散紅葉の季節、霜月も残りわずかになり、今日は晴れ間も。
二週間前のことですが、富山米を積んで奈良へ帰る途中
宇治を過ぎてから、稽古用の抹茶が少なくなり、抹茶を
所望される方もおられたことを思い出し、車をUターン。
壺切茶の季節ですから、ひと夏熟成された抹茶を頂きに
宇治「丸久小山園」さんの本社へ伺っておりました。
本社では挽きたての抹茶を詰めていただけ、持ち帰り
直ぐ冷凍すればかなりの間、香りも長持ちします。さらに
嬉しいことに2割引き、お財布にもやさしいですからね。
駐車場からお茶の香りが漂う中、入口へ
注文している間に、おもてなしが、
薫り高い壺切煎茶と季節感あふれる煎餅を頂きました。
美術館のパンフレットの横に松柏美術館も掲載された雑誌等も
ふと見上げると、妙心寺、大徳寺、吉田神社、相国寺、
建仁寺、圓福僧堂さんの御札が掲げられておりました。
玄関横の床には
『山楓似錦水如藍』
やまかえではにしきににたりみずはあいのごとし
永源寺管長 槐安窟老大師
「茶掛けの禅語辞典」をあたりましたが、造語?、
『山花開似錦 澗水湛如藍』碧巌録の早春から
「花開」⇒「楓」に変えることで紅葉の季節になりますね。
曼荼羅や、「茶禅一味」の色紙も。
「茶禅一味」とは茶掛けの禅語辞典(淡交社)によりますと
”茶道の心と禅の極意とは一つであること。
茶道にいう「和敬清寂」の心。
余念を雑えず一心に茶を点て、またはいただき、
主客一如となって、所作は流れる水のように間断なく、
環境を素直に受け入れて後に心に留めないところは、
三昧より生じる働きであり、禅定の境地に他ならない
・・・・・”
私にとってのこのコトバ・・・
所作は流れる水の如く間断なく
習練あるのみですね。
二週間前のことですが、富山米を積んで奈良へ帰る途中
宇治を過ぎてから、稽古用の抹茶が少なくなり、抹茶を
所望される方もおられたことを思い出し、車をUターン。
壺切茶の季節ですから、ひと夏熟成された抹茶を頂きに
宇治「丸久小山園」さんの本社へ伺っておりました。
本社では挽きたての抹茶を詰めていただけ、持ち帰り
直ぐ冷凍すればかなりの間、香りも長持ちします。さらに
嬉しいことに2割引き、お財布にもやさしいですからね。
駐車場からお茶の香りが漂う中、入口へ
注文している間に、おもてなしが、
薫り高い壺切煎茶と季節感あふれる煎餅を頂きました。
美術館のパンフレットの横に松柏美術館も掲載された雑誌等も
ふと見上げると、妙心寺、大徳寺、吉田神社、相国寺、
建仁寺、圓福僧堂さんの御札が掲げられておりました。
玄関横の床には
『山楓似錦水如藍』
やまかえではにしきににたりみずはあいのごとし
永源寺管長 槐安窟老大師
「茶掛けの禅語辞典」をあたりましたが、造語?、
『山花開似錦 澗水湛如藍』碧巌録の早春から
「花開」⇒「楓」に変えることで紅葉の季節になりますね。
曼荼羅や、「茶禅一味」の色紙も。
「茶禅一味」とは茶掛けの禅語辞典(淡交社)によりますと
”茶道の心と禅の極意とは一つであること。
茶道にいう「和敬清寂」の心。
余念を雑えず一心に茶を点て、またはいただき、
主客一如となって、所作は流れる水のように間断なく、
環境を素直に受け入れて後に心に留めないところは、
三昧より生じる働きであり、禅定の境地に他ならない
・・・・・”
私にとってのこのコトバ・・・
所作は流れる水の如く間断なく
習練あるのみですね。