気軽に茶道をしてます。

日々のお稽古とともに、できるだけ手作りのお菓子で
お茶を楽しんでいる様子や、四季折々の変化もお伝えします。

秋篠寺の三つの歌碑に会津八一も

2018-10-21 07:52:00 | 会津八一の歌碑
『会津八一』さんの歌碑、頭からすっかり忘れておりましたね。
そういえば近くの『秋篠寺』の歌碑はまだ訪れておらず、先月、
所用で平城公民館へ寄る前、小一時間ほど訪れるつもりが・・・
歩みが遅かったのか電車が一本遅れになり、さらに裏側からの道
うろ覚えの頭の中の地図を頼りに歩いて行き、回り道したみたい
時間がなくなり、秋篠寺・東門前を通っただけだけに。
東門9/25、10/19

 
        秋篠寺全体図(パンフレットより)
今回は同じ轍を踏まないよう、余裕をもって出かけました。
バス道の東門、すこしモミジが紅葉したようです。
左手の細い道を進むと、開山されたとされる善珠様のお墓、

メモ)
秋篠寺は、奈良時代末期780年頃、光仁天皇・桓武天皇の勅願寺
でも詳細は不明で井上内親王と他戸親王の怨霊を鎮めるためとも
平安時代末期に戦火により七堂伽藍の大部分が焼失、鎌倉時代に
現本堂(国宝)が講堂の跡に再興されたが金堂や東西両塔の跡は
雑木林に。なお本堂には25体の仏像が安置され、目を奪われる。
本尊は薬師三尊像、左端に堀辰雄の″このミュウズの像″の名文
により著名になった諸技諸芸の守護神の伎芸天(重文)様、頭部
は天平時代の乾漆造りで造形の優美さと写実性は素晴らしい。

さて住宅地の細い道を廻り込むと赤い鳥居が見えます。
南門前すぐ横にあり、秋篠寺の元鎮守神「八所御霊神社』で、
案内板では春日大社の末社三十八所神社の本殿の旧社殿で、
室町時代のもので、早良親王(崇道天皇),伊予親王,藤原夫人、
橘逸勢,文屋田宮麿,藤原廣嗣,吉備大神,大雷神天皇をお祀りに
八所御霊神社

そしてその右手には秋篠寺南門がひっそりと。
南門

門から苔むした林に囲まれた参道が伸びております。


参道を15m程の左側に、やや黒い歌碑がぽつんと佇んでおります。
八一と小さく彫られており、会津八一の歌碑に違いありません。
秋篠寺で詠まれた三首のうち第3首でやっとお会いできました。        
あきしの の みてら を いでて かへりみる 
  いこま が たけ に ひ は おちむ と す

秋篠の み寺をいでてかへりみる生駒がたけに日はおちむとす
          鹿鳴集・南京新唱(第49首)より 

今の秋篠の里は競輪場や新興住宅街になり、面影はない。

廻り込み裏には「昭和庚戌」と、建立は昭和45年(1970年)に


秋篠寺で詠まれたの残り2首を記すと、
第1首)
たかむら に さし いる かげ も うらさびし 
       ほとけ いまさぬ あきしの の さと

東塔跡

第2首)
まばら なる たけ の かなた の しろかべ に 
     しだれて あかき かき の み の かず


         鐘楼付近の白壁と柿

秋篠寺にはあと二つ歌碑があり、どちらも伎芸天を詠まれる。
JR東海より

諸々のみ佛の中の伎芸天 何のえにしぞわれを見たまふ
                      川田 順
 表 

贅肉 なき肉置の 婀娜に み面もみ腰も ただうつつなし
                     吉野秀雄
「あまりじし なきししおきの たをやかに
         みももみこしも ただうつつなし」
表 

さあ、本堂にて仏様方にお会いしましょう。

法華寺さんにある会津八一の歌碑の訪問で思わぬ読経が聴けました

2016-10-14 16:35:00 | 会津八一の歌碑
自動車各社とも、車のリコールの報道をよく聞きますが、
我が家の愛車にも通知が届きました。
使用者の観点からすると、日本のモノ作りも危ないのかと
つい考えてしまいがちですが、
情報公開が進んでいるからなので、良いことですね。
(相方からM社を除きなさいと:懲りない会社やーと
 10年前株で損をした相方は怒り心頭、まあまあ)
そんな訳で、引き取りに来させばよいものを、先日
リコール修理へ車を持って行きました。
多分洗車してくれるはずとの期待からと、もう一つ
約二時間の待ち時間に、『法華寺』さんの境内にある
会津八一の歌碑に会いに行ってまいりました。
もう少し後の10月22日以降でしたら正倉院展に合わせて、
国宝の十一面観音菩薩立像等の御開帳もあるのにと
お思いでしょうが・・・ゆっくりできないのですもの。
境内の中には、昨年香道体験には伺っておりましたが・・・

現在のような伽藍、本堂・鐘楼・南大門に再興されたのは、
豊臣秀頼と淀君で、関ヶ原の戦いの後の慶長六年1601年で、
平城京跡から歩くと、南大門(重要文化財)に至りますが、

閉まっており、法華滅罪之寺の石碑が横に。
格式ある門跡寺院であることを示す「筋塀」が
白い筋が5本あり最高位、さもありなん。
塀沿いに東に進むと、朱塗りの赤門(東門)があり入り口に
 
本堂と華楽園の拝観料は700円ですが、時間がないので
本堂だけ500円を支払い、会津八一さんの歌碑はどこにと
お聞きすると、直ぐそこにと教えていただけました。
袴腰のついた入母屋造の鐘楼堂を本堂へ向かうと

直ぐ側に、さぬき庵治石の歌碑が、でもひびが二つも、
裏に、昭和40年11月3日入江泰吉光枝建之と。
  
ふぢはらのおほききさきを 
   うつしみにあひみるごとく
         あかきくちびる
』     
「藤原の大き后をうつしみに相見るごとく赤き唇」

早く歌碑の十一面観音菩薩立像さんに会いたいもの、
十一面観音菩薩立像(国宝、榧かや材の一木造)
十一面観音菩薩立像ご分身(白檀の一木造)
でも、本堂前には日通の美術品輸送車が停まっています。

ブラブラしておりますと、南大門横に歌碑を見つけました。
 
いにしへの古き堤は年ふかみ池の渚に水草生ひにけり
万葉歌碑(山部赤人万葉集巻三 378 門跡:久我高照尼筆)
ー詠故太上大臣藤原家之山池歌ーと
不比等の邸宅跡に建てられたのが、法華寺ですから
護摩堂があるこんな池をさしているのでしょうか?

護摩堂反対側に、赤い花『ギョリュウバイ・御柳梅』が
 
ほどなくして車は出て行き、本堂の障子が開き、
お二人の尼僧様が二人の学者?をお見送りに出てこられます。
 
さあ本堂内へ入らせていただくと、私だけ。
扉の閉まった御本尊の十一面観音菩薩立像と四神、
そしてインド政府から頂かれた立派な白檀一木造の
十一面観音菩薩ご分身にご挨拶をしておりますと、
右手の維摩居士像(重文)の庫裡から読経の声が・・・
(維摩居士像は木心乾漆造、高さ92,7cm、天平時代の作)
堂内全体ににひびきわたります。
唱和されているお声を聴かせていただいておりますと、
自然と手を合わせます。和やかな気分に・・・
十一面観音菩薩さまに抱かれたようにも感じられ
偶然の暫しの時に感謝です。

先ほどの車や学者風の方たちから考えてみますと、
どこかの美術館への出張から帰られたばかりで、
お戻りの読経だったのではないでしょうか?

なんと、イタリアでの文化庁主催の『日本仏像展』
ローマ市クイリナーレ宮でこの7月から9月まで開催でした。
遠いところまで、日本のためご苦労様です。

読経が終わられ、シーンとしお堂内を巡っておりますと
1歳過ぎの子を連れられた妊婦さんとお母様がお参りに。
安産にと私も一度孫のために、『お守り犬』を頂いており、
光明皇后様のお考えのもので、護摩木の灰と土を混ぜ合わせ
寺伝どうりに尼僧さまの手によります。
また厄除けにもなるとのことです。(HPから)
10月22日から御本尊様のご開帳に是非足を運んでくだされば。

車は、云わずと洗車していただいておりました。アリガトウ

新薬師寺の新と会津八一の歌碑の関係は

2015-11-17 17:38:24 | 会津八一の歌碑
今朝からも、炉開きのお稽古でお二人
御善哉から始めました。
 
炉は久しぶりですが、楽しんでいただけました。

新薬師寺について、もう一つの目的がありました。
本堂に向かう西側の土塀沿いに、苔むした歌碑が。
今までに見た歌碑は新しいものが多く、
説明文もなく、通り過ぎてしまいそうでした。
昭和17年3月頃に東京で奈良を想って詠まれ、
そして建てられた会津八一先生の最初の歌碑です。
ちかづきて あふぎ みれども みほとけ の 
     みそなはす とも あらぬ さびしさ

クリックで拡大
大意:近づいて仰ぎ見ても仏さまは
     自分を見ておられないようでさびしい
八一の眼病治癒への願いが込められた歌だそうです。
実は私は
ご本尊の薬師如来様を詠まれていると思っておりましたが、

本尊薬師如来の胎内仏の香薬師様なのです。
高さわずかに二尺四寸の金銅立像で、
半眼の眼差で、微笑しているようにおみうけしますが・・・
本堂右端にレプリカが祀られております。
 まなざしに注目
八一の眼病治癒への願いは・・・、
半眼の香薬師像と大きく見開かれた薬師如来様は
ともに眼病治癒に効力がある、つまり
霊験あらかたな薬師如来様を祀ったお寺ということで、
あらたかな薬師寺=新薬師寺に。

悲しいことに香薬師像は、碑建立1年後の昭和18年に、
3度目の盗難に会われ、現在も不明です。
八一はこれを知り、
「自筆の碑は、今は空しくその堂の前に立てり」と  
これを素材にした推理小説「平城山を越えた女」を
作家内田康夫が書いておられます。

新薬師寺南門から入るとすぐ右側に、
忘れさられたように、もう一つの歌碑があります。
 
神将立つ 内陣涼し 薬師窟 月甫

新薬師寺といえば、やはり十二神将立像なんですね。
庫裡などをすこし

歌碑側 裏側
庫裡に
  

薬師寺の会津八一歌碑は水煙から

2015-11-07 06:53:52 | 会津八一の歌碑
薬師寺にも会津八一の歌碑が西塔の横にあり、
東塔が修理中、イメージが湧きませんが、ご紹介します。
 
すゐえん の あま つ をとめ が ころもで の 
    ひま にも すめる あき の そら かな
 
(水煙の 天つ乙女が 衣手の      
     ひまにも澄める 秋の空かな)
東塔の水煙に彫られた天女たち、音楽を奏でて
飛翔する彼女たちの衣の袖の間にさえ、
美しく澄んだ青い秋の空が見えるではないか。

実際は塔は高く水煙の暇などは見えませんが、
作者の絶妙な美的想像力で創り出されております。
西塔ですが、雰囲気だけでも
透かし彫りの『火炎』の中に飛翔する天女が
彫りこまれており、今は水煙と呼びますが、
明治頃に、『火炎』の火の字を嫌い、水煙となりました。
 
佐々木信綱も東塔の歌を詠んでおりますが?
 行く秋の 大和の国の 薬師寺の  
      塔の上なる ひとひらの雲
 
想像力をかきたてる会津八一の歌碑を見ながら、
金堂の薬師如来様にもご挨拶をせなば、帰れません。
 
  外から
ほほ笑みに、うっとりしながら、
東の隅にひっそりと佇む東院堂へ
 外から
白鳳仏を代表する国宝の聖観世音菩薩が安置されており、
あまりにも薬師如来様が有名すぎて、陰に隠れておられます。
四方には鎌倉時代の四天王像が守護され、
お堂を訪れる人は少なく、優雅な時が過ごせますよ。

猿沢池にある会津八一の歌碑と采女祭りは

2015-08-24 07:31:26 | 会津八一の歌碑
日曜日、朝の9時過ぎなのに奈良は30度を超える中、
安保法制反対のため、座り込まれておられる方たちと
優しいお顔の行基様が迎えてくださいました。

東大寺へと向かう坂道を登りきると
先ほどの喧騒を離れ、若草山が迫ってまいります。
奈良へようこそといわんばかりに・・・

興福寺へ曲がるところまで来ると
もう、鹿が。
こんな早くから観光客もぞくぞくと、
本当に外国からの方々ばかりで、
数年前までの、夏の閑散としただるーい風景から
一変しましたね。
 
でも鹿たちは、朝から暑いのか道路わきの溝を見つけ、
体を横たえてたり、のんびりとする鹿も
 
興福寺は今、金堂再建中ですが、
東金堂や五重塔、反対側には南円堂も見渡せる
この場所、人も少なくなんともいえません。
イーゼルをたてかけようとお探しの方も・・・
 
しばし五重塔を見上げますが、
周りに建物が少なく、大きさがあまり実感できません。
京都東寺に次ぐ50mの高さがあり、国宝なのに、
相輪のスクラップ代で売られるという話が先行しますが、
相輪もご紹介しましょう。
薬師寺・東塔の水煙みたいに有名ではありませんが、
リンとした端整さがありますね。

52段もある石の階段を下り、やっと猿沢池に到着。
会津八一先生の歌碑にたどり着きました。
裏には、丁寧に説明もあります。

「わぎもこが きぬ かけやなぎ みまくほり
      いけをめぐりぬ かささしながら」
 采女が愛を失って入水する前に掛けたと伝えられている
 衣掛柳を見たいと思って猿沢の池をめぐり歩いた。
 折からの雨に傘をさしながら。

池の畔に、采女と衣掛け柳の伝説が書かれた石碑も。

今年の采女祭りは中秋の名月の9月27日、楽しみですね。
采女神社のピンク色でハート型の絵馬も
乙女心をくすぐるかもしれません。

なお最近は、この管絃船の乗船体験もできるそうですよ。

残念ながら今朝は晴天で、情緒を感じ取れませんが。
 

海龍王寺の会津八一の歌碑へ

2015-06-24 00:21:41 | 会津八一の歌碑
 
  『しぐれのあめ いたくなふりそ こんだうの
        はしらのまそほ かべにながれむ
』大正19年(1921)
ここ海龍王寺にも会津八一の歌碑が
 この寺の西金堂の古びた白壁に、
 柱の色が赤くにじんでいるのを実際に見て詠まれており、
  金堂の柱の真(まそお・朱の顔料)がとけて 壁に流れてしまうから、降らないで
 
西大寺へのバス道から一歩山門をくぐると
なにか流れている時間が違います。
  
参道から表門を入ったところに御坊様が一人、
二言、三言、人が少なく、良い雰囲気ですねとお話しすると
春や秋には一日に二千人の参拝者があるのですよ。とのこと
参拝者は私だけ、
   
金堂に、
十一面観音像さまが、幕の間から隠れるように、ありがとうございます。
前には、日本や世界各地のお水が供えられており
横をふと見ると、みうらじゅんさん(イラストレーター)のお供え物がありました。
そうだ、ならひとまち大学の講座にみうらじゅん×住職さんとの特別講座があり、
応募したが・・・残念。
受付の方は、御住職で『イケ住』と呼ばれておられる有名人でした。
国宝五重小塔
八一の歌碑があるのは、この西金堂の左手の奥
草に覆われておりました。

別名は「隅寺」という「海龍王寺」
何気にいいですが、 
雨が近いのか、カに追われながら、山門を後にしました。

奈良公園にも会津八一の歌碑が

2015-04-20 11:15:18 | 会津八一の歌碑
会津八一先生の自筆歌碑が先日訪れた中宮寺にもあったのでどうしてと思い、
奈良公園にもあるとのことで、散策がてら探してみました。



東大寺南大門から50mにある歌碑
 おほらかに もろて の ゆび を ひらかせて おほき ほとけ は あまたらしたり
(おほらかに両手の指を開かせて大き仏はあまたらしたり)
  


興福寺 五重塔から塔の茶屋を50m過ぎ
 はる きぬ と いま か もろびと ゆき かへり ほとけ の には に はな さく らし も
 (春来ぬと今かもろ人行き帰り仏の庭に花咲くらしも)
 
会津八一先生は奈良を愛し、
万葉調の平がな書きによる芳醇な歌風で詠まれておりますね。