プライド
2010-03-21 | 雑念
春の選抜高校野球が始まりました。
その挨拶の中で少し気になった言葉があった。それは「高校生らしく・・・」という言葉。多分偉い地位も名誉もある人が人を見る色眼鏡を持っていることが、少し違和感がある。そういう何気ない言葉を真似するからね。何も考えない大人も使ってしまったりする。ましてや大人が使えば子供は疑いもなく真似る。
「~らしく」という言葉はこの多様性の時代には死語である。死語にしてほしい。
気づかぬうちに他人を「~だからこうあるべき」という枠を決めるのはやめましょう。
そして誰かがそうしているのを気づいたら教えてあげて、じっくり話し合いましょう。本当にふさわしい言葉だったのか?
プライドは相手の言葉を受け入れられる度量も併せ持って初めて輝く。
その挨拶の中で少し気になった言葉があった。それは「高校生らしく・・・」という言葉。多分偉い地位も名誉もある人が人を見る色眼鏡を持っていることが、少し違和感がある。そういう何気ない言葉を真似するからね。何も考えない大人も使ってしまったりする。ましてや大人が使えば子供は疑いもなく真似る。
「~らしく」という言葉はこの多様性の時代には死語である。死語にしてほしい。
気づかぬうちに他人を「~だからこうあるべき」という枠を決めるのはやめましょう。
そして誰かがそうしているのを気づいたら教えてあげて、じっくり話し合いましょう。本当にふさわしい言葉だったのか?
プライドは相手の言葉を受け入れられる度量も併せ持って初めて輝く。