平尾バプテスト教会の礼拝説教

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会での、日曜日の礼拝説教を載せています。

2006年1月8日 十字架を語る

2006-07-19 23:47:50 | 2006年
コリントの信徒への手紙一1章18~25節
      十字架を語る

 パウロがこのコリントの信徒たちへの手紙を書こうとした動機の一つに、クロエの家の人たちから、現在のコリントの教会の事情を聞いたことにありました。クロエというのは、コリントに住んでいる女性の信徒でした。このときパウロはエフェソにいたのですが、コリントとエフェソは船での往来がさかんで、クロエ家の使用人をとおして情報を得ていたようです。
 彼らの話では、4つのグループにコリントの教会が分かれているということだったのです。それは、パウロ派、アポロ派、ケファ(ペトロ)派、そして、キリスト派というものでした。パウロは、「皆、勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい」と勧めます。
 どうして、そのような四つのグループができていったのかは、詳細に書かれてありませんからわかりませんが、パウロが伝道したあと、アポロという人物がやってきて、コリント教会の指導者となりました。
 それで、アポロに信頼を寄せる者たちが起こったことはうかがえます。あとの二つのグループはどうしてできたのかはわかりません。想像できることは、教理的なことや教会の運営上のことで、4つのグループが生まれてしまったのか、あるいは、単純に、どの指導者が一番偉いかということで、分裂していったのかということでした。しかし、それ以外にもパウロが論敵と思われる人々がいたようです。いずれにしても教会が危機に直面しているのです。
 パウロは、そのことを知って、分裂の危機にある教会を何とか一つにしてあげたい、また他にもいろいろな問題を抱えていて、それについても何とか解決してあげたい、解決してほしい、本筋にもどって欲しいと願い、手紙を書き送っているのです。
 コリントの教会は、4つのグループに分かれていたということもですが、それ以外にも論敵と思われる人々がおり、また、教理的なことや教会運営上のこと、信仰者としての生活態度など、課題や問題は山積みでした。教会生活を長くおくっている皆さんは、そうしたことは今でも、どこの教会でも起こりうることなのだとお考えになるでしょう。
 それは、教会も人と人が集まって作っているのですから、当然、考えの違いは出てくるのです。問題は、そのとき、その事柄自体をどのように受け止め、乗り越えていくかにあります。それは初代教会の時代から現代に至るまで変わることはありません。
 そしてまた、そのような欠けだらけの教会でありつつも、「コリントにある神の教会へ」という言い方をパウロは手紙の冒頭で、しているのです。教会はどのように問題があり、混乱があったとしても、神の教会であることにかわりないのです。イエス・キリストによって建てられているのです。であればこそ、そのお方にふさわしい歩みをなすことが期待されています。
 また、「キリスト・イエスにあって聖なる者とされた人々、召されて聖なる者とされた人々へ」と言われているように、そこにいる人々もまた、どのようにだめであったとしても聖なる者たちとして召されのであれば、そのように神様に整えられるように願うべきであり、難しいけれども、そのように生きることを考えるのであります。
 さて、私たちの教会には、3人の牧師がいます。私は、自分のことを考えますと、いわゆる一般的な牧師だと思っています。青野先生は、学問からくるところの確信と自由さをもっておられます。松村先生も、医者としての経歴や主任牧師をされていたときの経験などから、教会形成において確信と、それでいて結構自由な発想をなさいます。
 もし、この3人が、明らかに違うことを考え、語り始めますと、教会の皆様も混乱するわけですし、お互いに不信さえ、湧き起こらないとも限りません。それもまたおもしろくていいという評価もあるでしょうが、コリントの教会のように3つのグループができるかもしれないのです。
 しかし幸いなるかな、この3人の共通しているところは、これは私の私見ですから悪しからず。自分を絶対化しないというところです。
 これは、平尾の皆さんにとってもうれしいことではないでしょうか。いやいや、結構各々主張はしていますよ、そう言われるかもしれませんが、自分たちは、自己絶対化をしているつもりはありませんし、自分で言うのもなんですが、主によって、けっこう謙虚にさせられてはいるつもりなのです。
 それでも私は、まだまだですけれども。二人の先生方にも大いに譲歩していただいたり、支えていただいているわけです。13日も平尾教会の牧師会を致しますが、毎回、教会を建て上げていく上での、なかなか実のある話ができていると思っています。
 三人が、教会を建て上げるということで、一つになって話をさせていただいています。一つにさせられております。ですから、どうぞ、ご安心ください。
 コリントの教会はそうではありませんでした。あまりよくない見本としてコリントの教会は描かれておりまして、これも聖書の醍醐味だろうかと思うほどです。
 しかし、そうなる危険性を教会はいつも持っているということは想像に難くないはずです。教会というところは、初代教会の時代から理想とするところは示されていますが、先ほども述べましように、限界をもっている、罪ある人と人との集まりですから、それがそうはいかないわけです。
 ですから、パウロが、まず、心を一つにし、思いを一つにして、固く結び合いなさい、と勧めるとき、それは、現代の教会にも勧められていることだと、受け止めねばなりません。それから、コリントの教会では、バプテスマを誰から受けたかというようなことも問題になっていたのでしょうか。
 パウロは、バプテスマを軽視しているとは思いませんが、むしろ、福音を宣べ伝えることに自分は遣わされていると主張して、そうした論争の無意味さを諭し、教えるのでした。
 パウロは、しかし、イエス・キリストの十字架には、かなりの思い入れがありました。教会のシンボルは、十字架です。パウロの十字架の理解は、他の人々と比べるときに、少し違うように思えます。それでも基本は同じです。
 それは、コリントの信徒への手紙15章の3節から5節のところに書かれてあります。「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後12人に現れたことです」これらのことは、パウロにとっても、最も大切な福音のなかみでした。
 しかし、それだけではないのです。この十字架の理解は、どうもその後のパウロの生き方や考え方に、当然と言えば当然なのですが、大きな影響を与えていくのです。自分の生き方が、このイエス様の十字架によって定められているような具合です。
 イエス様が私たちの罪のために十字架におつきになったということ以外に、何か、いろいろなところで、パウロに逆転の発想をイエス・キリストの十字架はなさしめることになっているのです。
 ここでは「十字架の言葉」とパウロは言っています。イエス・キリストの十字架によってもたらされた福音のなかみのことを言っているのだと思います。その十字架の出来事は、滅び行く者には愚かとしかいいようのないものかもしれないけれど、救いにあずかる者には、神様の力だと言います。
 「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さを意味のないものにする」イザヤ書29章4節の言葉をとりあげて、まさにそのとおりになっていると説明しています。世の知恵を誇っている者には、この十字架の出来事が福音であることがわからないと言います。また、自分の知恵を駆使して神様を理解しようなどと、できるはずもないのだと。
 「ユダヤ人は、しるしを求め、ギリシア人は知恵を探しますが、わたしたちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものです」とパウロは言います。ユダヤ人にとって重要なことは、しるし、ギリシア人にとって重要なものは知恵、しかし、キリスト者たちにとって重要なものは十字架につけられたキリストなのです。
 これらは、同列に扱われています。ユダヤ人、ギリシア人、そして、キリスト者たちにとって、何が最も重要なものであるかが、述べられているのです。
 ユダヤ人たちは、しるしを求めるとあります。イエス様が十字架についたとき、そこをとおりかかった人々と同じように祭司長や律法学者たちも「他人は救ったのに、自分は救えない。メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう」と言いました。
 しるし、奇跡、これは、私たちの心を動かします。確かにイエス様も生前、多くの病ある人々を癒してさせあげましたし、婚礼の席でぶどう酒がなくなったときに水を上等のぶどう酒に替えられたり、湖の上を歩いたりと、超自然的なこともされました。これは立派なしるしです。
 しかし、イエス様の十字架においては、それは起こらなかったのです。神様の力と呼べるようなものは、何一つありませんでした。
 それどころか、恐ろしいほどに神様がいないことをつまり、それは絶望以外の何物でもないような雰囲気があたりに漂っていたのではなかったでしょうか。
 しかも、しるしということであれば、申命記21章23節には、「木にかけられた死体は、神に呪われたものだからである」という言葉がありまして、むしろ、神様に呪われた者としてのしるしがそこにはあったのでした。無力さと絶望と神様に見捨てられたというのが、十字架のしるしでした。
 しかし、その十字架は、私たちの罪のためであったというとき、その無力さと絶望と神様から見捨てられるということは、私が負うべきことであったということになるのです。私が負うべきものをイエス様が負ってくださったのです。
 「ユダヤ人たちはしるしを求める」という言い方には、しるしを求めるありようをパウロはここでは否定しているかのようにとれます。十字架は、力強さ、奇跡などのしるしとは対極にあるものだからです。しるしというなら、それは無力さと絶望と神様から見捨てられた者のしるしでした。
 ユダヤ人はしるしを求める、そして、ギリシア人は知恵を探す、確かに哲学などが盛んになされ、雄弁であることも価値あるものの一つでした。そこには、神様の存在を立証できるだけの理屈が必要でした。
 また、人間いかに生きるか、などという話には、直接、神様の存在云々は必要もなかったのかもしれません。また、神様が人間として来られるというのも理解できないことだったでしょう。
 それに加えて、十字架で処刑されるということは、ローマ帝国への反逆を企てた者に執行された処刑方法でしたから、その点からも、強大なローマを相手におそらく反逆としてしか、とられないようなばかなまねをしたのだろう、イエスという男は愚か者だとして見られた可能性もあります。
 しかし、「ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです」とパウロは言います。無力さと絶望と神様から見捨てられたしるしとしての十字架こそ、神の力だと語っているのです。また、そこにこそ神様の知恵が現れていると語っているのです。
 「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。それはこう書いてあるからです。『わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さを意味のない者にする』」。パウロは、ユダヤ人たちへ、多くは異邦人たちへの伝道に彼は重荷を感じ、その務めをなしていったのですが、伝道を行っていったときに、このことを身にしみて感じていったのでしょう。
 私たちは、イエス様の十字架をどのように語っていけばいいのでしょうか。パウロは、十字架のイエス様をそれもまだ十字架にかけられたままになっているイエス・キリストについて宣べ伝えていきました。
 それが、パウロには、とても重要なことと思われたからです。その弱さの中に、世の知恵や賢さをも超えるところの強さを見出したからではなかったでしょうか。そして、何よりも私たち罪ある人間たちへの、神様の強い愛を感じたからではなかったのでしょうか。
 ところで、21節に「そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです」とありますから、先週も述べましたように、私たちは、この一年も神様から、イエス様からどのように多くの恵みを受けたかという、自分の身に起こった証しをするだけです。
 しかし、それはしるしであることが多いのです。パウロは、十字架のイエス様を語っていきました。パウロは、自分の身に起こった神様の業と十字架のイエス様と、この両者を上手に話すことができました。自分の身に起こったことを話しながら、十字架のイエス様の話をすることができました。
 そういうしゃべりを私たちもしていかねばならないのではないでしょうか。しるしだけを語ると、十字架のイエス様はいったいどうなったのだろうとなりますし、十字架のイエス様だけを語ると、自分の身に起こった恵みのできごとを語るのを忘れてしまうのです。
 ですから、この両方が私たちの語る中味としては必要なのです。それは、一般の人々には恵みと思えないような出来事のなかに神様の恵みを見出すということです。そこに、神様の力を見るということです。

 弱いときにこそ、強いと言い切る信仰を持つことです。それは十字架を見上げるところからしか生まれてこないのです。そのことをパウロは、私たちに強く勧めています。
 この一年もいろいろなことはありますが神の教会につながり、一人一人は欠けだらけですが、主によって聖なる者とされたものにふさわしく、この世に遣わされ、そして、そこで証しをなし、十字架の言葉を語ってまいりましょう。

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