一青窈ジャーナル

ジャーナリズムの中の一青窈/ジャーナリスティックな一青窈

音楽と人 一青窈 生と死の対比によって輝く

2006年06月21日 14時33分12秒 | 一青ジャーナル・作詞
■『音楽と人』(2003年8月号・月刊誌)2頁
             <txt・Nagahiro Atsuo>【シンコー・ミュージック】
*EDITOR'S FILE 悲しい経験によって身につけた脆さと
        背中あわせの強さは生と死の対比によって輝くのだ


“彼女は、新曲「金魚すくい」で死を「美しくて儚いもの」と捉えている。ぼくはまだ、闇雲な恐怖しか感じてない。その点で、彼女の「死」に対する距離感は現時点での自分とは大きくかけ離れていると思う”

“生きている人にとって、死はいつだって隣り合わせのもの。人が永遠に存在することはない、という前提のもとに生きている彼女の「生」は光ってみえるし、それを知って唄っている彼女の歌は、そうでない人との詩とは腰の据わりが随分違う”

“「なんもない」には、無意味な生を惰性で送る人たちに向けた、怒りにも似たメッセージが込められている。いま生きているこの人生こそが、自分の人生だ、と強く感じることができますか?と”“けれども彼女は、人生の意味や目的を持てずに暮す人たちに、悲しみや苦しみを感じ、唄いかけてくれる。手を伸ばし、コミュニケーションをとろうとしてくれている。だから、ぼくらは、その手をしっかりと握るべきなのだ。放さずに、彼女の手を掴んだまま、何かを感じ、考えるべきなのだ”