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(縄文土器)「研究・現状」
『縄文土器研究に大きな足跡を残しているのは山内清男です。多くの苦難を乗り越えて縄文土器の本質に迫りその研究に一生を捧げたいわば縄文の神様ともいうべき大先覚者だったのです。』
『縄文土器の編年的研究がスタートした大正時代の中頃からで正規の学問研究がおこり、型式論研究が起動にのってきたのです』
このように専門書に述べられています。
ところが、
土器のデザインを対象とした型式論研究の進め方だと偏りがあるように思うのです。
そこに、ヒトの心や生き方が表にでていません。
土器の器形や模様は
実際に見ている人が描いているはずです。山や海を見ている人は山や海を描くことができるのです。
デザインを真似るという行為の必要性はあるのでしょうか。土器の器形や模様には見ている風景が画かれていると思います。
現実を見据えた進め方が必要と感じます。
北黄金貝塚の「すべてに命がありすべてが生きる」ということばが基底になっています。
「おらの里山を土器に表す」
「土器の器形は地形で模様は生活環境」が仮説として成立すれば楽しいと思います。
縄文楽 浄山
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