まったんのトレーニング日誌

客観的に自分を見つめるためにブログ
(トライアスロンのためのトレーニング日誌)

少し鼻につく看護士。

2022-09-18 10:57:10 | Weblog
いろんな看護士がいらっしゃいますが、少し鼻につく看護士
がちょくちょく、いらっしゃいます。
自分から言えばいいのに後輩にちょっとじぶんから言えないことを言わせる人がいます。
いらいらします。こんなことがありました、新しい機材を、僕が使っているのでほかの人に使わせたいといっていました。実際に交渉に来たのは後輩の看護士でした。
別に僕は拒んでいるわけではなかったのでなんで直接言わないのかと思いました。
こんなことがあると、ちょっといらいらしますね。
いろんな人がいるので別にいいのですがちょっと嫌ってしまいます。

9月17日は僕の母の 98回目の誕生日です。

2022-09-17 14:24:51 | Weblog

大正13年 9月17日僕の母が八尾市で生まれました。
今年で 98回目の誕生日を迎えます。
生まれたころは母の実家はすごく裕福だったと聞いています。
僕が生まれたのは母が 32歳の時だった。
2歳くらいの時に岬公園に父と連れて行ってもらい、木の上に乗せてもらったことがなんとなく覚えています。またカメラで撮っているところをおもちゃのカメラで撮っていたことも何となく覚えています。
5歳になるころ両親と夜行列車で東京に行きました。どこに行ったかは覚えていませんが、列車の中で初めて苦いコーヒーを飲んだ時、富士山が見えたような気がします。
小学三年生の時には初めて新幹線で東京に行きました。
箱根や熱海にも寄ったような気がします。東京タワーのお土産を買いました。
兄弟の中で僕は一番よく遊びに連れて行ってもらったと思います。
高校の入学式では母はうす緑の着物を着ていたことを思い出しました。
それからあまり接点はなくなりました。
明日はみんなでお祝いをするみたいです。
子供、その妻、孫、ひ孫と何人集まるのでしょうか。
楽しみにしています。

細かい数字を忘れないための書き残し。

2022-09-16 14:57:06 | Weblog
南和病院に 23日ぶりに帰って行って体重測定をしました。
56.4キログラムでした。
細かい数字を忘れないための書き残しておかないと忘れます。
中央病院に行く前に諮った時は 65キロでした。
中央病院に行って足の付け根にできた、こぶし大のできもの処置をする前にはかった時は 64.5キログラムでした。
処置が終わってうみが抜けた後図った時は 59.5キログラムに減っていました。
中央病院の最後の週にはかる予定でしたが、看護サマリーをすでに南和病院に送っていたためはかる必要がなくなっていたためはかりませんでした。
それで南和病院に帰ってきてすぐに測ったら 56.4キログラムに大きく落ちていました。
これからご飯をいっぱい食べて元の体に戻したいと思います。
帰って来た時みんな細くなったと言っていた。特にうでがやせているといっていました。
食欲はあるのですぐにもどると思います。

前に入院していた病院に 23日ぶりに帰ってきました。

2022-09-15 15:52:32 | Weblog

足の付け根のとても大きなできものの治療を終えて、前に入院していた病院に 23日ぶりに帰ってきました。
最初3の診断はヘルニアが炎症を起こしているのですぐに、手当てをしないといけないため救急車で病院に行きました。
行ってみるとそうではなく、うみがたまっていただけでした。
いろんな検査をして悪いところに針を刺して抜き取りました。
前の病院に帰って来る時は介護タクシーを使いました。
一万五千円ほどかかります。少し高い。
帰ってくるとスタッフのみなさんはお帰んなさいと言ってくれました。
少し落ち着きます。
心配していたリハビリも明日から再開されるみたいです。
とにかく少し安心しました。
明日からまた腎臓の治療を頑張ります。

ここにきてからの車いすののり方。

2022-09-14 11:13:04 | Weblog
この病院に来てからの車いすののり方は、病院が変わってからまずは足をベッドの外に出すところから始まりました。
二日間ぐらい練習して大丈夫ということがわかったので、
車いすに乗せてもらいました。
最初の四日間は今までのような感じで子供にやってもらっていた感じでやりました。
後はタオルけっとに体を包んでハンモックみたいな感じで移動しました。こちらのやり方が負担が少なく、車いすに移ることができたような気がします。
このやり方だと前の病院でもできるような気がします。
そのことを伝えてやってもらいたいものです。
明日病院が変わります。

9カ月のってなかった車イスに 6回乗せてもらっています。

2022-09-12 14:30:59 | Weblog

病院をかわって二十日間で9カ月のってなかった車イスに 6回乗せてもらっています。
あと3回リハビリがこの病院であるので 9回になります。
おそらく元の病院では車いすに乗ることができないような気がします。
人材がいないので仕方のないことかもしれませんが、何とか次の病院で車いすに乗れるように
交渉したいと思います。
病院によって一長一短あるのは仕方の
ないことですね。
我慢して前の病院で頑張りたいと思います。

時間にルーズな人は信用が置けません。

2022-09-11 15:15:48 | Weblog
看護士に多いですが時間にルーズな人は信用が置けません。
すぐにといったのに 30分以上またせるがよくいます。
初めは好印象だったのに、信用できなくなりますね。
そういうことが続くと嫌いになってしまいます。
どんな職業においてもそうですが、信用が一番大事だということが分かっていないのかもしれません。一般社会では当然のことだと思っていてもその人たちのグループに入ると許されることなのかもしれません。
社会人としての心構えができていないんだと思います。
なかなか自分で誤らないとか、ミスを認めることができない。
何度も書いていることですが、何度も思ってしまいます。

先輩の看護師さんに多い 1 +1は 2。

2022-09-10 15:04:05 | Weblog
先輩の看護師さんに多い 1 +1は 2という結果になることが多いです。
患者一人一人結果は違うことが多いです。
元気なころ毎日便が出ていました。しかし今は寝たきりになっていますので体調は変わっています。
現在私の場合は三日ごとに出してもらっています。
前日に便が出るように薬を飲んで、当日浣腸をしてもらい、手を入れて出してもらっています。
しかし先輩の人はすぐに出るものと思っている方が多いです。
一人一人状態は違いますから。
ちょっと腹が立った話しでした。

治療が終わって元の南和病院に帰ります。

2022-09-09 14:23:15 | Weblog
足の付け根のこぶし大のできものの治療が終わって元の南和病院に帰ります。
済生会中和病院は救急病院なので治療終わると、病院をすぐに変わります。
僕が入っている病室は 6人変わりました。手術をしてから三日くらいで違うところに出て行きます。
僕も 23日間というのも今までいちばん短い入院です。
元の病院はとても環境はいいのですが、一回この病院で車いすを乗せてもらえることができたので、前の病院でも車いすに乗せてもらいたい気持ちでいっぱいです。
そのうえリハビリがないかも知れないのはとても不安です。
この病院の作業療法士は 30人いていると言われていました。
元の病院は 5人だったと思います。この差はどうしても仕方のないことをと思います。それに若い人がいないのは車いすに乗れない原因でもあると思います。
何とか元のところに帰ってから交渉したいと思います。
とにかくここにいる間頑張ってリハビリをしたいと思います。

看護士という資格を持った仕事。

2022-09-08 14:52:14 | Weblog
看護士という資格を持った仕事はほかに例を見ない職業だと思います。
国家資格で保障されているし、全国どこへ行っても一定の給料をもらうことが保証されています。
男女ほぼ関係なく同じ仕事ができます。
そのために結婚をしてから、子育てがひと段落終わってから資格を取りに行く人も多いです。
50歳を超えてからとれる方もまれにいらっしゃいます。
勉強を頑張って一定の給料をもらうために頑張っておられます。
学校が終わってからすぐに専門学校に行くより、社会に出てから資格を取られるのがいいと思います。その社会にだけいていると常識が分からなくなることがよくあります。
基本的な社会一般的なこと、謝るとか、お礼を言うとかということを忘れる人がいらっしゃることも事実です。
でもいい病院には良い職員が多いこともある。
いつも僕らは感謝しています。