ホクトマンのアドブログ

アドベンチャープログラムを愛するすべての人と、そうでもないすべての人へ。ひとりごと、今思うこと、泣き言、楽しか

プライド

2010-03-21 | 雑念
春の選抜高校野球が始まりました。

その挨拶の中で少し気になった言葉があった。それは「高校生らしく・・・」という言葉。多分偉い地位も名誉もある人が人を見る色眼鏡を持っていることが、少し違和感がある。そういう何気ない言葉を真似するからね。何も考えない大人も使ってしまったりする。ましてや大人が使えば子供は疑いもなく真似る。

「~らしく」という言葉はこの多様性の時代には死語である。死語にしてほしい。

気づかぬうちに他人を「~だからこうあるべき」という枠を決めるのはやめましょう。

そして誰かがそうしているのを気づいたら教えてあげて、じっくり話し合いましょう。本当にふさわしい言葉だったのか?

プライドは相手の言葉を受け入れられる度量も併せ持って初めて輝く。

下手な鉄砲

2010-03-21 | 雑念
芋を桶に入れて芋同士でゴリゴリ洗う「芋ごじ方式」が集団を動かす場合の原則だそうで。

つまり「グループダイナミクス」のこと。でもカタカナでタイトルをつけられても意味や方法や具体例がなかなか見えてこない。

私なりに全体に働きかける事を考えてみる。

小学生を対象と考えて、グループにアプローチするとする。

1年間そのグループに対し、「学ぶ事の楽しさ」「グループ内の社会性」を学ぶために指導することをねらいにする。

「学ぶ楽しさ」は元々人間が持っている欲望だと思う。だからグループに「何なの?」「どうして?」と言わせたらイイと思う。

例えば自分が感動したアーティストの歌詞を読み上げてみる。私は「本当のありがとうは、『ありがとう』じゃ足りないんだ」(BUMP OF CHICKEN 「supernova」)なんかは、心が揺れたけどね。ここで重要なのは指導する側が「感動した」かどうか?だ!教材を体験して感動したから、「伝えたいこと」を「伝えられる」んですよね。

言葉で「ありがとう」って伝えたこと、ある?
どんな時?
伝えられた気持ちは?
伝えられない気持ちは?
言葉が出てこない時ってある?
言葉って大切だね。

では今から言葉を大切にしながら、話をしてもらいます。3人組になってください。今まで「ありがとう」って伝えたことや思ったことを相手に話してみよう。聞く人も相手の言葉を大切にしながら聞いてみよう。

みんな、どんな話ができた?

そんな「コミュニケーション」という学びってどうだろう。

結構単純だけど、そんな学びって小学生はできるチャンスってあるのかな?塾や習い事で忙しいかな?学ぶ場所が無いかな?そんな学びって必要性を感じないかな?保護者の方々は学校という集団にいれば勝手に学ぶことができるって思っているのかな?

結局「体験学習」だと思う。話をするという体験、話を聴くという体験、「ありがとう」って伝えたことを思い出す体験、相手がそういう体験をしていたことを知る体験、そんな体験が全くないということに気づく体験。

情報が混沌とした世界。体験して、実感することの価値がとても貴重になる。テクニックで子供達に知識や経験を押し付けても何も感動しない。だってネットで知っているから(本当は知らないんだけど)!

めんどくさい、意味ないじゃん、別に、のモチベーションの低い子供達に大人が感動した体験を少しずつ紹介して、数打つしかないと思う。

最後、雑な結論で笑っちゃうね。ははは