まったんのトレーニング日誌

客観的に自分を見つめるためにブログ
(トライアスロンのためのトレーニング日誌)

初めての珠洲大会

2017-11-08 14:23:20 | Weblog


前年の宮古島の飛行機を JTBに取りに行った時、ちょうど 1週間前の

ショートの石垣島大会の飛行機をとっている人に出会う。僕が翌週の

宮古島大会に出ること告げると、すごいといわれ話していると同じ

和泉市に住んでいる人だと分る。一緒に練習し、珠洲の大会に申し込み

をして、一緒に出ることになった。

僕は電車を乗り継いで珠洲に行くので、自転車を初めて輪行して行った。

宿はごろ寝で 30人ぐらい泊るところだった。

珠洲大会はミドルの大会でS 2.4キロB100キロR25キロの距離である。

スイムは 2.4キロを調子よく泳いで全体の 132位 48分 29秒。バイクは

50キロのコースを 2周するが、上り下りがあり下りでは 72キロの速度が

出たし、上りは 18度ぐらいで歩いてバイクを押している人が多かった。

1周目の坂をおり、平地を 40キロくらいで飛ばしていると後ろからバイク

が僕の後輪の横に見え、危ないと叫んでぶつかっていた。僕は頭から

落ちてヘルメットが、その当時ヘルメットは発泡スチロール製だったので

思い切りわれて、救急車を呼ばれた。ぶつかってきた人は胸から落ちて

血だらけだった。救急隊員に真っすぐ歩けますかと聞かれ、まっすぐ

歩けたのでレースを続行してくださいといわれる。僕に呼ばれた救急車は

ぶつかった人が乗っていた。30分ぐらいロスをし、バイクをゴールする。

4時間 10分 29秒全体の 548位だった。ランニングも 2時間 8分47秒 193位

総合で 7時間7分 45秒、332位だった。ひざもひじもはれていた。

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92年度トライアスロン計画

2017-11-07 14:20:32 | Weblog

92年の宮古島トライアスロン大会が終わり、この年の出場をする

大会を雑誌で調べる。トライアスロンにはショート (スイム 1.5

キロ前後、バイク 40キロ前後、10キロ前後)、ミドル (s 2から

2.5キロ、B 100キロ前後、R 20キロ前後 )、ロング (s 3キロ前後、

B 150キロ前後、R 42.195キロ)、フル (S 3.8キロ前後、b 180キロ

前後、R 42.195キロ )、駅伝 (ショートの距離を 3人でつなぐ )の

分類がある。ミドルの広島大会は91年の宮古島大会で一緒になった

広島の宮木さんの地元であった。それと僕の担当客の近くであった。

後マンションのジムで一緒だった、鉄人くらわんかに入っている人

から誘われた駅伝新旭大会 (S 1キロ、B 30キロ、R 10キロ )と、

八月に行われるミドルの能登珠洲大会、九月に行われる前年に出た

フルの佐渡大会に出ることにした。これだけ休めるかどうか心配で

あったが、目標として申し込みをした。

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2回目の宮古島トライアスロン大会へ

2017-11-06 16:17:27 | Weblog

2回目の宮古島トライアスロン大会の提出書類の中にスイムの

記録がある。マンションに引越し毎日ほどスイムの練習を、

してきたので、1回目 ( 1990年 12月 ) 1500m 32分 25秒だった

のが 2回目 (1991年 11月 )24分 24秒になっていた。

前年と同じく酒井さんの家を 6:00に出て、受け付けを済ませて

8:00スイムスタートする。初めの 600mはバトルに巻き込まれ、

第一コーナーを過ぎるとスムーズに泳げた。かなり速く泳げた

なと思い、タイムを確認してみると昨年 3キロを 69 分かかった

のが、54分27秒になっていた。バイクもコースが逆回りになり

5時間28分40秒で走った。マラソンも 4時間 12分59秒で走れた。

総合タイム 10時間 36分 6秒で 265位だった。1回目より全体で

1時間くらいタイムを縮めた。何回も何回も酒井さんと家族の

応援がありゴールでは子供と手をつなぎながらゴールした。

翌日酒井さんちを後にして本島へ向かった。最初にお世話になっ

たルミネさんへ挨拶に行った。遊園地などで遊んでいるホテルに

泊まりつぎの日帰って来た。旅行代金は家族4人で三十万ほどか

かった。次からはもっと調べて安く行けるようにしよう。

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2回目の宮古島トライアスロン大会へ

2017-11-01 11:32:47 | Weblog

三月初旬の篠山マラソンが終わり、次の週からバイクの練習を

スタートする。佐渡トライアスロンが終わって一度も練習をして

いなかったので、2回目の宮古島大会まで十回ぐらいしか自転車に

乗らなかった。コースは堺の築港に日曜日によく行った。平日に

行くとトラックがいっぱいで危なかったから。平日の休みの時は

マンションのある和泉市から河内長野を抜けて、水越峠をぬけて

御所市に行き五条を抜けて河内長野に戻り和泉市に帰ると100キロ

くらいになるコースを練習していった。

沖縄の宮古島に行くのもその当時続とっていたので往復で七万円

くらいしていた。やすくいく努力をしたのは 3回目からだった。

2回目はリフレッシュを使って、木曜日から火曜日まで会社に休暇

を申請した。本当は四月はあまり取る人が少なかったので、無理に

マネージャーにお願いした。2回目の時は土曜日から家族も読んで

家族は火曜日までの休みで休日をとっていた。宿は自衛隊の宿舎に

止めてもらっていたが、街中で居酒屋が多く、夜はうるさくて

なかなか眠れなかった。1回目にお世話になった酒井さんにお土産

を持って行った時、奥さんにその旨を愚痴っていたら家族を迎えに

行っていた土曜日の日に、うちの家においてと迎えに来てくれた。

タクシーを頼まないといけないと隣の人と話していたが、酒井さん

すべてお願いできた。とても宮古島の人は暖かいと思った。

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