気軽に茶道をしてます。

日々のお稽古とともに、できるだけ手作りのお菓子で
お茶を楽しんでいる様子や、四季折々の変化もお伝えします。

五月の吉野山

2021-05-31 22:20:49 | 散策
今年も桜の季節に訪れられなかった吉野山
梅雨の晴れ間に、歩きにやってきました
近鉄橿原神宮前駅から吉野線に乗り換えて
急行に乗ったはずなのに
神宮前からは各駅停車、小一時間の旅
岡寺→飛鳥→壷阪→市尾→葛→吉野口→薬水→福神→
大阿太→下市口→越部→六田→上市→吉野神宮→吉野
   

コトコト揺られながらこの歌を思い出しました
倭は 国の真秀ろば たたなづく 
   青垣 山籠れる 倭しうるわし

「倭建命」が亡くなる前に故郷大和を思って詠んだ歌
大和は緑が美しい 特にこの季節は最高

そして目的地である吉野山 
ここも歴史に上る話題がいっぱい

吉野の桜の由来は『役行者』で
修行によって日本独自の仏『金剛蔵王権現』を
祈り始めた時その姿を山桜の木で刻まれた事にあり
   
     金峯山寺蔵王堂、金剛蔵王権現

その後 信者たちにより献木として
植えつづけられ花の吉野ができたと

平安時代には桜の名所に
西行も吉野に籠り 
   
           西行庵

西行を慕う芭蕉も二度も訪れた苔清水・・・
   

左に「松尾芭蕉」の句碑がある。
「春雨の 木下(こした)につたふ 清水哉」芭蕉(笈の小文より)
   

古代においては「大海人皇子」が吉野に潜行
"大海人皇子が勝手神社の社殿で琴を奏でたところ、
 天女が舞い降り、袖を振りながら舞を披露したと
勝手神社の背後の山は「袖振山」です。

義経と静御前のつかの間の逢瀬も・・・
金峰神社左奥の方にある『義経隠れ塔』がある
追手から屋根を蹴破り逃げたことから
『蹴破りの塔』という別名もあるが
時間の都合上、今回は訪れていない

一人静御前は吉野山で捕らえられ、
勝手神社・神楽殿で舞った「舞塚」も境内にある。
 謡曲「二人静」の筋書きは
「勝手神社」で 静御前の霊が、菜摘女に取り憑いて
舞を舞い、回向を頼んで消えて行くと・・・
二人静・フタリシズカの花の名の由来はこの謡曲からと

フタリシズカの花言葉は「いつまでも一緒に」 
静御前の切ない思いが・・・
吉野水分神社境内から奥の千本にかけたくさん見られた。
   



大塔宮護良親王が鎌倉幕府倒幕のため挙兵し
楠木正成と吉野を城塞化のため堀を築いたとされる
一万の敵の軍勢を3000人で一週間持ちこたえたが
高野山へ落ち延びられ、その後討幕するも・・・
足利尊氏に捕らえられ、鎌倉で亡くなっている

ケーブル吉野山駅の近くにその堀跡がある
現在は朱塗りの橋が架けられていた
その先に高野山と伊勢への分かれ道になる
   

吉野山を訪れれば、日本史の勉強にもなりますね




圓照寺門跡 山村御流いけばな展へ

2019-06-02 13:09:56 | 散策
令和に改元され皐月もあっという間、水無月になりました。
空気中の湿度も増え、平年並みの7日にも「梅雨入りした模様」
との発表があるかも。降水量も平年並みに抑えて頂ければ・・・。

昨夕に稽古場も障子から簀戸へと切り替え、季節を感じて下さいね。


昨日は、奈良西大寺の近鉄百貨店・奈良店六階近鉄奈良ホールでの
圓照寺門跡 山村御流いけばな展』へ伺いました。
 

会期は六月四日(火)までで、今日二日から後期になります。
写真は禁止ですので、入り口だけに

珍しい山野草から食卓にのぼる果物まで
センスよくいけられており、茶室に置いても
しっくりいくような作品がいっぱいでした。
見るだけでもセンスが磨けたらいいなと思いながら・・・
そしてお茶も頂いてきました。
 

高坊という茶室が、中将姫伝説のならまちの高林寺に

2018-11-30 14:12:03 | 散策
三連休の中日、秋真っ盛りの24日(土)に、奈良市音声館で劇団
「良弁杉」の二十五年ぶりの新作の『麦わら一本嫁とり話』の
プレ公演11時の部に出かけました。道が混むといけませんから
早めに出ると10時には到着。

早く着き過ぎ時間までどうすると、相方に問うと、
近くに中将姫伝説の地が三か所もあるのだとかで訪れようと。
このあたりは鳴川町といい、平城京の外京6坊大路で藤原氏の祖
・鎌足の曾孫で、「中将姫」の父でもある「藤原豊成」の邸宅跡
と伝承される一画になり、この上つ道(伊勢街道)を50mほど
南へ向かうと融通念仏宗「徳融寺」があり、1677年に高林寺
から移された藤原豊成公と中将姫、父子の墓がひっそりと。
寄せ集めて造られた石造宝篋印塔(鎌倉時代)になり、
中将姫にまつわる歌舞伎の演目を演じられる時、参られた
歌舞伎役者のお名前も二つ・・・。
豊成公  中将姫

なお本堂の御本尊は北条政子の念持仏とされる阿弥陀如来立像と
観音堂の聖母像のように子供を抱かれた「子安観音像」も必見に。
子安観音像

続いて100m程南へ、左側の空き地に中将姫誕生霊地の石碑が・・


堅く閉じられた門は浄土宗「誕生寺」で境内の井戸は産湯を使わ
れたとの言い伝えが・・・。4月13日・14日には開帳が


その手前に小さな北向きのお堂が佇み、「北向庚申堂」と・・・
厨子内に二童子を従えた六臂の青面金剛童子が収められ、
足許に三猿が座り、さらに薬師如来・弘法大師像も。

これより次の角を曲り東上すると100m程で細長いお寺の境内に
廻り込むと山門で、尼寺の『高林寺・高坊旧跡』と
『中将姫修道霊場、豊成卿古墳之地』の二つの石碑が
中将姫は、後に当麻寺で出家し一夜で当麻曼荼羅を織り上げたと
いう中将姫伝説の地の一つに。
 
またこんな逸話が『奈良坊目拙解』巻弐37に記されています。
1560年頃、松永久秀が奈良「多聞山城」を築く際、建材として
徳融寺に移された豊成公・中将姫の石塔を徴収しようとされたが
高林寺在住の連歌師、心前法師が「曳のこす花や秋さく石の竹
の発句を贈ると”抜かずに残したセキチクが秋に花を咲かせる”
との意味を久永が悟られ残ったとの逸話に。
奈良坊目拙解

門前の案内板には、近年になり茶室「高坊」が建てられ、さらに
藤原豊成の古墳があり、元興寺塔頭「高坊」として守られてきた
が、安土桃山時代に「高坊一族」または「北の端」と称する茶人
・連歌師・医師の竹田一族らの数寄者が住みつき、茶道・連歌塔
を大いに興隆し奈良南の下町町民文化の一大中心地であった。
北の端宗棟(そうとう)‣里村紹巴(じょうは)‣高坊心前(しんぜん)
らが住し、 心前は堺の津田宗久に招かれて「天王寺屋会記」に
名を残し、「松屋会記」や北野大茶会にも奈良茶人三十六人衆の
一人として参加している。
クリックで拡大 
奈良茶文化のもう一つの聖地になるのでしょうか
調べて、一度訪問したい茶室になりますね。

奈良市音声館まで戻らねばなりません。
孫の演技???、良かったです。でもまた大きくなったのかな。

劇団「良弁杉」の次回の公演は、
12月16日 東大寺開祖「良弁僧正」開山忌奉納公演
               東大寺二月堂参籠者所(無料)
クリックで拡大

奥飛騨温泉郷のお土産は高山での春慶塗の菓子器と武藤杏花園さんの麦落雁

2018-10-06 21:11:44 | 散策
台風21号と同じような経路でやってきた台風24号は、
北海道旅行に飛び立つその日近畿上陸予定となり
関空は朝から閉鎖・・・
一日前に出かけようかしら、一日先に延ばしたらどうかしら
色々考えた結果、北海道はあきらめてすべてキャンセルと・・・
気持ちを切り替え車で行ける所へ、色々案はでましたが、
最終的に奥飛騨温泉郷の秘湯「槍見館」へ
『槍見の湯』露天風呂から見た槍です。
次の日朝から、新穂高ロ-プウェイで白山から槍、穂高連邦、焼岳を
その後、安房トンネルを超え上高地へ
大正池からの景色は絶景です

河童橋の近くでランチ、散策、歩いた後は、帝国ホテルでテイタイム
 カマンベ-ルのチ-ズケ-キがとっても美味しく
コ-ヒ-も香り高く、お替りまで進められ、リッチな気分に・・・
秘湯から一転・・・空気が違いますね
二日目は、雲一つない晴天でもう一度ロ-プウェイでとおもいましたが・・・絶景スポットへ
  帰りは高山に寄って町を散策
飛騨牛のにぎりと蕎麦でランチ
 
私へのお土産は、春慶塗の菓子器と「武藤杏花園」さんの麦落雁
『雀』と『こがらす』
 
もう一つ内緒のお土産がありますがそれは次回に・・・
雀の麦落雁可愛くって10月にピッタリのお干菓子
皆さんに喜んでもらえそうでお稽古の日が楽しみですが、
残り7個だったので先着7名様です。


「雲生山有衣」の掛る小山園

2018-08-23 13:05:30 | 散策
この夕方から台風20号がやってくるので、朝から出かけた
京都市内から早々に帰ってまいりました。
通過しても豪雨との予想、大事になりませぬように。

この火曜日、お稽古もなく、友人と一緒に抹茶を買いに伺う予定が
来られなくなり、だらだらしているともうお昼。
やはり出かけなくてはと、いつもの宇治『丸久小山園』さんに。

入り口を入ると、硝子越しの和室に、曼荼羅が
  

床には、軸が掛っています。


販売所に入り、床をみますと、鉄瓶からの湯気の向こうに
 

雲生山有衣
南禅寺管長 柴山全慶老師書


「月落潭無影 雲生山有衣」(人天眼目 巻4)より
読みは、「月落ちて潭に影なし 雲生じて山に衣あり」
月が沈むと渕には影が映らず、雲が出ると山は衣を着たようである

その他には「茶 養生仙薬」、「おかげさま・於可希左満」も 
  

旧暦の七夕は山城森林公園で

2018-08-19 12:00:19 | 散策
長男・次男ファミリ-が木津川市『山城森林公園』の
バンガロ-に一泊して川遊びとバ-ベキュ-に行く計画を
小耳にはさみ是非行ってみたいと思い、夕方よりハーゲンダッツ
アイスクリ-ムとお肉の差し入れを持って、おじゃま虫に。
国道より、村を過ぎ15分ほど、うねうねした道を往くと
小川沿いに駐車可をしめす白線が・・・そして受付に。
団体専用宿舎、ログハウス、バンガローそしてキャンプ場が
小川に沿いありました。

バンガローにはロフトと木製の二段ベッドが置かれ、トイレや
小さいキッチンに、冷蔵庫、さらにエアコンまでもが設置された
快適なバンガロ-で、30年前とは隔世の感があります。


駐車されていた車、関東からの他府県ナンバ-も、一週間以上の
長期滞在者もおられるらしく、キャンプブーム再来なのでしょう。
夕暮れで、飛行機雲がたなびき、もうすでに第一弾のBBQが済み、
大人はお酒も入り、ご満悦


孫達にはデザートのアイスクリームは大好評!
 

持ってきた肉を焼き、BBQも美味しくいただきました。

空にはこの日は三日月のはずなのですが、星がとてもきれいに。
先日、新月のおりに見たペルセウス座からの流れ星も、まだまだ
見れるかもしれないと天空を見るも、谷間の樹木が遮ります。
思いだしたこと”今日は旧暦の七夕の8月17日ですよ”と口に

新暦の七夕では分厚い雲で見えなかった「織姫星」と「彦星」、
午後8時頃には、白鳥座の「デネブ」、こと座の「ベガ」、
わし座の「アルタイル」、夏の大三角形が天空に輝いており、
日本で言うと「ベガ」が織女星の織姫星、
「アルタイル」が牽牛星の彦星にあたりますね。

肌寒くなったと思うともう8時半過ぎ、
孫達は、もう花火を、でもあっという間に。


寒くなったのか、入ったバンガローの中から音が・・・
お邪魔虫もそろそろ、いとまを。
帰り道南に月が輝いていました。

さくらの花びらで春を惜しむ

2018-04-12 17:43:17 | 散策
相方の風邪をもらったようで、腰湯をして休みましたが・・・
咳で目覚ましました。嗽をして戻り遠慮がちにラジヲを点けると
NHKラジオ深夜便、石澤典夫アナウンサーの声から、
今日の誕生日の花は『シャガ』で花言葉は「私を認めて 反抗
と聞こえ、時間はまだ五時前、
薄明るくなる中もう一度眠りに。でも点けられたTVに起こされ、
”一週間も病んでいたのに、うつして元気そうね”と相方への
嫌味も口から出かかったのですが、ぐっと飲み込みました。
でも腰湯が効いて咳も少なくなり、具合が良くなったようで、
暖かく良い天気との予報で、散歩に出かけることに。
ところが雲の多い一日で、春はあけぼの?PM2.5なのでしょう、
遠くにぼっとした若草山を眺めながら近場の桜でもと。

北側の遊歩道、擁壁の前の花壇に藪茗荷とシャガの群生があった
はず、ところが藪茗荷はもう芽が出ている頃なのに無残にも。
ところが擁壁との隙間に『シャガ・著莪』の花が見られ、
今日の誕生日の花だったことも想い出しました。
 

本命の桜、遊歩道から眺めると左手前のソメイヨシノは葉桜に、
でも遅咲きの桜、枝垂桜や八重桜がまだまだ見れますね。
  

葉桜で実も出来た一本のソメイヨシノ、名残の花が咲き、
向こうに八重桜とのコラボレーションが・・・
  

さらに遊歩道を歩くと、昨日の嵐の名残の風が時おり吹き、
花びらが舞い散り、何ともいい気分に。

昨日の嵐のため、地面には花屑、横の川の花筏に目が、
面白いことに、なんと柵に雲の糸に絡まった花びらにも
  
『蜘蛛の糸さくらの花のプレゼント』 
              愚句
惜しみながら桜の春が過ぎていきますね。

過ぎるというと、いろいろありましたが、あと十日ほどで、
40回目の結婚記念日に。
うつされた風邪の代わりに、プレゼントでも・・・。

「桃季自成渓」の掛る小山園

2018-03-27 18:25:42 | 散策
富山へ先週末から出かけており、春を連れていったはのように、
帰る昨日には富山でも桜の蕾がほころび、数輪が咲きだすも、
ソメイヨシノ桜は蕾で、30日が開花予想、松川沿いも賑やかに
屋形船も出るのでしょうか?。


今回の富山への帰省は相方とだけでなく、春休みになった孫娘
連れで小旅行気分、ちょっと早くも寄り道、京都宇治市内へ、
抹茶を買い求めに、いつもの『宇治丸久小山園』さんに、
入り口の土間からガラス戸を通して、応接室に掛る曼荼羅が
 

店先に入り、注文している間にちゃっかり相方は抹茶ソフト
クリームを買い与え、点数をあげておりました。

応接間に掛る軸は、大徳寺管長 高田明浦老大師の
桃季自成渓
  
多分、「桃季不言下自成渓」から取られた言で、
桃李(とうり)言わざれども下自(したおの)ずから渓(けい)を成す
”桃や李(すもも)は言葉を発しなくてもその花や実を求めて人が
 集まって来て、その下に自ずと道ができる。
 徳のある人はあえて言葉で招かなくても、そこには自然に人が
 集まることの比喩。「花無心招蝶」花は無心にして蝶を招く
 これも同趣旨の語。出典は史記”充実茶掛けの禅語辞典より

待合いに、久次郎煎餅と煎茶が運ばれてきました。
麩焼煎餅で上質の和三盆糖の甘味と抹茶風味が美味しい。
 久次郎煎餅
そしてその壁には、茶関係の本が並べられ色紙に
一つは雀の絵、大野藤三郎さん

もう一つは「桃花春」建仁寺管長 小堀泰巌老師
桃花春風に笑む」から取られた言葉ののでしょうか。
お雛様の時期だったらよかったのですが・・・

今年はここの庭先の梅もすっかり散っており、近所に咲く
桃も桜より一足早く満開、でも桜が咲いたことで人は移り気、
寂しく散りはじめようとしています。

月ヶ瀬も訪れた谷崎潤一郎、その碑も

2018-03-25 14:22:25 | 散策
月ヶ瀬の昔の風景を記した木版刷りです。
岡本八谷『月瀬楳渓十六勝地真景』絵図、明治26年(1893)
 
昔渡しがあった場所には、明治後期には月ヶ瀬橋(初代)が
そしてダム湖が出来ると、鉄鋼の月ヶ瀬橋が出来ました。

その橋を望む、小高い場所に『本田種竹山人詩碑』徳島生れ

 『月ヶ瀬梅花の詩
  山中にて愚庵禅師に贈る
古木巌を回りて一路紆る
雲を出ずれば相見雲に入れば
呼ぶ 何人か画家の案(思
案のこと)をふん倒(さかさまにする)
して 新たに梅花三笑の図
を補いしならん
(註)梅花三笑は中国の故事虎渓三笑に
   倣っての意

キチョウが舞っておりました。


帆浦梅林まで登ると、
山と水 清き天下の 梅の里
東大寺館長を務められた狭川明俊氏の句で、
二月堂のお水取りが終わると春が訪れるという意味に。


梅の品種園には『齋藤拙堂詩碑』が
梅邊清絶竹邊幽に
   罨畫渓中小舟を蕩かす
風白く雲香りて春両岸
   杳然一棹中流を下る
  月瀬五絶之一 拙堂居士謙
意味)
梅のほとりは清く、竹のあたりはひっそりとし、
   絵のような渓谷に舟を浮かべる。
風は花に吹いて雲まで香り
   梅花は両岸に満ちて正に春、
  少し漕いではるか遠くまで流れを下る。
  月瀬五絶句のひとつ 拙堂居士謙
  

帰りのダム湖のほとりには、谷崎潤一郎の碑がひっそりと
わがや度の梅のさかりをよそにして
           たづ年てぞこ新月ヶ瀬農里



月ヶ瀬梅林で梅見を

2018-03-24 12:58:36 | 散策
奈良も桜の開花宣言がでました。
その前に『梅』も咲いていたのですが、一週間以上も早く
咲いた桜に主役を奪われてしまいましたね。
 
三月中旬、大正11年には国が初めて指定した名勝の一つ
『月ヶ瀬梅林』、今年も『月ヶ瀬梅林と齋藤拙堂』の講座に
参加して梅見に、少し遅れ気味で、しかも昨秋の台風で
土砂崩れが発生し、傷跡がそこかしこに・・・、
行政の方々、早く修復してくださいね。


月ヶ瀬の梅は今から800年前、月ヶ瀬の尾山に天神社をまつり、
ゆかりの梅の木を植えたのが始まりとされ(天神記1205年)、
その梅の実から紅花染めの媒染剤として烏梅(うばい)を作る
ようになり、更に林間の空き地を利用して梅を植え、急峻な
この地域の貴重な収入源になったそうです。
烏梅  
江戸時代後期には約10万本以上の梅の名所(拙堂1830年)で
風流を好む文人墨客に讃えられ、その景色を愛でる詩文が
詠まれた。『萬玉亭』頼山陽、『名士観梅図』富岡鉄斎、
『七言律詩書』齋藤拙堂、『月瀬記勝』齋藤拙堂
 月瀬記勝
しかし、烏梅は明治に入り化学染料に押され、現在は一軒のみ
梅の木も、炭等にされ一万数千本に減っております。

名張川(五月川)の五月ダム湖に映える梅の数々
 
もう少し登ります。
 
帆浦梅林から
 
平日なのに、かなりの人出があり、遠くからの方も
もう少し若い梅の木を植えて頂ければ・・・