退職女のアメリカ便り

オーストラリアンシェパード、ジュンタのマミーのアメリカ、セントルイス生活

#1459:終戦記念日と墓参り

2020-08-15 11:51:34 | アメリカ便り

またやってきました、夏の暑さと終戦記念日、そして墓参り。

私の年代では身内に一人は戦争で亡くなった人がおられると思います。

私の場合は母の兄がシベリア抑留中に切っていた木の下敷きになって亡くなりました。

23才の若さでした。

祖父はシベリア墓参団で2,3回シベリアに行きました。

抑留中に母の兄が家族に送ったはがきが5枚、祖母が大事に保管していましたが、祖母亡きあと母が受け継ぎ、その母も亡くなり今は敵国アメリカに住む私が持っています。

時々そのはがきを見ることがありますが、つくづく昔の人は偉かったと、その文章に現れる人間としての自覚と言うか、私が23才の時には想像もしなかった人間性には頭が下がる思いがします。

そして母のおじさん、つまり私の祖父の弟が海軍で戦艦陸奥に乗船中、瀬戸内海で陸奥と共に命を落としました。

10年ほど前でしたか、母と息子を江田島海軍学校と瀬戸内海を見せに行きました。

母は時々このおじさんの話をしてました。

とても❝かっこ❞の良い人で、海軍の真っ白の軍服が良く似合ったと、そして横浜に婚約者がいたとも言ってました。

小さい頃から母の実家の墓参りに、毎年この時期行ってました。

両脇になんかの果実がなっている坂道を、その果実を食べながら登っていくと無造作に並べられた墓場がありる。

その墓に大きめの、さも古い墓が母の実家の墓なんです。

お祈りをしてからその墓の前で写真を撮り、ござを引いてごちそうを食べるのが恒例でした。

大人たちがごちそうを食べたりしている時に私と兄は❝墓荒らし❞。

よそ様の墓にそえられた、お菓子を盗んで回るのです。

これは悪いことではなく、食べ物を無駄にしないから良いことなんです、と勝手に決めてこれも恒例行事でやってました。

でもある時、兄と墓荒らしをやっていると何かの拍子で墓石が動き、兄は❝中から白いものが見えた❞と言って一目散で家に帰っていきました。

私はと言うと、もちろん兄について一目散で家に逃げ帰っていきました。

と言うことで、しばらく眉間にしわが寄るようなブログが続いたので、今日は時間がゆったりと流れる昔を思い浮かべて書きました。

では、戦没者の皆様、今のふがいない日本を見捨てず、あの世でみまもっていてください。

いつか必ず、誇れる日本になります。

ハブグレジュンタのマミー