というか、エンターテイメントの中にこれだけの「問題提起」をぶち込めるとは。
ということをAfro13というカンパニーの「ライカンスロープ」を見て感じた。
まず、箱の使い方がすごい。
最前の仮設の椅子、入れ方がちと違う。
下手側は2列、上手側は1列とどうも変則的、何かあるのかな、と思ったら
客席の間を縦横無尽にプレイヤーが走る走る。
そういうことだったのですね。
あと、余計な装置を使うことなくプレイヤーのフィジカルと
そこに生まれるムーブやマイム、コーディネーションで
ちゃんと物語を作っている。
まあ、お話の中身は狼と人間の対立、そこに相の子で「狼に種つけられた」人間が
絡んできて、ものすごく切ない。
・・・じっくりみてみると「支配と被支配」に対するある種の問題提起が
このおはなしの根底を流れているのかなぁ。
「狼狩る人」が使っていることばは所謂「東京ことば」、
「狼」が使っていることばは本当はアイヌ語を使いたかったけれど
(名前は使うことができたが)せりふで使うと少々難しいところが。
で、大阪でいろいろやってるアイドル?グループを狼役にして
ことばのアクセントを「大阪ことば」にしちゃった。
おまけに話をまわす役割の「狼に種つけられた」おんなのこに
台湾の人を使うことでことばのたどたどしさ、というものがうまくあってる。
多分ね、狼が危ない、というのは人間の思い込みであって、
本当は狼だって人間に牙を剥きたくないんだよな。
でも、人間は「この自然界」を「支配しなければいけない」なんて
傲慢なこといっているから腹かいちゃったんだよね。
その傲慢さのシンボルがライカンだったのかな。
人間同士だっておんなじ、すごく考えさせられた。
・・・うーん、こういう「全体美」命のやつは自分は最上で
見たほうが楽しめるのですが。
うまく席を選べなかったことが残念といえば残念。