平尾バプテスト教会の礼拝説教

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会での、日曜日の礼拝説教を載せています。

2006年10月8日 悔い改めなさい

2006-12-21 18:03:13 | 2006年
使徒言行録2章37~42節
    悔い改めなさい

 ペトロは、復活のイエス様に出会いました。ルカによる福音書では、失望してエルサレムを去っていく二人の弟子たちに復活のイエス様が現われ、旧約聖書に書かれてあるメシアの話をされたことが書かれています。それから、信じられないでいる弟子たちに、何か食べ物があるかと言われて、焼いた魚を一切れ食べられたのでした。
 同じくルカが書いたとされる、先ほど読んでいただいた使徒言行録の最初の方には、その復活されたイエス様は、「ご自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、40日にわたって彼らに現われ、神の国について話された」とあります。そして、天に挙げられたのでした。それから、五旬祭のこの日、弟子たちは約束されていた聖霊をいただくことになったのです。
 聖霊を受けたペトロは、同じユダヤ人たちの前で、イエス・キリストについて証しをしています。集まっていたユダヤ人たちは、天下のあらゆるところから戻ってきていたユダヤ人たちであったといいます。巡礼のため、エルサレムへ帰ってきた離散したユダヤ人たちでした。彼らに対して、ペトロは大胆に語っているのです。彼はこのとき、他の弟子たちと一緒に聖霊を受けたのでした。
 説教しているペトロは、あのイエス様を裏切って逃げていっていった軟弱なペトロとは別人のようです。ペトロは、「ナザレの人イエスこそ、神から遣わされた方です」これは、ペトロの主告白と言えます。復活のイエス様に出会ったということは、彼に恐れるものは何もないかのごとくに確信を得させていました。
 36節でも彼は言っています。「あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです」。ペトロは、かつて、イエス様をメシアと告白したとき、イエス様が自分は多くの苦しみをこれから受けて、長老や祭司長、律法学者たちによって排斥され、殺されてしまう、しかし、三日目に復活するのだと告げられたときに、そのことを認めることができませんでした。ペトロは、メシアとは、ダビデのような偉大な強い王をイメージしていたからです。
 そして、それは、何もペトロだけではなくて、一般にそのようにメシアという方はイメージされていたのでした。それで、イエス様を脇へお連れしていさめたということがありました、しかし、ここではすでに、そうやって、十字架の上で殺されたお方こそ、メシアであると、神様がそのようにお定めになり、ご計画されたのだと理解しております。彼の認識は完全に覆されているのです。彼は、確かに復活のイエス様に出会ったのでした。
 そしてこの日、聖霊なる神様の活ける力をいただいたのでした。それから、彼は説教を続け、「神はこのイエスを死の苦しみから解放して、復活させられました」と、告白しました。ペトロは、ダビデが謳ったとされる詩篇を引用して、まさに、その詩篇に描かれているお方こそ、メシアたるイエス様なのだと言いました。
 「彼は黄泉に捨てておかれず、その体は朽ち果てることがない」と語られているのは、イエス・キリストのことだと言ったのでした。「神はこのイエスを復活させられたのです。わたしたちは皆、そのことの証人です」とも述べました。ペトロは今や、復活されたイエス様から「あなたがたの上に聖霊が下ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」と告げられたとおりに、キリストの証人として、立たされています。
 それから、ペトロは、「イスラエルの全家は、はっきり知らなくてはなりません。あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです」とユダヤ人たちの罪を明らかに致しました。ですから、これを聞いていたユダヤ人たちは大いに心を打たれ、ペトロと他の使徒たちに対して「兄弟たち、わたしたちはどうしたらよいのですか」と答えたというのです。
 ペトロは、答えました。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって、洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば賜物として聖霊を受けます」。しかし、おそらく、このペトロの言っていることに該当するのは、まず、イエス様を裏切って逃げて行った弟子たち、使徒たちではなかったでしょうか。
 彼らが、まず初めにその赦しの恵みにあずかったのではなかったのでしょうか。彼らは、主を知らないといって裏切ったこと、自分の命欲しさに主を見捨てて逃げてしまったことなど、自分の深い罪を見て、悔い改めたはずです。説教を語っているまさにその人、ペトロも、三度もイエス様を知らないといって、裏切ったのですから、悔い改めを迫っている本人がまず、彼らに語る前に、そのような自分の罪を悔い改めていたのではないのでしょうか。
 そして、罪を赦していただきなさい、と勧めている本人が、まず、キリストにより罪の赦しを体験したのではなかったのでしょうか。イエス・キリストの復活という出来事そのものが、彼らには、罪の赦しの大きな宣言だったはずです。主は生きておられる、そこから彼らは、前へ向かって歩んでいくことができたのです。新たなる一歩を踏み出すことができたのです。
 キリストの復活という力強い喜びごとがあり、それにより、真の悔い改めが生じたのです。そして今、彼は、約束された聖霊のお力、神様の力をしっかりといただいているのです。まさに、このとき、ペトロが語った悔い改めと救いの内容は、自分自身が身をもって味わったことだったはずであります。
 ペトロの言葉を受け入れた人々は、バプテスマ(洗礼)を受け、その日に3000人ほどが仲間に加わったのでした。ここには宣教(説教)により、バプテスマへと導かれることが一つの有様として示されています。「悔い改めなさい、バプテスマ(洗礼)を受け、罪を赦していただきなさい」。
 礼拝で語られる説教の目指すところは、いつもここにあるということを私は基本的な事柄として、教えられるのです。このときのペトロの説教には、イエス・キリストは、神様のご計画にしたがって十字架につけられたのであり、しかし、その方は復活させられたということ、この方を信じて、バプテスマを受けるなら、罪を赦していただけるということが、福音の中身として言われました。
 福音を受け入れた人々は、その日だけで3000人もいたと言われます。彼らのほとんどが、はじめて聞く話だったでしょう。ああそうだったのか、自分たちが、あるいは、自分たちユダヤ人の仲間が、あのとき十字架につけろ、つけろと圧力をかけて、十字架にかかったあのイエスという男が、メシアだったのか、自分たちが、あるいは、仲間としてのユダヤ人たちが、イエスを十字架につけたのかという意識が、人々の中にそのときどれだけの真実なる思いをもって、起こったかということについては、少しわからないところがあります。
 あまりにも、素直なような気がするからです。確かに、十字架につけろと声を荒げて叫んでいた群衆たちは、祭司長たちに扇動されていたということはありました。今、改めて、ペトロからことの真相を聞いて、彼らは、まっすぐに反応をしているのでしょう。
 そして、そのお方は、復活されたのである。このお方こそ、真なるメシアであった、と教えられたのです。私たちが教えられることは、こうして、福音を聞かされ(ここではまだ、十字架が私たちのためであった、ということの説明は十分でありませんが、復活をされたということは大胆に語られているのです)、そうした福音を聞かされ、それまでの自分たちの罪を悔い改めて、洗礼を受けるという、そのまっすぐさです。
 このときの彼らは、罪の直接性ということでは、ペトロから「あなたがたが十字架につけた」と言われたわけですから、今の私たちが罪を意識するのとは、若干の違いがあったでしょう。彼らは、今、すぐにでも赦されたい、救われたいという思いがもっともっと強かったかもしれません。そして、このお方は、復活されたメシアである、と彼らは信じたのです。
 ペトロは、十字架につけたのは、イスラエルの全家だと言いました。しかし、ペトロ自身がイエス様を裏切った者として、同じようにイエス様を十字架につけた側に位置していたのです。そして今、神様に従えないで、これまで生きてきたすべての者が、私たちも含めてすべての者が、イエス様を十字架につけているのです。イエス・キリストの十字架は、すべての人間の神様の背きの罪のために、なされたものでした。
 ですから、当然、この救いのみ業は、すべての人々に開かれているのです。39節「この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子どもにも、遠くにいるすべての人にも、つまり、わたしたちの神である主が招いてくださる者ならだれにでも、与えられているものなのです」。そして、主は、今このときも、私たちを神様のもとへ戻ってくるように、招いてくださっているのではないでしょうか。
 ところで、そうしてバプテスマ(洗礼)を受けた者たちは、「使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった」とあります。使徒の教えというのは、今でいうと、それは聖書の教えということになるでしょう。その場は、礼拝であり、教会学校や祈祷会での聖書の学びや分かち合いが当てはまるのではないでしょうか。
 それから、相互の交わり。これは、昼食を一緒にしていますが、そのときなされる交流、それから、各会の交わり、委員会ごとの奉仕のときの交わり、などが考えられます。そして、パンを裂くこと、これは、主の晩餐のことです。
 イエス・キリストの十字架を思い起こし、感謝と、悔い改めと希望を新たにするという意味で行っている大切な儀式です。私たちの教会は、月の第一の主日のなかでこの主の晩餐を行っています。私たちの教会では敬老の日をおぼえての礼拝の日を、全員出席日として、おぼえているのですが、それと同じように、できるだけ、この主の晩餐には、すべての人々が出席するようになったらといいと思っています。
 そして、祈ること、祈祷会で私たちは教会の課題、個人の事柄、社会情勢など、いろいろなことをおぼえて、お祈りを合わせています。二人が一組となり、祈り合っているのですが、祈祷会は、教会の原動力です。この祈祷会にも、教会の原動力ですから、一人でも多くの方々に出席していただけたら、と願っています。
 そして、祈りは、祈祷会に留まりません。家庭での家族との祈り、職場や学校での個人で祈る祈り、朝の夜の、寝る前の祈りなどがあります。ペトロの説教を受けて、3000人もの人々がバプテスマを受け、彼らは、「使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった」と言います。
 そして、そのことは、当時から今に至るまで、ずっと受け継がれているのです。宣教により、バプテスマへ導かれることも、そして、キリスト者になった方々が、聖書の学び、相互の交わり、主の晩餐にあずかること、祈ることなど、基本的な信仰者としての姿勢は、初代教会の時代から今に至るまで、何ら変わることはないのです。そして、こうした、ある意味では地味な生活に、私たちはゆるぎない意味を見出しているのです。
 現代社会において、キリスト者である私たちは教会外でも多くの活動をしています。それらの中には、つい夢中になり、熱心になってしまうものも少なくはありません。地域の奉仕活動に取り組んでおられる方々がいます。趣味も一つや二つではなく、たくさんの事柄にかかわっておられる方もあるでしょう。子どもたちも部活があり、習い事があります。そうした事柄のなかには、時間と労力を必要とするものも少なくありません。
 そして、それらの方々の中には、この活動に参加することは、教会の代わりになるかもしれないと考えたり、福音を聞いたと同じだと思われている方もいるでしょう。そういうことも当然あるでしょう。特に地域や施設での奉仕活動はそうです。
 今日の聖書の箇所は、そういった意味で、私たちがイエス・キリストによって教会に招かれているキリスト者として、基本的な生活、あくまでも基本的ということですが、そのスタイルにもう一度、立ち戻らされます。そして、この基本を大切にすることが大事なのであります。
 ペトロは、「邪悪なこの時代から救われなさい」と勧めました。現代はどうでしょうか。邪悪な時代ではなくなっているでしょうか。否、大いに邪悪な時代であるでしょう。日々の凶悪な事件があります。弱者切捨ての福祉の実情があります。政治による腐敗があります。国同士でなされる戦争という最大級の邪悪な出来事があります。
 もし、イエス・キリストを知ることがなければ、福音を聞くことがなければ、悔い改めるということも起こりませんし、罪が赦されるということもおこりません。私たちの歩みは、邪悪な時代にすっかりと飲み込まれ、それこそどうしようもない罪の中に生き、あえいでいたのではないでしょうか。
 ペトロが宣教したように、今に生きる私たちもまた、「邪悪なこの時代から救われなさい」と宣教をすることが求められています。福音を語ることが求められています。
 私たちはしかし、このような時代にあって、キリストに従う者としての生き方を示されています。生き方は定まっています。ぶれることはありません。これまでの自分を顧み、悔い改めて、神様に罪の赦しを願うのです。そして、礼拝をはじめとするいろいろなところで、聖書のみ言葉に耳を傾け、相互の交わりをなし、主の晩餐を守り、祈るのです。
 そして、そのいずれにも熱心であれと教えられているのです。そして、そのような生活のすべてに復活の主がいつも共におられ、導みのみ手を差し伸べてくださっています。そのお方は、聖霊として、今もなお働いておられる神様の力でもあられます。
 この力をペトロはいただきました。彼に後に、ありとあらゆることを教え、示されたのも、この力でした。大胆に説教を語らせたのも、この力でした。大切なことは、福音に耳を傾けること、悔い改めること、バプテスマを受け、罪の赦しを得ること、このことがすべての始まりであるということです。
 私たちのスタート地点は、いつもここにあります。すでにバプテスマを受けた者たちも、迷ったときに、このスタート地点に戻ってこなければなりません。悔い改めて、罪を赦していただくのです。そして、初代教会の人々が示されたように、キリスト者としての基本的生活スタイルを守るのです。
「使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった」。


平良 師

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