そろばん 「シナプス先生」のそろばんブログ

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子供のころの武勇伝!デンデン

2007年05月29日 03時15分23秒 | 教室
 生徒と怪我の話をすると、多くの男児は自慢げに怪我の話をしてくれる。
 涼太郎の大冒険で、自分を振り返ってみて色々なアクシデントに見舞われたことを思い出した。小学校3年生の頃、ジャングルジムで足を友達に引っ張られ、鉄棒にあごを強打、その勢いで自分の舌を1センチほど噛切ってしまった。

口から血が噴出し必死の形相で自宅に帰ったことがある。

病院に行くと「あと5ミリ長かったら死んでいたでしょう」と怖いことを宣言された。

公園でキャッチボールをしていて、ウケソコナイのボールが公園のそばのパン屋さんに飛んでいき、パンのショーウインドウが粉々になってしまった。

めちゃめちゃ怒られた。

中学生のころ校庭で球技大会が開かれた。
ボールを拾おうとポールのそばまで行くとネットを支えているポールが私の頭に倒れてきた。私の額は割れて

「血が噴出した。」

次の年、またまた球技大会。校舎のそばまで飛んでいったボールを拾おうと頭を上げたトタン、校舎の窓を保護しているフェンスの端が頭に突き刺さった。

「血がドバーッと噴出した!」

 保健室に行くと消毒だけしてくれた。完治してから別な怪我で病院に行ったとき頭の話を先生にすると、傷口をみて「10針ぐらい縫う傷だね」と聞いてびっくりした。

 叔母が階段の上ではなく下2段目から落ちて骨折した話を聞いて「下から2段目で骨折する?」
と半ば呆れ顔で信じなかったのだが、数年後、私は階段の下1段目から足を踏み外し足の指の第3指を骨折した。

幼稚園に行く前だろうか?表で遊んでいて転倒した私の体の上を単車が通り過ぎた。

単車に轢かれたのだ。

父親が単車の人になにやら話していた記憶がうっすらと残っている。

一人で大冒険といえば、私が赤ちゃんの時、肺炎で生死の境をさ迷ったそうだ。
まだ抗生物質などがない時代。一人で肺炎と闘った。記憶にはまったくないが、私の最初の大冒険だったかも知れない。
これって冒険って言わないか?

涼太郎の大冒険②

2007年05月29日 02時46分22秒 | 教室
 涼太郎君の大冒険でお母様からメールをいただいた内容に、自分の子供時代を重ね合わせて見た。母親からよく聞かせられたことは「怖がりで50メートル離れた公園までも一人で行けなかった」
まさしく涼太郎と同じだ!
 涼太郎君も長男、私も長男。やっぱり用心深いのは同じなんだ。

 涼太郎君の大冒険を披露したからには自分の大冒険もと思ったものの、私は子供時代に一人で大冒険した記憶がなり。母親に聞いてみても「そんなんできるわけない」と一笑。

で、自分の記憶を遡ってみた。

夏父親と川にキャンプに行った。夜中に大雨が降ってきたので、川は危険とみなした父親は私と妹をテントにおいて宿泊先を探すと言ったのだが、臆病な私は「絶対に嫌だ」と言って、夜中に帰宅した記憶がある。そんな私も高校時代木津川の上流に一人でキャンプに出かけたことがある。それが最初の大冒険だったかもしれない。涼太郎に申し訳ないと思うと同時に
「涼太郎はすごい!」
 自転車で京都、奈良へと出かけたときも、昆虫採集で信貴・生駒を縦走したときも友達と一緒だった。
 車の免許を取り、軽自動車に乗り出した頃、東京まで不眠で往復したときも勇気が要ったが、涼太郎の冒険とくられべらたいしたことない。

 と、いうことで今回の涼太郎の大冒険は、彼の身体の中で何かしら凄くでかい自信の芽が吹き出したように感じる。
 今日、彼の授業態度が進化した。

デカ・クリップ

2007年05月28日 02時20分44秒 | 教室
 八尾アリオのなかのお店で「デカクリップ」を見つけた。20センチ以上もある大きさで、高いのだろうなと思ったら200円だったので即購入。
 ホッチキスは一般の大きさなので、その大きさがわかっていただけるだろう。

 教室で・・・
生徒    「先生これでかいなぁ!」
シナプス先生「でかいやろ!」
生徒    「何に使うの?」
シナプス先生「これは、おしゃべりの人の口にはさむんです」
生徒    「痛いやろなぁ?」
シナプス先生「痛いかどうか?まず先生のくちびるで試してみるな?」
生徒    「・・・・・・・?」
シナプス先生はおもむろにクリップを口に近づけはさむ寸前までいく。
生徒    「うぅぅ・・・・痛そう・・・」

シナプス先生 ころを見計らって「ギャァー!」と口ででかい音を出す。

生徒    「飛び上がってびっくりする」

このネタで何人も飛び上がった。
このネタを知らない生徒は次の日、同じ質問をする。

知っている生徒はニヤニヤしながらそばで見ているが「ギャァー!」のでかい音のとき、耳を指で押さえているにもかかわらず。

やっぱりびっくりする。

教室で何してんねん!

イメージ一新!

2007年05月28日 00時30分22秒 | 教室
 羽曳野校の玄関が大変身を遂げました。!
 改装は授業のない日に工事をやってもらっているので、ブログだけの紹介で保護者の方には特にお知らせは出しませんでした。
 あっという間に玄関周りが一新したので、登校して来る子どもたちはみんな不思議そうに中を覗き込み入ってきました。
中学生の照美ちゃんが「先生、教室のなかも外もおしゃれになったなぁ」
シナプス先生「えっ!?中はいままでといっしょやで?」
照美ちゃん 「ちがうねん。いままでは中だけやったけど、玄関がきれいになったから全部おしゃれになってん」
シナプス先生「照美ちゃんありがとう。」
 物置の改造はあと少しかかります。現在クーラーを外していますので、いましばらくのあいだ暑いですが、がまんしてください。

涼太郎の大冒険!

2007年05月27日 09時07分31秒 | 教室
 プルルルル!プルルル!

 「先生!今日は涼太郎一人で自転車で行かせましたので、20分ぐらいかかると思いますが、そちらに着きましたら帰る時間を涼太郎に伝えてください。よろしくお願いします。」
 
 涼太郎君は二つ隣の校区から通う小学1年生。
 いつもは、お母さんの白のエルグランドで送り迎えしてもらっているが、たまにお母さんと自転車でくることもある。自転車通学の時の涼太郎君は、競技用のヘルメットを着用、思わず「かっこええなぁ」と声をかけてしまうぐらい精悍ないでたち。

 テレビなどの「初めてのおつかい」を冷や冷やしながら観ることがあるが、今日は「涼太郎の大冒険」に違いない。
 
 予定通り、20分ほどしたら涼太郎が到着した。私はカメラをもって教室を飛び出て「パチリ!」記念になる一枚になるだろう。

 涼太郎を観て、自分自身の大冒険を脳裏をかすめた。
 今日は、東大阪校でイベントがあるので、帰宅後続きを書くことにしよう。

 【お母さんからのメール】
無事目標達成でした。

勝手に独り立ちする次男とはちがいどうしても親が付きっ切りに
なってしまう長男。
甘やかしているつもりはないのですが
やはりあかんたれのあまえたの涼太郎です。

予定日まで3ヶ月が過ぎ
母は今日一大決心をしました。
送り迎えが難しくなったときにいきなりでは助けてやることが出来ない。
その時の予行演習として今日は一人で教室に行かせよう。

勿論涼太郎が素直にウンというはずもなく
いかれへん。一緒に来てと大泣きをしました。
大丈夫。涼太郎なら出来るとだきしめてやったところで
やはりできないといい続けるのは目に見えている
涼太郎にあえて厳しい態度をとり
自転車を外に出しました。
涼太郎にはお母さんは俺に意地悪しとるだけやろーと
叫ばれたときにはこんなに泣かせて行かせてもし万が一のことが
あったら後悔しきれない。もう一緒についていこうと
くじけそうになりました。

結局お迎えには近くまで行ってあげるからの言葉をきっかけに
おもい腰を上げた涼太郎はしぶしぶ一人で出かけていきました。

子どもにとっての大冒険は親にはそれ以上の冒険で
家の角を曲がった涼太郎をいっそこっそりついていこうかという思いに
駆られながら見送りました。
その時点で先生にはご迷惑を承知でお電話をさせていただいたのですが。
それからすぐに涼太郎から携帯に電話が入りました。
アーもうダウン?
と思い電話に出ると家からわずか250m
中学校の手前で横断歩道がないからわたれないと
いつもそこには横断歩道なんてないやん。自転車降りて気をつけて
わたりというと分かったといって電話が切れました。
それから教室に着いたという電話が鳴るまでの10分の長かったこと
思いの他早い到着にも驚いたのですが。

私が付いていくと私ばかりに気をとられ
車を注意してみるということに欠ける涼太郎に
少しは一人で走り怖いなと思う経験も必要だとは思いつつ
私の仕事の関係上学童に行かせているため一人でお友達の
家に遊びに行くということもさせておらずなかなかさせてやることが
出来ないままの今日の大冒険となりました。

私自身どうやって一人で色々出来るようになってきたのだろう
といくら思い起こしてみても思い出せることはなく
やはり親に見守られつつ一人で出来ることを増やして
きたのだと思います。
田舎育ちですので車一つとっても危険というものが少なかったのは
事実なのですがやはり一人でさせようと思ったときには勇気が言ったであろうと
思います。

涼太郎は今日一人でそちらに到着できたことに
より一つ成長してくれたものとおもっています。

先生にはご迷惑をおかけし申し訳ありませんでした。
ありがとうございました。

明日のパーティーとても楽しみにしている涼太郎です。
いつも子どもたちのために素敵な企画をありがとうございます。
お休み返上での企画だと思います。
お疲れでませんよう。

イエローキャブ

2007年05月14日 10時05分36秒 | 教室
 映画などでも登場する黄色のタクシーはイエローキャブ。
 マンハッタンのいたるところで見かける。
 黄色のせいか?いつも視界の中にはイエローキャブが入っている。先日みた「スパイダーマン3」にも「サンドマン」が暴れたときにイエローキャブが紙くずのように舞い上がっていた。
 マンハッタンといえばイエローキャブというぐらい市民の足になっており目に付く存在だった。
 このイエローにはレッドイエローとレモンイエローがある。私はレモンイエローの方が好きだ。日本でよく見かける、フォルクスワーゲンのレモンイエローが最高。

タイムズスクエアー

2007年05月13日 10時46分47秒 | 教室
 ラッキーにもマンハッタンではカーネギーホールの隣がホテルだった。ニューヨークマンハッタンの道路は碁盤の目のようになっており、東西はストリートといい、南北はアベニューという広い道が通っている。
 ストリ-トは南から北へ1番ストリート・2番ストリートと数字が大きくなっている。
 アベニュ-は東から西へ数字が大きくなっている。あの有名なティファニーは5番街&57通りにある。ホテルはそこから二つ西のストリート7番街、57通りに面した場所にある。ホテルをでてまっすぐ15分ほど歩いていくと、タイムズスクエアーのエリアに突入した。道路には観光客用に両替のお店が数箇所あり、ポリボックスのドアーには鍵がかかっている。やはり、治安はあまりよくないようだ。
 そのあたりのレストランで夕食をとったが、お店には壁がなくなんか落ち着かなかった。

グランドゼロ

2007年05月11日 11時39分54秒 | 教室
 アメリカの同時多発テロの報道の過程で、テロの標的となったニューヨーク世界貿易センタービル(WTC)が崩壊した跡地が、広島市の原爆爆心地(原爆ドーム)を連想させるとして、WTCの跡地を「グラウンド・ゼロ」と呼ぶ事が、アメリカで定着した。跡地には大きなクレーンが数台。新たな建物がたつそうだが、崩壊現場にポツリと残った鉄のアングルが十字架に見えることで、現場から200メートルほど離れたところに移動されモニュメントとなっていた。

第34回 インターナショナル・ウィスラーズ・コンベンション

2007年05月08日 12時35分28秒 | 教室
 お待たせしました。口笛世界大会の報告をさせていただきます。
 何故、いままで公開しなかったかといいますと、個人成績表が昨日送られてきたからです。予選通過者は全員プロ(たぶん)予選落ちした選手の中にもプロがいます。そんな中で日本チームは8名が参加しました。アダルトの部6名・ティーンズの部1名・チャイルドの部1名総勢8名の選手団です。
 4月21日土曜日に予選が行われ22日の日曜日に決勝大会が開かれました。ノースキャロライナー州は銃乱射事件のあった南隣の州でいたるところにあるアメリカ国旗はすべて弔意を表す半旗になっていました。大会が開かれたのはルイスバーグ大学で50名の選手が口笛音楽を競いました。
 日本チームはアダルト男性の部で漆原紳壱プロが世界第2位に輝き、女性の部では分山貴美子プロが世界チャンピオンに輝きました。
 また、ティーンエイジの部では儀間太久実君(大学1年生)が世界チャンピオン、チャイルドの部では小早川智早ちゃん(小学5年生)が世界チャンピオン、パフォーマンスの部では豊橋真恵さんが世界2位の座を確保しました。
 そして、私の成績ですが初期の目標の予選通過は出来ませんでした。が、世界ランキング表で集計してみますと下記のようになります。

☆【総合ランキング】(クラシック・ポピュラー)
130ポイント
世界ランキング総合25位で(男性の部14位)

☆【クラシックの部ランキング】
53.5ポイント
世界ランキング総合31位(男性の部20位)


☆【ポピュラーの部総合ランキング】
76.5ポイント
世界ランキング総合19位(男性の部11位)

☆【パフォーマンスの部総合ランキング】
81ポイント
世界ランキング総合13位(男性の部8位)


日本選手団アダルトの部(出場者6名)で最下位になるかなと思っていましたが5番目でした。
ポピュラー部門では昨年の全日本チャンピオン(プロ奏者)を抜いて私が11位、全日本チャンピオンが18位となりました。日本チャンピオンに勝てたことが一番嬉しかったですね。また、前回世界3位の中国のプロ奏者にもポピュラーで抜くことが出来ました。プロに勝てたこともうれしいですね。

アメリカでのそろばん指導

2007年05月04日 12時34分57秒 | 教室
 「アメリカは広い!」よく聞く言葉ですが、飛行機から見ているとすべてが農場という光景が目に飛び込んできました。アメリカはまさしく農業国を目の当たりにした瞬間でした。
 訪問したところばシカゴの郊外。
 空港から車で4時間のところにあります。
 車で4時間というと関空から東に飛ばせば名古屋を過ぎて静岡あたり、西に飛ばせば広島あたりまでの距離になります。
 今回、社交辞令が通じなく「約束」となりアメリカでそろばんを教えることになったのですが、正確にはそろばんのプレゼンテーションのようなものになりました。

 アメリカはの教育制度は、政府が実権を握っているのではなく、各州の裁量に任されています。詳しい教育内容などは、カウンティーという「郡」が決定します。
 日本とは違い、校区の判断で決定できる範囲が広く、校区で教科書や休日、始、終業なども決められます。学期なども、最近東大阪市が採用した2学期制のところもあれば、3学期制のところもあります。
 アメリカでは、小学校高学年から、能力別の授業編成になります。 
4年生である教科のできる子は、特別クラスで4年生の内容を半年で終え、残りは5年生の内容を勉強します。このような特別クラスが教科ごとに組まれます。
 ただし、特別クラスについていけない児童は普通のクラスに戻されます。
 そろばんのプレゼンテーションは中学生も参加できるようにと小学校ではなく地域の集会所のようなところで行われました。蓋を開けると小・中学生だけではなく地域の大人の方までも参加して、そろばんのデモンストレーションを行いました。
 過去の情報で「アメリカ人はかけざんの九九を知らない」と聞かされていたのですが、私がかかわった学生はすべて「かけざん九九」は暗記していました。
 教室で使用する「チャレケン」(チャレンジ検定)の九九ソフトに躊躇することなくどんどん進んでいきました。
 授業内容は、私が日本の小学校で指導する方法と同じ「口唱授業」となりました。短時間でそろばんを理解してもらうには、最高の方法でした。
 日本の小学校では最初に「大きな声をだす」イベントをするのですが、日本語で「こんにちわ」を大きな声で言ってもらいました。声が小さかったので「ビッグボイス」というと全員が大きな声で挨拶をしてくれました。
 そろばんは「ダイソー」で30丁購入し、すべてプレゼントしました。手先の巧緻性は日本の児童のほうが数段上であることはこの目で確かめました。
 指先は、その後の買い物でのお釣りの際、大人でさえもお札の数え方が不器用で下手なのです。数十年前、アメリカで暗算を披露すると「マジックだ!?」と言われると聞いたことがありますが、フラッシュ暗算のデモンストレーションのときは、びっくりしていました。と、いうよりも信じられないという表情をされていました。プレゼン終了時に「また、来てくれ」といわれましたが、今回は快諾しませんでした。社交辞令の通じない国ですので、OK!と言おうものなら・・・・
 通訳は、アメリカに在住する叔母が同時通訳をしてくれました。