北京・胡同窯変

北京。胡同歩きが楽しい。このブログは胡同のあんな事こんな事を拙文と写真で気ままに綴る胡同お散歩日記です。本日も歩きます。

第208回 北京・北鮮魚巷 少しだけですが、残っていました。

2018-10-22 16:07:28 | 北京・胡同散策
中鮮魚巷を歩いていた時に出合った男性が、
「南鮮魚巷はもうありませんよ。」
そして、
「北鮮魚巷は残っているけど、ほんのこれだけ」
と、両手で残っている胡同部分を示しながらその短さを教えてくれました。

中鮮魚巷に続いて「北鮮魚巷(Beixianyuxiang/ベイシエンユィシヤン」を歩いてみたのは、
男性が教えてくれた「ほんのこれだけ」を自分の目で確かめるためでした。

まずは、この胡同の名称や形状の移り変わりをご紹介させていただきます。

〇清の時代

「土地廟下坡」。「下坡」は「シアポー」と読み、下り坂を意味しています。

次ぎの地図は2007年4月発行『北京胡同志』(主編段柄仁/北京出版社)所収
「清北京城街巷胡同図乾隆十五年(公元1750年)」より。
緑色の部分が「土地廟下坡」。



〇民国期

同上。次の地図は上掲書所収「北平旧城街巷胡同図(1949年)」より。



〇新中国成立後

1965年に現在名「北鮮魚巷」に改名されました。
次の地図は2007年に発行された上掲書所収「建国門地区」からお借りしたもの。
そのため現在の「北鮮魚巷」とは違っていることをお断りしておきます。

緑色の部分が、2007年頃の「北鮮魚巷」。



〇「百度地図」上に見られる2018年現在の「北鮮魚巷」。緑色の部分が「北鮮魚巷」。
上の2007年頃に比べると短くなっているのがわかります。2018年現在の地図では
北が「麻线胡同」からはじまっているのに対して2007年頃の地図では、北が「麻
线胡同」よりさらに一本北側の胡同からはじまっています。




さて、次ぎの写真は、中鮮魚巷北出入口のすぐ近くにある南出入口から北方向を
撮ったもの。

左手の塀の中は蘇州胡同61号院という、ちょっとおしゃれなアパート群。



左手に写っているのも、やはり蘇州胡同61号院の一部。



お次の写真の駐車場の東側に見える白い建物は「北京信誼酒店」という宿泊施設の
一部かと思われます。


このホテルは2012年11月開業で、客室が122部屋もあるそうです。住所は郵通街9号。

“北鮮魚巷”という胡同を歩きはじめたばかりだというのに、右を向いても左を見ても「北鮮魚巷」と
いう住所表示は見当たりません。ちょっと不安になってきました。




上の写真左手の電信柱に、やっとのことで「北鮮魚巷」という表示を発見。
現在歩いているところが確かに「北鮮魚巷」であることがわかり、ほっとしました。



電信柱の先に「御麒麟烤鸭店」という、北京ダック店がありました。



住所が表示されていないので携帯でこのお店について調べてみました。
すると「北鮮魚巷61号」とあったので、やはりほっとしました。
でも、それもつかの間。

この住所、なにか怪しく、おかしい。

このお店の「北鮮魚巷61号」という住所番号が、先にご紹介した「蘇州胡同61号院」の番号と
重なっています。これは単なる偶然か。



このお店、只今休業中とのこと。今後どうなるのか、まったく不明です。


北京ダック店の脇に「地鉄快餐」というファーストフード店がありました。





お店のデザインが地下鉄の車両になっているところが、なんとも可愛らしい。
しかし、現在は北京ダック店と同じく休業中のようで、しかも今後どうなるのかも
さっぱりわかりません。

住所もちゃんと表示されていないので、やはり調べてみました。
すると、「蘇州胡同38-1附近」(360地図より)と、まことに曖昧な書き方。
なんとも情けない話。


地鉄快餐の向かい側。「北京信誼酒店」の外壁の様子。





地鉄快餐の前をほんの少し行くと、左手に路地がありました。



ここは、後日ご紹介予定の「侯位胡同」です。



さらに少し歩くと、ありました、ありました。やっとありましたよ。





こちらのお宅の玄関には、「北鮮魚巷13号」と書かれた門牌がちゃんと貼ってありました。
まちがいありません。たしかにここは「北鮮魚巷」。これで安心。



しかし、ひょっとして、中鮮魚巷で出会った男性が「ほんのこれだけ」と教えてくれた
現在残っている「北鮮魚巷」の部分とは、こちらの「北鮮魚巷13号」から次にご覧いただく
この胡同の北出入口までのことだったのではないか。



上の写真の奥を横切っているのは「麻线胡同」。
大きなビルは「英大国際大厦」というオフィスビルで、建てられたのは2009年。
住所は建国門内大街乙18号院。



もし、この胡同が門牌の貼られている「北鮮魚巷13号」から北出入口のところまでだっ
たとしたら、「北鮮魚巷」の地図は次のようになってしまいます。

オレンジ色の部分がそれ。



今回歩いてみてわかったことは、「2018年の今、たしかにここは北鮮魚巷だ!!」と
自信を持って言えるのが、上の地図のオレンジ色の部分だけだ、ということでした。

このオレンジ色の部分は、たとえて言えば、再開発という嵐の中でわずかに消え残ったロウソクの炎、
といったところでしょうか。

いけないと思いつつも、そんなことを考えてしまうと、当日は見上げれば一面の青空だったにも
かかわらず、柄にもなくちょっとおセンチになってしまいました。

北鮮魚巷。
少しだけでも残ってくれてありがとうー(^O^)/


結びとして、次に北出入口から南方向を見た北鮮魚巷をば。





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