昨日の米韓首脳会談、なんと2分で終わったとのこと。
首脳会談としてはギネスブックに載る、最短会議だったのでは。
さすが、自分の感情で外交をするトランプさんならではですね。
新5000円札の顔となる津田梅子をもって、‟X国人より動物のほうがましだ”、と言わせたX国。
外見的には日本に追いついたようですが、中身はちょっとね~。
染色体にに組み込まれた‟野蛮人”遺伝子、大幅な、突然変異でもない限り変わることはないでしょう。
でも希望がある。
半端ない韓国の大気汚染、そして放射能汚染があるから。
WTOで福島等からの水産物輸入拒否が正式に認められた韓国。
良かったですね。
そして日本にとっても良かったことと、ユーチューブに載っていました。
と言うのも、後々韓国で健康被害が出て生きたら、全部日本のせいにされるから。
慰安婦、徴用工、に続いた、日本産水産物賠償金なんてことになったら、また、多額の賠償金を払わなくちゃならなくなる。
私がアメリカに住み続ける理由です。
今となったら、ずばり子供でしょう。
主人ではないのです、子供なのです。
そして、孫ができたら、孫と子供がいるから、となるのです。
住みたいところは日本です。
私は母が49才の時に一人アメリカに渡って、その後、退職前は年に1回、退職後は年に2,3回帰っています。
それを思うとそれもありかな~とも思います。
でも子供たち、私みたいに年に1回1か月なんて帰っては来てくれないだろうな。
子供たちが大学に行ったら、日本に帰ろうなんて思っていましたが。
子供たち、とくに娘は私が死ぬまで私を必要とするのでは、、、なんて思っているのは私だけかも。
いろいろアメリカ、アメリカ人について文句を言います。
でも42年も住んでいると、時々、‟あれ、今どっちだろうか、日本?アメリカ?””とふっと、考えなければいけなくなってきた、私に気づくことがあります。
それだけ、アメリカに住むことが自然になってきたのです。
‟アメリカでは友達はできない”と住み始めて25年くらいは思っていました。
でもアメリカ人、アメリカと言う国を知れば、そしてそれを理解すればいいのです。
25年くらいかかりましたが。
大戦では敵国同士だったのが結婚して子供を作って、寝食を共に35年一緒に暮らしているのだから。
不思議ですね。
主人と出会って間もなく、バーに行ったのですが、隣で座って飲んでいたおじいさんが、当時はまだまだたくさんいた大戦退役老人で、おなじみのWWII Navy veteran の帽子をかぶっていました。
そんな過去の栄光に生きている老人と話しているとき、私は急にその老人の‟首を絞め”、‟あんたが、おじさんの船を沈めた!!”と叫んだそうです。
勿論私が酔っぱらって、冗談だったのでしょうが、それを見た主人はびっくりして停めたそうです。
私はあまり覚えていませんが、主人は他人によくその話をします。
きっとそれで、100%平凡な主人は100%非平凡な私と結婚したんだと思います。
住めば都とまではいかないけど、‟長い間住んで、こどもができたらそこが家”なのです。
両親がいなくなって、知り合いが年を取り、私の知っていた街並みがどんどん変わった今、浦島太郎です、私は。
玉手箱を開けないようにしなくては。
ハブグレジュンタのマミー
首脳会談としてはギネスブックに載る、最短会議だったのでは。
さすが、自分の感情で外交をするトランプさんならではですね。
新5000円札の顔となる津田梅子をもって、‟X国人より動物のほうがましだ”、と言わせたX国。
外見的には日本に追いついたようですが、中身はちょっとね~。
染色体にに組み込まれた‟野蛮人”遺伝子、大幅な、突然変異でもない限り変わることはないでしょう。
でも希望がある。
半端ない韓国の大気汚染、そして放射能汚染があるから。
WTOで福島等からの水産物輸入拒否が正式に認められた韓国。
良かったですね。
そして日本にとっても良かったことと、ユーチューブに載っていました。
と言うのも、後々韓国で健康被害が出て生きたら、全部日本のせいにされるから。
慰安婦、徴用工、に続いた、日本産水産物賠償金なんてことになったら、また、多額の賠償金を払わなくちゃならなくなる。
私がアメリカに住み続ける理由です。
今となったら、ずばり子供でしょう。
主人ではないのです、子供なのです。
そして、孫ができたら、孫と子供がいるから、となるのです。
住みたいところは日本です。
私は母が49才の時に一人アメリカに渡って、その後、退職前は年に1回、退職後は年に2,3回帰っています。
それを思うとそれもありかな~とも思います。
でも子供たち、私みたいに年に1回1か月なんて帰っては来てくれないだろうな。
子供たちが大学に行ったら、日本に帰ろうなんて思っていましたが。
子供たち、とくに娘は私が死ぬまで私を必要とするのでは、、、なんて思っているのは私だけかも。
いろいろアメリカ、アメリカ人について文句を言います。
でも42年も住んでいると、時々、‟あれ、今どっちだろうか、日本?アメリカ?””とふっと、考えなければいけなくなってきた、私に気づくことがあります。
それだけ、アメリカに住むことが自然になってきたのです。
‟アメリカでは友達はできない”と住み始めて25年くらいは思っていました。
でもアメリカ人、アメリカと言う国を知れば、そしてそれを理解すればいいのです。
25年くらいかかりましたが。
大戦では敵国同士だったのが結婚して子供を作って、寝食を共に35年一緒に暮らしているのだから。
不思議ですね。
主人と出会って間もなく、バーに行ったのですが、隣で座って飲んでいたおじいさんが、当時はまだまだたくさんいた大戦退役老人で、おなじみのWWII Navy veteran の帽子をかぶっていました。
そんな過去の栄光に生きている老人と話しているとき、私は急にその老人の‟首を絞め”、‟あんたが、おじさんの船を沈めた!!”と叫んだそうです。
勿論私が酔っぱらって、冗談だったのでしょうが、それを見た主人はびっくりして停めたそうです。
私はあまり覚えていませんが、主人は他人によくその話をします。
きっとそれで、100%平凡な主人は100%非平凡な私と結婚したんだと思います。
住めば都とまではいかないけど、‟長い間住んで、こどもができたらそこが家”なのです。
両親がいなくなって、知り合いが年を取り、私の知っていた街並みがどんどん変わった今、浦島太郎です、私は。
玉手箱を開けないようにしなくては。
ハブグレジュンタのマミー