縄文の風

「北黄金貝塚公園」を中心に
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「縄文土器」の解読がおもしろい。

縄文土器

2020年09月16日 | 闇の縄文

縄文楽の「縄文土器」

縄文土器の解読は未だに行われていない。縄文土器の本を見ても「系統」「型式」などの文言が多く意味がはっきりと理解できない。

ところで、縄文人は意味の無い土器や土偶を作るとは思っていない。誰でもモノを作る時に「意味」の無いモノを作るだろうか。

土器を見る視点がちがうようであった。土器の器形や模様に「意味」を感じないような解釈が述べられていることが多い。

北黄金貝塚の「全てのモノに命があった」というコトバを縄文ヒトの「心」(意識)として土器や土偶も考えるように心がけている。

土器にも土偶にも命があると考える。命のある土器の扱い方はいかがだろうか。単なるモノとしての扱いに過ぎない。もっともである。土器の器形や模様の読み取りができていないので仕方のない事であろう。

なぜ、解読に時間をかけないのかも不思議である。縄文人は程度の低いヒトであり精霊のなせることと考えている。

土器は自分たちの 生活している環境つまり「自分達の世界」を表しているのです。
アボジニアルの人たちは「絵」で表します。
縄文人は「土器」に表現したのです。

縄文土器は縄文ヒトが生きている世界を描いている。衣食住の資源を自然から得ている。自然に感謝しなくてはならない。得ている自然を土器に記して、感謝して送るのであった。土器は送りの道具でもあった。

縄文時代が一万年以上も続いたのは、自然との「共存・共生」を徹底して実行していたからだと考える。世界にも類をみない生き方である。

縄文土器の解読が必要だ。

縄文楽 浄山

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