縄文余話・世界観
縄文人と現代人と世界観がそんなにちがうものだろうか
縄文人を特別扱いしている感じがする。
「縄文楽」は縄文人と現代人と そんなにちがいないという意識で 特別扱いは していない。
意識は縄文人と現代人と変わりない同じ人間であると考えている。
現代人と 縄文人のちがいが多少あることは認めるが。
縄文人と 現代人の世界観というものを比較できないものだろうか。
まず 述べる前に「意識」を自分なりにまとめてみました。
「三重丸」を描きます
一番中心になる円は 生き物の 生きるための「 本能」といってもいいかもしれない。
「本能」が中心になります
その周りを「人間」的行動(生活)を設定しました。
「人間」として生きていくのには食べて生命を保 つ行動になると考えています。
この行動までを縄文人の行動と当てはめてみたのです。
外側の円は「遊び」です。
言語活動も活発化し闇から明るい時間を過ごすことが多くなったのか食べること意外にも自由に行動するようになってきたのです。
絵画 音楽 娯楽など他機能に生活を求め出したのです。
反対に食べることができなくなると内側の円の闘争本能に働きかけて食べ物を求める行動を始めると考えてみました。
やがて、 他の人の食べ物を奪う行為を行うのです。戦争に拡がります。
食べ物を食べて生きる 行動は 縄文時代も 現代人も同じ円内なのです 。
ただ 現代人は遊びというものが生活時間の中に多く入ってくるのです。
これが 現代人の世界観を作っていると考えてみました 。
絵画 音楽 娯楽 芸能など笑いも入ってきたと感じます。
縄文人から見たらぜいたくな暮らしでどうでもよい時間といえます。
縄文楽 浄山
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