「土器の体型や紋様の意味」を解明することを楽しく行っている。
しかし、中部山岳地帯の土器は、解明が難しい。
今少し時間と経験の積み重ねが必要である。後日。意見や考えを述べることにする。
今まで「北黄金貝塚公園」の土器は詳しく調べていなかった。
身近にある北黄金貝塚の土器を扱ってみようと思う。
一部分だが「上坂式土器」の口縁を提示してみた。
およそ7000年前という土器の拡大である。
左の方に細い糸のような縦線が見られる。画像が明白でないが何となくわかる。
大学生が見学に来ていました。
「この土器の口縁を拡大してスマホで見てごらん」
線のあるのを納得して見ていました。
この線のある土器(繊維土器)は、どのようにして製作したか知りたいものです。
単に粘土を積み重ねるようにした輪積みの方法では解決できない。
北黄金貝塚の土器の中では、一番すばらしい土器でないかと思っている。
「アルトリ式土器」(上坂式土器)といって「縄文紋様」以前の土器といわれている。
どの様な構造になっているのか知りたい。
ここにも細い糸状のものが斜めに縦に見られる。
土器を細部にわたって見ることによって、今まで思いもしない新しい発見があり楽しい。
不思議なことだらけである。
製作過程が分からない。
土器を詳しく細かく見ると、体型や紋様の意味を解き明かすヒントがある様にも思える。
今まで、土器紋様の解明を、なぜ積極的になされていないのか これも不思議に思う。
土器を読み取ることは縄文時代の人々の文化や意識(精神性)を知ることにもなる。
土器というりっぱな記録を残してくれた。
縄文楽 浄山
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