気軽に茶道をしてます。

日々のお稽古とともに、できるだけ手作りのお菓子で
お茶を楽しんでいる様子や、四季折々の変化もお伝えします。

行之行台子の自主練を

2015-06-30 00:39:22 | 日記
 
サフラン擬(もどき)が咲き出しました。

今月も今日でおしまいですね。
来月の月末には、私がお点前当番で、行之行台子をさせていただきます。
やっとしつらえの準備ができ、練習をはじめました。

行之行台子は、炉よりも風炉の方が簡単ですが、やはり足が痛くなりました。

家では竹の台子擬き、唐物茶入れ擬き、唐物茶碗擬きでの御稽古になりますが、
形だけまねるもどき擬き)にならないよう、
権威の象徴であった唐物茶入れに唐物茶碗を扱っている心持ちで
お点前ができたらと思っています。

夕化粧から白粉解を

2015-06-29 00:31:38 | 季節の花々
  
庭に一週間前から咲きだしましたラッパ型の花があります。
お昼にはしぼんでおり、蕾のままの花が、
夕方には咲きだし、不思議な花だなっとおもっていました。
そういえば、昨秋咲いた花から、お寺の鐘のような形をした黒い種が、
その辺に散らばっていたのを。オシロイバナでした。
 
一つのオシロイバナに咲く花は黄、赤と白や斑入りなど種々様々だそうで、
学校で習った、メンデルの法則の学習にも利用されております。
また昔からおしろいばなの遊びも行われております。
オシロイバナのパラシュート遊びを孫に教えてみようかな。

15時  16時
夕方の4時頃から咲くそうで「夕化粧」(ゆうげしょう)とも言われ、
夕方以降に活動する昆虫に対しては、色や香りで引きつけます。
白粉(おしろい)をした女性に魅せられるからなのでしょうか?
実は熟した黒いタネをつぶすと白粉のような”白い粉”が出てくことから
オシロイバナと。名づけたのは、あの養生訓の貝原益軒さん。
白粉の時代での移り変わりを調べてみました。
古代ではもち米の粉が使われ、江戸時代には鉛粉から作られた 
「京白粉」や水銀から作られた「伊勢白粉」が有名であったが、
有毒なので、現代では無毒な二酸化チタンを用いているそうです。

日本人は昔から今と同じく「美白」に走っており、特に江戸時代の庶民は
京白粉に及ぶもない白ですが、自然から取れるオシロイバナで代用することで、
貧しくも白くなることに関しては健康的であったことは面白いです。

白粉は茶道に関しては、薄茶器・香合の一種で『白粉解(おしろいとき)』ですね。
元々は化粧用具の白粉を解く容器を利用したことに始まり、
後にその形を取り入れた小型の平棗です。
中棗と平棗の中間の寸法で、比較的太短い形状を呈します。
また特に小さいものを香合に利用しております。

蓮の葉に露が

2015-06-28 00:08:08 | 季節の花々

法華寺の山門前を通りました。
蓮鉢が両脇に数個並んでおり、
蓮の花が咲いておりました。
日本の風土に相応しい花ですね。
 


蓮の葉にもですが、里芋の葉もよくこのような写真が見られますね。
どちらも葉の表面には、微毛が生えており、撥水性があるため、
雨露は葉面から浮き(ロータス効果ハス効果とも)、水晶玉のように光り輝きます。
 
『ひさかたの 雨も降らぬか 蓮葉に 溜まれる水の 玉に似たる見む』右兵衛
 *雨でも降ってくれ、蓮の葉に溜まった水の玉に似たさまを見よう

古くから輝く蓮の葉は、清きものとされており、
食べ物を盛る最高の皿や、杯(象花杯・荷葉杯)としても用いられています。

そういえば先日お邪魔した萬福寺塔頭の瑞光院(半夏生)で、
荷葉露という蓮の実のお菓子をいただいており、
また紹介させていただきます。


フウラン(風蘭)のゆかしい香りで

2015-06-27 00:26:27 | 季節の花々
  
ゆかしい香りで気が付きました。
フウラン(風蘭)が咲いていました。
数年前にはたくさんの鉢があり、植え替えも毎年のようにされていました。
今では冬もそのままにし、手もかけないので、鉢数は少なくはなりましたが、
有難いことですが、きちんと、咲いてくれております。
・・・・・
水苔を替え、株分けをしなくてはいけませんね。

風蘭は老木などに着生するラン科の常緑多年草です。
 『風蘭や岩をつかんでのんだ松
 『風蘭や軒にもたれし松の枝
 『風蘭のほのかに白し鉄燈籠
          と子規は詠まれております。
6月から7月には白い花柄を出して数輪の花をつけ
上品ですっきりとした芳香を放ちます。
花弁は三裂し、距(きょ)とよばれる長い管が後方に伸びるのが特長です。
名の由来は、風に乗って木に止まったように見えるからとか、
樹上の風を見て茂るからだともいわれています。

江戸時代には「富貴蘭」と呼ばれ、葉っぱや花に変異のある様々な品種が栽培され
安政二年「風蘭見立鏡」には118品種があったそうです。
最近では戦後、榊莫山さんがブームにされたとか。
五鉢の風蘭が
その『莫山家の茶懐石のおもてなし』世界文化社では
風蘭の香りの中での点心と「水無月」の菓子後の一服の茶
風蘭の世界に浸ってくださいとのこと。
このような風流な茶事はしたいものですが、
風蘭の花が咲く時と上手く合わないとね。

春日大社へ

2015-06-26 00:33:59 | 散策


 
孫が創立記念日のためお休みということで、七五三の写真を撮りに
式年造替中の春日大社へ出かけました。
母親の友達のプロのカメラマンにですよ。(子育て中のため、平日のみ)

第60次式年造替は20年に一度執り行われる社殿の修築大事業で、
現在、神様は仮殿におられ、お参りはやや左側に向かってくださいと書かれてありました。
御礼に、孫の分も合わせ、檜皮を二束、お供えさせていただきました。


あまり屋根にまで、目が届きませんが、
茶室の屋根はどんな葺き方をされているのでしょうか。
利休居士は、草庵の小間を好み、草庵を茶の湯の主流と位置づけておられ、
屋根は、なるべく低く、茅葺や杮葺で軽やかに形づくられております。
さように茅葦などの草葺(くさぶき)が多いようで、
そのほかには檜皮葺(ひわだぶき)、大和葺(やまとぶき)、
杮葺(こけらぶき)、瓦葺(かわらぶき)、銅板葺(どうばんぶき)などがあり、
現在では、法的な規制により、銅版葺や瓦葺が多くなっています。

なおアジア系の方々がたくさんお参りされており、
珍しいのか、孫と一緒に写真を撮ってくださいました。(自撮棒も)
1時間の予定が、2時間近くかかりましたが、
撮られている間は、嫌な顔一つせず、愛想を振りまいておりました。
『馬子にも衣装』
つい馬子を孫と言い換えてしまいますが、
使い方が間違えており、してはいけないんです。
 
ありがとうございました。

法華寺の門前に『不許酒肉五辛入門内』とは

2015-06-25 00:41:25 | 散策
  
『不許酒肉五辛入門内』
法華寺の前に、「不許酒肉五辛入門内」の石碑が建っております。
いわゆる結界石で、多くの寺の門前にあります。例えば
「不許葷酒入山門」「不許葷辛酒肉入山門」「禁酒肉五辛入門内」
「不許酒肉五辛入門内」「禁葷酒」「山門禁葷酒」「不許芸遊客」
「禁芸術売買之輩」など。

・・・酒や臭の強い物を持ち込んでは修行になりません、
   心構えを持ってお寺にお入りください。・・・

つまり五辛(ゴジン)とは
『梵網經』に説かれる四十八軽戒の第四食五辛戒の中に
「若佛子。不得食五辛。大蒜革葱慈葱蘭葱興蕖。
是五種一切食中不得食。若故食者。犯輕垢罪」よりで、
葫(にんにく)・韮(にら)・薤(らっきょう)・葱(ねぎ)・蘭葱(ひる)。
ニラの花
なおヨガではこれらを食することを推奨されておりますが・・・、
仏教は インドと中国をへて日本へ、ヨガはどうして

法華寺は総国分尼寺として当然なことですが、禅寺でも見受けることができます。
宗派により違うそうですが。

なお茶道で『結界』とは(茶道大辞典より)、
風炉先屏風の代用品として道具畳と客畳を仕切る衝立のことですね。
枕足がついており、高さ一尺八寸以下、横幅三尺、五寸~一寸五分です。
座障または座頂ともいい、
のちに一枚板や竹一本で代用されております。

寺の結界石から多くのことを学べました。
大変ですが、勉強あるのみですね。

  本堂を南門より望む


海龍王寺の会津八一の歌碑へ

2015-06-24 00:21:41 | 会津八一の歌碑
 
  『しぐれのあめ いたくなふりそ こんだうの
        はしらのまそほ かべにながれむ
』大正19年(1921)
ここ海龍王寺にも会津八一の歌碑が
 この寺の西金堂の古びた白壁に、
 柱の色が赤くにじんでいるのを実際に見て詠まれており、
  金堂の柱の真(まそお・朱の顔料)がとけて 壁に流れてしまうから、降らないで
 
西大寺へのバス道から一歩山門をくぐると
なにか流れている時間が違います。
  
参道から表門を入ったところに御坊様が一人、
二言、三言、人が少なく、良い雰囲気ですねとお話しすると
春や秋には一日に二千人の参拝者があるのですよ。とのこと
参拝者は私だけ、
   
金堂に、
十一面観音像さまが、幕の間から隠れるように、ありがとうございます。
前には、日本や世界各地のお水が供えられており
横をふと見ると、みうらじゅんさん(イラストレーター)のお供え物がありました。
そうだ、ならひとまち大学の講座にみうらじゅん×住職さんとの特別講座があり、
応募したが・・・残念。
受付の方は、御住職で『イケ住』と呼ばれておられる有名人でした。
国宝五重小塔
八一の歌碑があるのは、この西金堂の左手の奥
草に覆われておりました。

別名は「隅寺」という「海龍王寺」
何気にいいですが、 
雨が近いのか、カに追われながら、山門を後にしました。

風炉後炭手前を

2015-06-23 00:39:56 | お稽古
竹籠花入
今日のお稽古はお一人、昼過ぎから風炉後炭手前の予定ですが、
二日続きでの先生方のお稽古に行かせていただいた疲れからか、
梅雨のだるさもあり、だらだらと準備をしておりました。
あっという間にお昼になり、気をひきしめてお稽古を。

風炉灰整え定座に据え、殻炭入れてぬれ釜かけ蓋を切りました。
 
後炭準備;炭斗に炭を組み火箸、鐶、香合、組釜敷、羽箒、香合
灰器に藤灰、灰匙、水次に濡れ茶巾、竹の蓋置を口にさして完了です。

炭手前とは、手順は簡潔で無駄なく火が起こり、釜にもよく当たり、
湯が沸くように考えられております。
『炭おくも習ひばかりにかかはりて 湯のたぎらざる炭は消え炭』利休百首
---少々形が悪くても、よく湯のたぎるように炭をつぐのが、炭手前である---

『てまえ』を変換するときに気が付きました。
お茶をたてる所作は点前、炭を置く所作は炭手前
漢字で書けば別ですが、意味はほぼ同じです。

家元との一門一答No.11には
  本来は「手前」と書く言葉の方が古いようです。
  この「手前」という言葉はどこから出てきたかというと
  「建前(たてまえ)」から出てきたとの説があります。
  建築物の「建」、前で何かを建てる、作り上げる、
  そういう意味で「建前」から始まって、
  自分の目の前で手で成すというところから「手前」となりました。
  しかし、寺の作法の中には、中国に絡んだお茶を点ずる
  「点茶」という言葉があります。ここからお茶を点てる時に
  「点前」という言葉が使われるようになりました。
と記述されています。
なお参照として、中国の寺の作法
百丈清規」(ひゃくじょうしんぎ)という仏教儀戒の規範の中に
「点茶点湯」という言葉があります。

夏至には何を召し上がりますか

2015-06-22 00:00:30 | 日記

日付がかわり、24節気の夏至の日になりました。
冬至ならかぼちゃ、夏至は・・・

夏至から11日たった7月2日の半夏生(雑節)なら、あるんですね。
節分なら『豆』、土用の丑は『うなぎ』、そして半夏生は『タコ』。
タコ足のように作物の根がよく張るようにとの願いからだそうです。
ここ奈良では半夏生餅(小麦餅、さなぶり餅)、
実をいえば、聞いたことないのですが、
簡単なレシピ、これからのお稽古にさしあげようかな。

讃岐では半夏生うどんということで、7月2日はうどんの日だそうです。
関東地方では新小麦の焼き餅等
田植えが終わり、麦の収穫と関わりがあるのでしょうね。
そして福井の越前大野では半夏生サバ(焼サバ)、
夏はごまサバで真サバの旬は秋から冬、意外ですね。

 虫が

今日の奥伝稽古は、真の炭、真の行台子、大円之真を見学させていただきました。
来月は、私がお点前当番、行の行台子を見ていただくことになりました。
気が重くなりますが、試練なくして、上達なし。
ありがたく試練をいただきます。
練習あるのみですね。

貴人清次濃茶付花月之式を習いました

2015-06-21 00:29:37 | 主菓子とお干菓子
 
なでしこ:樫舎(かしや、奈良)
「草の花は、なでしこ。唐のはさらなり、大和のもいとめでたし」
  枕草子 清少納言
  

しも柱:澤鹿文明堂(徳島)
周りを薄く包む和三盆から透けて見える淡い色合いが綺麗で、上品なお菓子ですね。
「糸寒天とグラニュー糖を練り合わせて作った半生菓子で、表面に和三盆糖をまぶしてあります。
冬の朝に立つ霜柱のようにグシャリとした食感をお楽しみ下さい。」と説明が

今日は大先生の御稽古の日で、
三友之式と貴人清次濃茶付花月之式を教えていただきました。
「三友」とは、お花、お香、薄茶を一連の中で行うのですが、
一気にこれだけ楽しめるのはとても嬉しいです。
貴人清次濃茶付花月之式はとても疲れました。