気軽に茶道をしてます。

日々のお稽古とともに、できるだけ手作りのお菓子で
お茶を楽しんでいる様子や、四季折々の変化もお伝えします。

高台寺の茶室は

2017-05-31 15:51:26 | 散策
先日の話、五月だというのに真夏日の京都、訪れた寺院で、

ヒラヒラと本堂前で一頭の蝶々が、嬉しいことに止まり
歓迎してくれたのでしょうか、ヒメアカタテハ?。

接待所前には古い茶釜が飾として置かれておりました。
下部に1801(享和元)年11月に1703(元禄15)年4月15日の
初代と同様に再鋳造され1973(昭和48)年まで使われており、
 
鐶付はかわいい獅子?、鬼面でしょう。でも尼面?も
またこの厚い木蓋は何代目になるのでしょうか?

昔は歴史の中で、たくさんのお参りの方々の喉を潤され、
今は静かに見守って下さっておりました。

さあ高台寺へまいりましょう。10年前?以来、久しぶりに
ねねの道には着物を着た外国からの方々か修学旅行生が、
  
台所坂を上ります。

入り口に茶会の案内で、「七夕のお茶会」7月8・9日、
午後4時よりご祈祷(薄茶席・短冊所願祈祷)があり、
書かれた短冊は、和尚様が所願成就のご祈祷をしていただけます。
どの茶室でされるのでしょうか。
高台寺には、3つの茶室(いわゆる茶屋)があります。
伏見城から移築されたとされる『傘亭、時雨亭』そして
書院の北側にある『遺芳庵』です。
  遺芳庵
遺芳庵は閉められており詳細は判りませんが、
一畳台目向板・向切逆勝手という大変小さなお茶室だそうです。
京都の豪商・灰屋紹益が芸妓吉野太夫を偲んで建てたもので、
石州好みの丸窓で、藁葺きとこけら葺きを使った茶室です。

なお遺芳庵朝茶席が6月1日(木)〜6月7日(水)の毎日一席のみ、
それも一席は1〜3名様だそうですが、すでに予約終了。

『傘亭、時雨亭』へは方丈そして書院から
方丈庭園
山側に観月台(通行不可に)を通り
 
開山堂、

臥龍廊そして
 
霊屋の経て、さらに

上ると京都市内が見渡せるところに、『傘亭』(戸は開方)、
   傘亭図
土間廊下を隔て『時雨亭』(登壇不可に)が並んでおり、
異国風な造りの二階建で、三方開け放つ階上は貴人席になり、
京都市内(西南方)が眺望できたのですが・・・
  時雨亭図

なお高台寺の塔頭の圓徳院さんにも茶室があるそうですが
残念ながら拝見できず・・・

最後に北政所さんを偲び、月命日の6日に因んで毎年10月6日(金)
『北政所茶会』午前8時〜午後3時までで、
五つの茶席と点心席が設けられるそうです。

ホタルブクロを一輪

2017-05-30 16:48:53 | お稽古
今日は昼から立礼でのお稽古で、お花はと小庭にでますと、
最後の大山蓮華の蕾が根元にひっそりと・・・、
可哀相ですからそのままで、来年も咲いてほしいものです。

そして先日来、可愛いハート形の葉が増え始め、
一気に花芽を伸ばし蕾まで出はじめた『ホタルブクロ』が
真夏日31.4℃の暑さにめげず、下向いて咲いておりました。
『奥ゆかしうつ向き咲くよ蛍袋』愚句
別名は「釣鐘草」ともいい
風吹くや釣鐘動く花の形』 正岡子規
 
季節に相応しい花で、一輪だけ活けますと清々しさが漂い、
初夏の暑さも忘れていただけるのでは・・・。

ホタルブクロは子どもがホタルを入れて遊んだことから
名付けられており、次回には「ホタル棗」をお出ししますね。

広間のしつらえになります。
 
しつらえのお軸も皐月飾りも今日で最後になりますね。

玄関にも水を打ちますが、あっという間に乾き始め
お出でをお待ちしております。

THE SODOH HIGASHIYAMA KYOTOでランチを

2017-05-29 20:51:13 | グルメ
京都での用事を済ませると、もうお昼まじかに。
八坂さん付近でランチのお店を事前に調べてみたのですが、
よく判らず仕舞い。
もうこんな時間になり、京都に詳しいお友達に、緊急メールを
”この辺でどこか良いお店、ご存知ないですか”の返信は
”高台寺前の栖鳳さん旧宅を改装されたイタリアン、
THE SODOH HIGASHIYAMA KYOTO』でランチは”と
直ぐ電話を入れると、午後一時半なら、それまで2時間も
ブラブラしていると、真夏日の京都の余りの暑さに、
辻利の抹茶ソフトクリームは最高でした。
高台寺を久しぶりに拝観の後、時間前にお店に到着。
エントランスから、木々に囲まれ良い雰囲気

木々には提灯様のものが、夜はきっと素敵なんでしょうね

道が二股に分かれ、お店と反対の道には結婚式が

お店の前は大きな甕が迎えてくれます。
甕にはアツバキミガヨラン?が
 反対側より
内部の待合い室には、栖鳳さんの絵が

昭和4年に竹内栖鳳が建てた旧邸宅がレストランやバー等になり、
オープンキッチンで、2時前だというのに満員です。

お奨めの「THE CHEF」コースを。
オレンジ片が入った赤ワインを軽くいただきます。

フォカッチャをオリーブオイルで

前菜は、
甲烏賊とホワイトアスパラガス レモンヴィネグレット

パスタは、
カジキマグロのプッタネスカ リングイネ

メインは
霧島豚のブラザート コルニッションと粒マスタード

デザートは和菓子を含む5種類からチョイス
・宇治抹茶のチーズケーキ

・ティラミス

・本日のジェラート
食べかけです
コーヒーまたは紅茶
良い時間を過ごすことが出来、御馳走様でした。

こんなところにこんなお店、紹介していただけ、感謝!
しかし、修学旅行生と着物を着られた外国からの方々で
京都の町は変貌しましたね。

幻の大仏鉄道廃線跡を歩くⅠ京都編

2017-05-28 09:59:56 | 散策
当日、前夜からの激しい雨が徐々に小雨になり、天気予報では
”10時頃には薄日も射すが通り雨がありますので注意”と、
案内もしていただけますので、行かなくてはなりません。
合羽を着て最寄りの駅まで2㎞、雨に濡れたヤマボウシが・・

JR大和路線で加茂駅に到着、駅前には温泉付きのマンションが
大阪への通勤電車そして亀山への気動車の始発駅なんです。
現ホームから続き、一段と低くなった旧ホームがの残っており、
鉄のポールが見えませんか。旧駅舎の跨線橋の一部だそうです。
 
この駅は恭仁京跡当尾石仏巡りそして
浄瑠璃寺(九体寺)や岩船寺(アジサイ寺)の拝観も、さらに
景観の日本遺産となった茶畑の和束町への起点になります。

さあ小雨の中出発します。直後に開業当初の「ランプ小屋」に、
オランダ積みの赤レンガ造りで切妻屋根の倉庫(1897年)です

さらに線路沿いを3分ほど歩くと黒い蒸気機関車が目に入ります。
昭和12年製のC57-56、貴婦人でお召列車を引っ張ったことも。

三叉路にこんな石灯籠が、横にはお地蔵様も。

街中を抜け、川沿いから里山の風景で30分程歩きます。
小雨が止み、時折陽が射してきます。

小川の中に石が、これは道床の一部?とされています。

さあ廃線跡(手前)で関西本線(奥)と同時期に作られており、
手前が石造りの観音寺橋台です。

15分ほどで、鹿背山橋台に、宮脇俊三『鉄道廃線跡を歩くII』の
表紙にも採用され、形といい、石積みの力強さを感じ取れます。

竹藪を抜け、ゴルフ場の側を通り抜けると、多彩な緑が目に
 
15分ほどで、里山を開発した住宅地脇に到着すると、
真直ぐな道が続いており大仏線築堤で、上はゴルフ場への道
下には農道や水路を通すために設けられた梶ヶ谷隧道があります。
壁は煉瓦、側壁は御影石と豪華な作りです。詳細は
アーチ部分の煉瓦は長手積み、坑門はイギリス積みになり、
保存状態は極めて良く、大仏鉄道の代表的遺構の一つです。

そして大仏線築堤にもう一つ、3分程で赤橋に至ります。
御影石と煉瓦を組み合わせて造られており、
長短の赤煉瓦を交互に積むイギリス式になりますね。
しかし見上げると道を支える道床の石板と丸太が見えます。
  
さあ、11時半とまだ早いですが、城山台公園に到着。
トイレもありますので、晴れているうちにお昼ご飯に。
                (Ⅱ.奈良編に続く)

「大仏駅」って?

2017-05-27 16:50:02 | 散策
今朝、台子のお稽古に伺いますと、東大寺大仏殿の甍に
聳え立つ金色に輝く鴟尾、その上には若草山が・・・
緑が一段と濃くなり、初夏の装いですね。 

現在東大寺大仏殿への最寄駅は、JR奈良駅(1890年)もしくは
近鉄奈良駅(1914年)ですが、明治時代には『大仏駅』もあり、
名古屋からの大阪を目指した関西(かんぜい)鉄道が、関西本線
加茂駅から山越えのルート・愛称『大仏鉄道』の終着駅として
1998年(明治31年)4月に開業しており、大仏殿から西に1.8Km
離れていましたが、一条通りを経て大仏詣で賑わったそうです。

一年後には当初の計画通り今のJR奈良駅にまで延伸されたが、
25‰と勾配がきつく運転の障害となり木津駅経由の平坦な本線が
出来たことで1907年8月に休止後、11月には廃線に至りました。
現在わずか9年間の”幻”の廃線跡には隧道や橋台が所々に残り
大仏駅跡も、小さいながら大仏鐡道記念公園になっており、
この公園から北へ約75m続くホームがあったそうです。
  
機関車の車輪を模したモニュメントがありますが、
春になれば、奈良の氷室神社の枝垂桜に劣らず、
きれいな枝垂れ桜も見られ、穴場になりますね。

このわずか9年間の”幻”の廃線跡9.9kmを訪ねる機会があり、
「健康日本21」では理想的な一日の歩数は「1万歩」、
”老化は足から”と、予防も兼ね16Kmほど歩いてきました。
遺構めぐりマップ
詳細は次回に。

弥生の遺跡、国史跡「唐古・鍵遺跡」へ

2017-05-26 11:50:02 | 散策
お墓参りに橿原まで行くのですが、奈良に来て以来40年
奈良市から吉野方面への南北の道路事情は、新しい道路
京奈和道も出来上がってはいるのですが、途切れ途切れ
交通量の増加に追いつかず、つい国道24号を南下して
橿原へ向かいます。その途中田原本町に入るとすぐに、
気になっていた建物が目に飛び込んできます。
 
たしか20年前には、田んぼの真ん中にぽつんとこれだけ
最近は案内表示もあり、はじめて車を駐車場へと。
 
田んぼばかりだったのが、芝生の広場に変わっており、
期待を込めて階段をのぼると、目の前は

唐古池でおじさんたちが、ふな釣りに夢中
遺跡としては、これだけで、出土品等は、車で5分の
唐古・鍵考古学ミュージアム』とのことでした。
でもやはり、墓参りを済ませなくては。
田原本町HPより
国史跡『唐古・鍵遺跡』とは、田原本町のHPでは
”唐古から鍵にかけて所在し2000年前、弥生時代の 
 多条環濠集落遺跡で、42万平方m近畿圏最大とされ、
 奈良盆地のほぼ中央、標高48~51mの沖積地に立地する。
 第一次の1936・7年、国道用採土に伴い唐古池底の調査で
 出土した土器や木製品等は弥生時代の総合的な認識を齎し
 畿内の土器編年の枠組みが作られ、その後、発掘調査は
 1977年に再開され、2015年9月までに116次に達する。

 出土遺物は土器、農工具・容器などの木製品、石鏃や
 石包丁などの石器、骨角器、卜骨などの祭祀遺物、
 炭化米、種子、獣骨類など 多種多様な遺物、さらには
 銅鐸の鋳型などの青銅器鋳造関係遺物、褐鉄鉱容器に入った
 ヒスイ製勾玉、楼閣が描かれた絵画土器など特殊な遺物も”
第47次調査で出土
出土した多量の土器から、土器の変遷から時代をはかる
土器編年」が確立されて、 弥生研究の基礎となっています。
特にこの絵画土器は、全国の絵画土器出土総数の約半分を占め
この第47次調査で出土した絵画土器の「楼閣」をもとに、
1994年、唐古池の西南隅に復元されました。HPによると
”復元楼閣の高さは12.5mの2階建て、4本の柱は直径50㎝の
 ヒバ材を使用しています。平面プランは4m×5mです。
 屋根は茅葺きで、丸太で放射状に押さえています。
 壁は外面 が網代壁、内面が板壁です。
 唐古・鍵遺跡の建物に特徴的な渦巻き状の屋根飾りは藤蔓で
 作り、梯子は刻み梯子で復元しています。
 土器に描かれた屋根の上の逆S字状の3本の線は渡り鳥と解釈し、
 木製の鳥を東西両面 にそれぞれ3羽ずつ設置しています。”と

なお、駐車場は10月1日より、公園整備のため使用できず、
遺跡の展示をされている唐古・鍵考古学ミュージアムも
平成29年9月1日~平成30年5月31日までリニューアル工事の
ため休館されますので、ご注意ください。

イタチハギの尾っぽから

2017-05-25 20:22:30 | 季節の花々
奈良は本降りの雨で夜が明け、お出かけに躊躇しましたが
やっと九時ごろには小雨になり、出かける気になりました。
道を歩いていると、本当に蒸し暑く嫌な梅雨の足音が・・・
若草山から春日原生林に湧き立つ水蒸気です。


先日、道際を歩いていると、
見たこともない変な植物、帰化植物?
黒紫色の蕾が槍のように天に向かって延びており、
 
基部にはもう黄色の花が多数咲いておりました。

調べると、北米原産の帰化植物『イタチハギ』、
和名の由来は、イタチの尾に見立てたと云う説もあり
別名は葉の様子がエンジュに似ておりクロバナエンジュと。
1912年に観賞用として韓国から移入し、その後
蓮華で有名な窒素固定能力が注目され、
荒れ地でもよく育ち、成長も早いため、道路等の
法面緑化に役立ったが、野生化し日本全国へ広がっています。
外来生物法では要注意外来生物に指定に留まっています。

『いたち・鼬』で思い出したことが、
25年ほど前、自宅で鶏を三羽飼っていたことがあります。
3年間ほどは毎日のように卵を産んでくれましたが、
ある日、夜に鶏が騒ぐのです。
朝になると、一羽がいなくなっておりました。
鶏小屋の戸締りを厳重にしましたが、
数日後、また夜中に騒ぎだし、慌てて駆けつけると
夜目に光る二つの目が、と思う間もなく逃げ去りました。
犯人はニホンイタチでした。
でも一度目をつけられると、どこから侵入するのか?
美味しい卵を食べることができなくなりました。
石上神宮の鶏さんたちみたいに、飛べたらよかったのに!
石上神宮
昔のことを思い出す年齢になりました。
でも知らないことばかり、何事も勉強ですね。

ニガナとブタナ

2017-05-24 13:50:27 | 季節の花々
五月なのに四日も30℃を超える真夏日が続きましたが、
今日は朝から曇り空で、昼過ぎから小雨との予報、
この雨は明日まで続き、久しぶりの恵みの雨になります。
5/24⇐5/18
先日の話です。
明日・明後日と初めての中間試験になる居候の孫、
一生懸命英語の単語を覚えようとしており、お手伝いに、
発音を聞かせようと古い電子辞書を出しますが、
ウントモスントモ、電池切れ!
単4電池、あったはずなのですが?、犯人はあのひとだけ

次の日に散歩を兼ね、歩いて大手電機量販店へ
遊歩道では、ソメイヨシノの桜の木に実が赤く色づき
小鳥が啄みにやって来ました。
久しぶりのメジロですが、あっという間にどこかへ。
 
実は犯人がおりました。
近くの欅の木の上からじっと様子を伺うヒヨドリが
私がカメラを向けても横を向くだけで、ふてぶてしいこと。
 
買い物でした。歩を進め下に目を向けると
人工のせせらぎも、夏の太陽で輝いており、
ヒメジオンが太陽に向かって花を咲かせていました。
 
そして淀みには、生まれたばかりなのでしょうか
小さなアメンボーが日差しを避けています。

さらに歩を進め、
10日ほど前、一面に『ニガナ』が咲いていた一画では、
今は、ニガナは時期が過ぎ、『ブタナ』が優位に
5/12⇒5/21
5/12⇒5/21
『ブタナ』はタンポポに似た花を咲かせ、別名も
「タンポポモドキ」といいますが、この変な名前の由来は
フランスでの俗名を訳すと「ブタのサラダ」からだそうです。 
この一画、もうすぐ『ネジバナ』がでてくるはずですが、
今年はどうなることでしょうか。

買ってきた単4電池を入れるとちゃんと発音し、
さらに、おせっかいついでに単語カードまで買ってきました。

今年もヤマアジサイを

2017-05-23 19:22:22 | 季節の花々
今日は丸一日稽古三昧、サッカーで言えば
朝はホームで社中の方お二人で、
   
昼からは、お花とお菓子を用意して二回目のアウェイに、
年齢もまちまちの九人の方々に御縁を頂きました。
ご興味を持って集まられた方々に稽古させて頂いたのですが、
簡単に説明できない自分にもどかしくもあり、
本当に勉強になりました。

お花は、咲きだしたばかりのヤマアジサイを今年もチョイス
5/155/18
5/205/23
このヤマアジサイ、紫露草と縞葦で活けております。

そして昼からのアウェイにもこれをと思っていたのですが、
昼を過ぎると、紫露草は花を閉じてしまいます。残念!
時間がなく、代わりに庭にある黒ロウバイと梅花空木を手に
そして菓子は、『粽』を用意させていただきました。
なぜだかお判りになりますでしょう。
粽の頂き方の練習ですね。

疲れました・・・・・今日はここまでに

付記)粽の食べ方(京菓子資料館より)
粽は、葉に包んだままの形で出る時と、
中の笹一枚にして使う時とがあります。
・笹一枚の時は、懐紙に取って、
 葉の先を広げて折り曲げ、楊枝で切って食べます。
・包んだままの場合は、太いほうから藺(い)を解いて、
 軸のほうに巻き寄せ、笹の葉先を広げて、
 中身を包んだ一枚の笹葉とともに紙の上へ抜き取り、
 残りの葉はたたんで藺で結び、
 笹一枚の時のようにしていただきます。
 一枚の葉は三角に折って軸を
 通しておき、紙に包んでしまいます。
 無作法に散らかさないのも心得です。
 最近は籠を一緒にすることもありますが、
 やはり小さくたたんで捨てるべきです。

子供しかるな来た道だ 年寄り笑うな行く道だ

2017-05-22 16:53:11 | 日記
今朝の自宅稽古もお一人で、茶箱を持参されており、
きれいな木目のお箱で、中には京焼のきれいな茶碗、
茶巾筒、振出、藤の実香合、茶筅筒、羽2本右羽と
左羽(1本は逆勝手用でしょうか)
和敬板にウグイスとお箱の中のお道具も充実しており
良い出会いがありましたね。
これから月に一度は茶箱のお稽古しましょうね。

奈良は七月初旬の気候で、昨日今日と30℃を越える真夏日に、
この良いお天気に、やっと茶飯釜の茶事の最後の後始末が、
サンルームに干しっぱなしの緞通を、相方に云われる前に
やっと仕舞うことが出来ました。
少し前から、顔に書いてありましたからね。フフフ
  

少し相方に教えたい言葉を、拝見しております京都の方の
ブログの写真(化野念仏寺・社務所)から見つけました。
というのも”初めが肝心だ”と言って、四月から居候の
中学生になったばかりの孫に怒っているからです。
『子供しかるな来た道だ 年寄り笑うな行く道だ
意味:子どものいたずらなどは誰しも身に覚えがあるので
   叱るべきではないし、自分もいずれ年をとるので
   老人を笑いものにすべきではないということ。
             (故事・ことわざ辞典)
永六輔の「無名人 名語録」に記されており、訪れられた
浄土宗のお寺に信徒(妙好人)さんが書かれていたそうで、
なんと続きもあります。
来た道 行く道 二人旅
  これから通る今日の道 通り直しのできぬ道


(二人旅は考えさせますね。・・・)

本当に年を重ねると、脳が委縮してきたのか?
怒りっぽくなり、「エゴ」が表面に出てまいりますね。
人のこととは言えません、気をつけないと!!!
この『エゴ』という意味は
1.自己、自我。 ラテン語の ego「私」から
2.「エゴイスト」「エゴイズム」の略とされており、
エゴが付く樹木を先日も公園を散歩中見かけました。
咲き誇る「エゴノキ」で、住宅地の玄関先でも。

なおエゴノキの「エゴ」は「エグイ」からだそうで、
別名は「ちさの木(萵苣の木)」といい、
有名な歌舞伎『伽羅先代萩』“飯炊き(ままたき)”の場面で
若君さまのご機嫌をとるため、息子の千松に歌わせた中に
「こちの裏のちさの木にちさの木に
 雀が三疋止まって止まって、
 一羽の雀が云ふことにや云うことにや」と。
 
「エゴノキ」を植えてエゴを吸い取ってもらいましょうか?