ホクトマンのアドブログ

アドベンチャープログラムを愛するすべての人と、そうでもないすべての人へ。ひとりごと、今思うこと、泣き言、楽しか

メソッド

2018-10-30 | 雑念
本当に体系的な講義やメソッドは学びを促すのだろうか?

人は人にしか育てられないと考えている。

最近強烈に興味がある修験道も口伝で教えを伝えてきた。

文字を発明する前の文化ほど美しく力強く感じるのは謎が多いからだろうか?

僕は正直、文字情報や知識を使った学びには何か足りないものがあると思っている。

目に見えて、簡単に飛びつくことができるスキルや知識のDoingの武器は人から「考える」という事を奪いかねない。

何故ならそのスキルが何故完成したのか?は突き詰めて考えることは必要ないから。

つまり数学の公式だけ覚えて、その証明は捨て置くような感覚に近い。

それは数学だけではなく、世の中の摂理についても同じように考えずに鵜呑みにしてしまう事は罠でしかない。

本質的な学びは時間もかかる。
そしてその指導は体験学習のような「脳裏に焼きつく」と言えばいいのか、「心に刺さる」と言うのか、「心が動く」などの自らが選択して行動する必要がある瞬間にこそ本質があらわれる。

それに加えて最近は、指導する人の魂が大きく作用するような気がしている。

同じ活動をしていても指導者によって雰囲気が全く異なるのは、公式からでは学べない理由だと思う。

久しぶりに難しいことを呟いた。