一青窈ジャーナル

ジャーナリズムの中の一青窈/ジャーナリスティックな一青窈

SWITCH 一青窈 揺れない笑顔

2006年06月28日 22時37分59秒 | 一青ジャーナル・スタイル
■『SWITCH』(2006年1月号・月刊誌)2頁<写真・松岡教飛
               /文・菅原豪>【スイッチ・バブリッシング】

*一青窈 揺れない笑顔 
この『指切り』というシングルを作ってから、ものすごい勢いで曲が一気にウワーッと出来てきたんです。なにか、一種の覚悟のようなものがこの<指切り>で生まれて、そこでひとつ腹を据えた感じがあったんですよね……


ひとと語録①
“たとえば、ひとつの歌の中で一人称、二人称、三人称を敢えて交錯させて歌詞を書いていくのが私のやり方だったんですが、小林さんからそこをはっきりと示すように言われたんです。でも、それを止めると私らしくなくなってしまうかもしれない。それはちょっと怖かったんです。それでも一度書いてみた上で、上手くいかなければ元に戻してもいいから、やってみようと……”“でもやっぱりap bank fesは大きかったですね、本当に。”“「バンドってすごく羨ましいな!」と、すごく思いました。もちろん今までもすごく楽しかったんだけど、それってどこか父性というか、全部任せてしまえる安心感のようなものを求めてやっていたところが往々にあったんですね。でも、ap bank fesの場合は「任せとけ」というよりはみんなそれぞれが自分の音をしっかりと出して……”

ひとと語録②
“これまでの作り方っていうのは、自分の周りを見回して誰もそれをやっていないなら敢えてやってみようか、みたいな気持ちだったんですよね。今何をしたらみんなびっくりするかな、って。でもそういうことではない別の方法で、もっと音楽に対して真摯に向き合ったときに何ができるんだろう、というのを「ap bank fes」あたりから考え始めるようになりましたね。いつまでもうだうだと、煙玉をバッと出してドロンさせていただきます、みたいなことはやってられないなと思って”

ひとと語録③
“自分で「これが一青窈だ」って思い込んで鋳型を作っていって、そこに入ることで安心していた部分があると思うんです。三年かけて鋳型を作って、そこに入って「ああこれ一青窈だ、安心」って。そこに対してこれから三枚目、四枚目と作品を出していったときに、「それで楽しいの?」と問いかけられたような気がして。それはそれで求められる部分でもあると思う、でも、変わりたい自分もどこかに必ずいるんです。これまでのものを壊すとか誰かの色に染まるのではなくて、自分がどうしていきたいのかということをもとに、もうちょっと鋳型を外して広いところで暴れん坊将軍になってもいいんじゃないかなあ、と(笑)”

ひとと語録④
“自分のことをネットサーファーだと豪語していたからじゃないけれど(笑)、それこそそうい問題ってインターネットで簡単に得ることができるじゃないですか。でもそこにはやっぱりリアリティが無くて、頭ばかりがどんどん大きくなっていくんですよね。それを自分に突き返すと、結局なんにもやってないじゃん、ということになってしまう。大きなことばかり言って詞を書いていることが、すごく恥ずかしいことのように思えてしまったんです。それだったら今自分が本当にリアルに感じていること、たとえば「ちょっと失恋しちゃって本当に死にそうなんです」みたいなことを歌うほうがいいのかなって「指切り」を書いたときは、そんな心境でもあったんです”