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ホクトマンのアドブログ

アドベンチャープログラムを愛するすべての人と、そうでもないすべての人へ。ひとりごと、今思うこと、泣き言、楽しか

学校と夢と子どもと校長先生

2013-10-12 | 雑念
神戸の少年が求女塚古墳あとの公園で見つけたものは青銅鏡の一部だった。

公園で鬼ごっこをして飽きた少年は草むらで虫を探し始めた。そこに置いてあるように落ちていた破片を拾う。

その破片は彼の宝物として机の引き出しへ。鍵付きの引き出しの中の宝物ポーチからたまに取り出し眺めた。

そして周りの大人に相談するが、かつて10年前に発掘作業を終えた古墳跡の重要文化財であるとは考える事が出来ない。

最後の綱の校長先生に相談。
その校長先生は子供の頃に古い矢じりを博物館に寄贈した経験を持っていたことが、その大発見を専門家までつなげることになった。

そして少年はニュースに取りざたされ、取材を受けた。

「宝物が遠くに行ってしまうのは寂しいが、国の宝物になって皆が見てくれるのは嬉しい」と絶妙なコメントを語った。

このエピソードで重要なことは、子どもの素直な手柄などではない。

子どもは大抵、どうでも良いものを宝物だといって拾い集めておくものだから!

重要なのは大人がその子どもの夢物語を本気で耳を傾けていること。
大人が面白がって夢を一緒に楽しんでいることだ。

恐らく最初に見せたであろう親は

「ふーん、そうかもねー」

くらいの反応だったに違いない。

「えっ!凄い!専門家に連絡してみたら?電話してあげようか?」

なんて答えなかったはず。

だから数年は机にしまわれ、保管されたのだろう。

その後、誰かと感動を共有して欲しかったのか、自慢したかったのか?恐らくは後者だと思われるが、そのため校長先生に相談に至ったのかもしれない。

そこで校長先生がノリノリだった事が救いだ!そういう校長がいた事が奇跡だ。小学校の校長はそんな感じなのか?

今まで校長先生って月曜日の朝礼で長話をして貧血で倒れる生徒を量産する職業の人だと思っていた。

だから前から言っている様に、

学校は社会の訓練所である

という事だ。
だから社会に関わろうとする、もしくは関わるべき事、関わらないといけない事を積極的に、そして楽しく生徒に促すべきだ。

トレーニングは実践にはかなわないのだから!

その事を忘れている学校という世界が何と多い事か?

いじめを隠し、体罰が蔓延し、情報を外に出さない事を仕事にしている管理職が何と多い事か?

ってお前に何がわかる?

ってな事だろうが。
一般市民の僕がそう考えるのであれば、少なくとも「開かれた学校」にはなっていない証拠ではある。

一般論ではなく、ケースバイケースだという事も分かる。
社会と上手に関わっている地域や学校もあるのだろう。ただ半数もあれば多い方だ。

大切な事は、本来の「在り方」をいつも意識できる環境づくりだろう。

大人は子供たちの夢物語を摘み取る様な事をやってないか?を考えてみる必要があるのかもしれない。