21縄文土器・和歌山
1、はじめに
「紀ノ川の北岸の川辺・里・中筋日延にまたがる遺跡で、標高11.5m前後の沖積低地に縄文時代後期から中世までの集落が営まれています。」
以上が解説文です。
2、土器の解読
器形が丸底です。これは、浅く広い湖沼か河口と考えています。
紀の川を調べるのです。絵図を拝借しています。
丸底土器の風景が表れたのです。
紋様がはっきり見られませんが紀の川の流れを縄文で模されていると思いましたがはっきりしません。無文は静かな流れと思われますが検討が必要です。
3、終わりに
流れの表現に波(縄文)を模していると思っていたが模様のないものもあるようだ。満足感のある解読ではありません。課題を残す。
浄山
付記
以前に解読した土器を載せます。
和歌山県の串本町大水埼遺跡の縄文土器です。
この海岸は縄文時代の頃からも同じ景観だったと思います。
口縁の突起が二つです。海岸の写真から「尖った岩の風景」が気に入りました。きっと、縄文ヒトも同じだったと思います。この風景を土器に表していると思います。あるいは、湾の両岸の山かも知れません
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/3d/91a9d8ebe58027c19a43d6b74132ed72.jpg)
土器の胴部の模様ははっきりしませんが「湾」の光景と似ている様に感じました。
この土器は、祭祀用として使われたと思います。風光明媚に感謝でしょうか。
縄文楽 浄山
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