1.はじめに
「フゴッペ洞窟」は余市の海岸から200メートルほど内陸、海に向かってのびた丘陵の先端部分にある洞窟。およそ5000年前の縄文海進による波浪侵食によってえぐられてできた海食洞で、続縄文時代後半に彫られたと推測される刻画が残っています。」
「手宮洞窟遺跡」と線刻模様の壁画は似ています。」と解説があります
続縄文時代の土器ですが、フゴッペ洞窟からたくさん出土してます。
この大きな土器の上の方に大きく引き伸ばして見づらいですが、洞窟が描かれているようです。アーチ状で現しています。
2、土器の解読
その後 来た人が、壁画を鉄器で彫ったのでしょう。
縄文人は、壁に傷はつけるようなことはしません。
すると、オホーツク人等が疑われます。
この洞窟に住みついた人は、遠いふる里を「渡り鳥」などに願いを託していたと思います。それで「鳥を人型」にしてと言うことでなく「人を鳥型」にしていたと思えます。「主体は人間です」
壁画で「削られている」所がありますが、何か事情のあった人の所だと思います。
十文字の羽は、遠くから羽ばたいて飛んできた鳥だと思いました。
それで渡り鳥(白鳥)とします。縄文の心を持つ人は前面に出ることはしません。
3,終わりに
「すべてのものが共に生きる」が鉄則。
「鉄」を使って石に彫っていると思います。
縄文人はこのような行為はしません。
縄文人はこのような行為はしません。
縄文楽 浄山