東西方向に走る道の西側の部分が消失しています。
次の地図は同上書所収「建国門地区」よりお借りしたもので、時代は2007年頃。
次の地図は「百度地図」より。
さて、冒頭で「侯位胡同」と書かれたプレートをご覧いただいたわけですが、このプレートは
実は冒頭より二枚目の写真左手に写っている公共トイレの外壁に貼られていたもの。
その外壁には、こんなプレートも貼られていました。
「名称」とあるところに注目すると、このトイレの名前が「侯位胡同14号対」ということが確認
できます。「侯位」の「侯」の字が「候」になっている点に関してはさておいて、普段考えても
みなかったことなのですが、トイレにもちゃんと名前がついている点がおもしろい。お蔭さまで
世界がひろがったような、なにかとっても得した気分で今回の胡同歩きのスタートを切ることが
できました。(^O^)/
次の写真は先ほど登場した「侯位胡同14号」の屋根越しの風景。
秋の胡同の風物詩の一つ、ザクロ(石榴)が実っていました。
ザクロは一般的に豊穣や多産を象徴していると言われているので、胡同にいかにもふさわしい景色だ
と、つくづく感じ入った次第です。そういえば、ザクロは鬼子母神が右手に持っていましたね。
次の写真に写っているのが、侯位胡同14号院の玄関。
次の写真はその柱に貼られていた門牌。もう少しで見落とすところでした。
屋根の一部にも細かい植物模様が施されていました。往年の邸宅の立派さを想い起こさせる
一部かもしれません。
次は14号院の向かい。
わたし好みの雰囲気いっぱいで感激しました。
今にも“何か”出て来そうです。
個人的感想はさておいて、こちらの洋館、もともとの住所はわからないのですが、現在は前回
少し触れた蘇州胡同16号院内の一部ではないかと思われます。
上にご紹介した14号院と洋館の前から少し行くと、右を向いても左を見てもアパートが
ありました。
当日は国慶節の少し前だったので国旗がひるがえっています。
この国旗があったのは10号院。
玄関の上には円形の鏡。
余談ですが、胡同でこの鏡に合うたびに思うことは、儒教、仏教、道教、陰陽五行説、おそらく
それ以上に古くからあるさまざまな民間信仰について、もっと知るように努めないと、という柄
にもないことなのです。小人閑居して不善をなす。不善ばかりなしてまいりました。少年老い易く、
学なり難し。もうとっくに老いております。学などこれっぽっちもありません。しかし、胡同歩き
と同じく、生きることにゴールなく、トライあるのみ。
と、いうわけなので10号院沿いの道端に置かれた可憐な植物群を撮りましたのでご覧ください。
可憐な植物群の先には「福」の字の貼られた玄関。
この福の字を撮った後に気付いてしまいました。
屋根越しに、なんだかわたしを惹きつける華風洋館があるではありませんか。
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