「加曽利E式土器」の年代を知る基準土器になっています。
縄文時代の頃は、加曽利貝塚は海岸の近くだったのは、海水面が上昇していたといえます。貝塚は「日本一大きい」といっても良いくらいです。この多くの量の貝(ハマグリ)をどのようにして食したのでしょう。
さて、土器ですが、前回の東京都の土器も「干満」を表現する模様がついていました。
干潟で生活をしている人の土器としました。
土器形体が細長く遠くまで続いているように思います。何本も筋のある干潟ができています。一部拡大していますが、縄文の模様なので「海」を表し、無地の所は干潟としました。
「おらの世界を土器に表す」
このコトバを原則にして土器を眺めています。
縄文楽 浄山
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