平尾バプテスト教会の礼拝説教

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会での、日曜日の礼拝説教を載せています。

2017年11月26日 主の僕

2018-03-15 22:38:22 | 2017年
イザヤ書52章13~53章12節
主の僕

 主の僕とは誰なのでしょうか。第二イザヤその人という説があります。それから、捕囚の民となっているイスラエルの人々、三つ目が、来たるべきメシアを指しているのではないか、ということです。
 さて、ここに登場する僕の外見は、「見るべき面影はなく、輝かしい風格も、好ましい容姿もない」とあります。それから「多くの痛みを負い、病を知っている」ともあります。つまり、彼は、風貌はさえなく、誰がみても力ない病人であったということです。それから、「わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた」とあり、この僕は、実際にも差別され、厳しい、不当な扱いを受けておりました。
 しかし、彼がしたことは何であったかが書かれています。「彼が担ったのはわたしたちの病、彼が負ったのはわたしたちの痛みであった」、「彼が刺し貫かれたのはわたしたちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのはわたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによってわたしたちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた」、つまり、彼は、病を負い、刺し貫かれ、打ち砕かれ、懲らしめられたのです。しかし、彼がそのようになっていたのは、わたしたちのためであって、私たちの代わりとなって、彼がそのようなことになっていたというのです。
 そして、それらのことはどのような理由から、そうなったのかということですが、それについては、「わたしたちは羊の群れ、道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。そのわたしたちの罪をすべて、主は彼に負わされた」、「わたしの民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり、命ある者の地から断たれたことを」、「わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために彼らの罪を自ら負った」、「彼が自らをなげうち、死んで、罪人のひとりに数えられたからだ。多くの人の過ちを担い、背いた者のために執り成しをしたのはこの人であった」、とあります。
 わたしたちは、道を誤り、それぞれの方向、おそらく自分本位の勝手な方向にということでしょう。それは罪ある者の姿を表しております。そして、神様に背いた、過ちを犯したのです。それで、この僕に、神様はわたしたちの罪をすべて負わせ、また、「彼らの罪を自ら負った」とありますように、自らもそうしたのでした。
 そして、「彼が自らなげうち、死んで、罪人のひとりに数えられた、彼は、多くの人の過ちを担い、背いた人のために執り成しをした、のでした。彼が、わたしたちの罪のために、過ちのために、また、神様に対する背きのために、それは神様のお決めになったこととはいえ、自らもまた、その意に沿うように行ったということですが、そうして、わたしたちの過ちを担い、わたしたちのために神様に執り成しをされた、ということが記されています。
 この主の僕は、誰であったのか、第二イザヤその人だと考える場合、彼の預言者としての孤独で壮絶な戦いがあったことをうかがい知ることができます。それは、イスラエルの民の罪ある者のためになしたことではあったけれど、人々からは理解されず、逆に迫害されることすらあったことが想像できます。それは、あたかも彼らの罪を代わって負うような姿に見えたのです。
 また、イスラエルの捕囚の民たちだと考える人々は、イスラエルの歴史のなかで、彼らほど苦しんだ者たちはいなかったのではないか、イスラエルの犯した罪を一身に受けて、その犠牲になったのが、捕囚の民たちであった、そう考えることもできます。
 この僕は、実際は誰であろうと、歴史的にキリスト者たちの多くは、この主の僕の姿とイエス様の姿が、特に十字架に至るまでの、そして、十字架上のお姿があまりにも合致すると思ってきたのです。福音書記者たちは、当然、このイザヤ書53章の内容は知っていたはずですから、そこに、イエス様のお姿を見出し、それとの重なりを意識しながら福音書を記していったかもしれません。
 「彼が担ったのはわたしたちの病、彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに、わたしたちは思っていた。神の手にかかり、打たれたから、彼は苦しんでいるのだ、と」。イエス様が十字架におつきになったときに、「そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって言った。おやおや、神殿を打倒し、三日で建てる者、十字架から降りて自分を救ってみろ。
 同じように、祭司長たちも律法学者たちと一緒になって、代わる代わるイエスを侮辱して言った。他人は救ったのに、自分は救えない。メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう。一緒に十字架につけられた者たちも、イエスをののしった」(マルコ15:29~32)。イエス様を嘲弄した者たちもまた、イエス様が神の手にかかり、打たれたから、イエス様は苦しんでいるのだと、理解したことでしょう。
 私たちは主の愛をどこで感じるのでしょうか。「彼が刺し貫かれたのは、わたしの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのは、わたしの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって、わたしたちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって、わたしはいやされた」。私たちの多くは、イエス様の私たちに注がれている愛を感じるのは、どこなのかと聞かれたら、十字架のイエス様だと答えるのではないでしょうか。そこにおいて、私は、キリストとの結びつきを感じます。この私のためにイエス様が十字架におかかりになったと思うからです。
 わたしたちの罪はどのようなものなのでしょうか。そして、その罪はどのようにして神様に赦されたのでしょうか。「わたしたちは羊の群れ、道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。そのわたしたちの罪をすべて主は彼に負わせられた」。神様が整えられている道があるにもかかわらず、その道をそれて、それぞれ勝手な方角に歩んでいくのが、罪だというのです。神様に従って歩もうとしない姿が罪だと言います。
 そこには、自分本位、自己中心的、利己主義的な自分の罪の姿を思い浮かべます。「神様がいないのであれば、すべては許される」とドストエフスキーは、彼の作品の中で、その主人公のセリフを通し、述べています。まさに、神様を認めない者の姿は、このようにもなりかねません。しかし、その罪のすべてを神様はこの僕に負わせられました。そういう形で、私たちを赦そうとお考えになられました。
 神様の御心とは何でしょうか。「主の望まれることは、彼の手によって成し遂げられる」。この僕が、神様の望まれること、すべてを成し遂げられるのです。それは、わたしたちの罪を赦すためのご計画でした。
 この僕が、「自らをなげうち、死んで、罪人の一人に数えられた」ことは何を意味しているのでしょうか。私たちは罪人であり、罪ある者の中に数えられています。イエス様は、罪なき聖なるお方でしたが、ご自分の名前を、聖なる方のお名前が記されているところから取り除き、罪人たちと同じ場所に移されました。それは、イエス様が聖なるところから移され、罪ある者たちの仲間となってくださり、その代わりに、わたしたち罪ある者が、あちらの聖なる者のところに名前を連ねることができるようになったことを意味しています。ここに完全にイエス様と罪ある私たちの入れ替わりがなされたのではないでしょうか。
 罪、それをどのように認識できるか、というのは、まじめに生きている人々にとっては、時間のかかることかもしれません。自分は罪深いというのは、年をとるにしがたって少しずつわかってくることかもしれません。それは罪を犯したという認識が経験によって、少しずつ増し加わってくるからでしょうか。ほんとうには聖書をとおしてしか、罪の何たるかはわからないのかもしれません。
 罪については、多くの人々とつながりをもってみてわかることかもしれません。文学に親しんでいる方々は、人間の罪の問題については、結構理解できているのかもしれません。文学は結構人間の罪をテーマにしているものが多いですから。イエス様が、どちらかというと、貧しい人々、罪人と言われていた人々と交わりをもっていかれたのは、彼らが、罪というものについて、自意識のなかにそれを感じ取っていたからではないでしょうか。
 彼らに対する救いは、自分は罪を犯しているという意識がありましたから、それだけにより近いものがありました。それに比べ、律法学者、ファリサイ派、祭司長と言われる人々は、罪の少ない者、罪を犯さない者といった自負があったと思われます。彼らは、罪の認識が薄く、実は、救いから遠いところに位置しておりました。
 例えば、ルカによる福音書の18章9節からのところで、こういう話が書かれています。「二人の人が祈るために神殿に上った。一人はファリサイ派の人で、もう一人は徴税人だった。ファリサイ派の人は立って、心の中でこのように祈った。『神様、わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。わたしは週に二度断食し、全収入の十分の一を献げています。』ところが、徴税人は、遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。『神様、罪人のわたしを憐れんで下さい。』言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない」。
 私は、福音書のなかに登場してくるイエス様とかかわりのあった人物たちの、あるいは、イエス様が語られたたとえ話の登場人物たちの、自分の罪を告白する場面を想い起こします。ザアカイがしかり、放蕩息子がしかり、先ほどのルカの18章のたとえ話の徴税人がしかりです。それぞれ十分な悔い改めではありませんが、自分の罪を思い、悔い改めの言葉を述べています。
 ただし、ザアカイにしても、放蕩息子にしても、両者とも、イエス様、父親にその罪を指摘されて、悔い改めたのではありませんでした。ザアカイは、イエス様と出会って、悔い改めの気持ちをもつに至りました。放蕩息子は、父親のもとにいたときの恵みの日々を思い出しました。悔い改めは、イエス様にはじめて出会い、或いは再び出会い、イエス様のところに戻ってくるときに、生まれるものです。
 罪の原点は、神様のもとから遠く離れてしまう、そこにあると聖書からは教えられます。親は、子どもがいなくなることに対して、どんなにか心を痛めることでしょうか。放蕩息子の父親が、その悔い改めは十分ではなかったにせよ、帰ってきた罪ある息子を大きな喜びをもって迎え入れたことからもわかります。神様は、親以上に、私たち一人一人を愛情を込めて創造されたお方です。その一人も失われることを望んではおられません。
 この父親は、自分のところに戻ってきた息子に対して言います。「この息子は、死んでいたのに生き返った」と。神様から遠く離れることは、神様の目からするならば、死んだも同然です。しかし、立ち戻ってくるならば、それは再び命を得た、復活したことになります。
 さて、主の僕とは、誰なのでしょうか。来たるべきメシア、イエス・キリスト、その人をやはり私はイメージします。イエス様のお姿とここに描かれている主の僕、苦難の僕は重なります。
 もちろん、その人を第二イザヤ、あるいは、このときのイスラエルの捕囚の人々と考えることもできます。そうしますと、本日の世界祈祷週間で、中国伝道に献身したロティ・ムーンは、どうなのでしょうか。彼女の姿もまた、主の僕の片鱗をうかがわせるには十分ではありませんか。それは、マザーテレサもしかりでしょう。中国の人々のために、インドの、行き倒れて死を待つ人々のために、彼らの救いのために、自分の人生を献げたのです。また、キリスト者として、苦難のなかに生き続けている人々の生きざまのなかに、私たちは、主の僕の片鱗を見出すことができるかもしれません。
 わたしたちキリストに従う者たちは、このイザヤ書53章の苦難の僕とイエス様とを重ねあわせ、イエス様に感謝するとともに、このイエス様から、この苦難の僕から、他者の救いへと押し出されるのです。そこには、主の力が働いています。自分を無にし、他者を生かそうとする力が働いています。キリスト者の生き方は、この53章の主の僕、苦難の僕、
そして、十字架におかかりなるときの、あるいは十字架の上のイエス様のお姿に極まることを私は教えられます。それはねばならないというのではなく、イエス様に続くことを、イエス様が欲しておられると思うからです。
 マルコによる福音書8章34節、35節「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである」。
 主の僕をキリストと信じ、そのキリストに従う者として、私たちもある意味での主の僕としての歩みをなしたいと思うのです。世界伝道の視点を与えてくれたロティ・ムーンをはじめ、わたしたちの先達たちがそうであったように、であります。


平良 牧師

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