縄文の風

「北黄金貝塚公園」を中心に
噴火湾沿岸の遺跡情報を発信します。

「縄文土器」の解読がおもしろい。

「ゴミ」は無かった

2019年01月06日 | 縄文楽
「縄文の心」と言うことを考えると、縄文時代の最盛期であろうが「欲」などの「意識」が出せなかった。
「意識」が無かったと言えないか。

  次の文面は、ある遺跡の「盛土遺構」の解説文を引用させてもらっています。
『竪穴住居や大きな柱穴などを掘った時の残土、排土や灰、焼けた土、土器・石器などの生活廃棄物をすて、それが何度も繰り返されることによって周囲より高くなり、最終的には小山のようになりました。土砂が水平に堆積しているので、整地されていたと考えられます。中から大量の土器・石器の他に、土偶やヒスイ、小型土器などまつりに関係する遺物がたくさん出土しています。』

「縄文の心」とは「名誉」「損得」「営利」等の意識は無かった。人や動物の差もなく、全てが共に生きていくと言う「縄文の心」を常に当たり前の事として無意識に備わっていた。

我々ならば、「欲」が働き、糸魚川の「ヒスイ」ならば、捨てた物なら「ゴミ」と思い、自分の物にするかもしれない。

縄文人には、「ゴミ」という意識はナイ。

盛り土遺構は、モノ送りの
『神聖な場』であったのだ。

廃棄物とは、縄文人がかわいそう。


  
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