平尾バプテスト教会の礼拝説教

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会での、日曜日の礼拝説教を載せています。

2006年10月1日

2006-12-10 13:28:16 | 2006年
マルコ15章21~39節
     この人を見よ

 マルコによる福音書に描かれているイエス様の姿からは、何一つ、神の子としての風情が、感じられません。そのことを思わせる材料も見当たりません。それなのに、そこに居合わせたローマの百人隊長は、イエス様をずっと見ていて、「本当に、この人は神の子だった」と告白したのでした。
 マタイによる福音書ではほぼ同じところが、「百人隊長や一緒にイエスの見張りをして人たちは、地震やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、『本当に、この人は神の子だった』と言った」となっているのです。つまり、神の子と考える材料が、明記されています。地震やいろいろな出来事を見て、怖くなってそう考えたのでした。
 ところが、マルコでは、そのことを思わせるような、それらしいことは書かれていません。神殿の垂れ幕が真っ二つに裂けた、という出来事も、ゴルゴタの丘にいる百人隊長に知るよしもありませんでした。いったい彼は、何を見たというのでしょうか。イエス様の十字架の上で語った言葉を彼なりに理解したのでしょうか。「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」。
 否、イエス様は、このとき「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」というアラム語で話されたのであり、周囲の者たちもよく理解できなかったようです。「そばに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、そら、エリヤを呼んでいる」と理解した者もいたくらいでした。ローマの百人隊長ですから、なおさら、何を言ったのかはわからなかったに違いありません。
 イエス様からとても愛されていた弟子たちは、かつて、「あなたがたはわたしを何者だと言うのか」と尋ねられたときに、その中のペトロが真っ先に「あなたは、メシアです」と答えたのでした。メシアというのは、キリストのことです。救い主、それから油注がれた者という意味もありました。つまり王様ですね。
 王の戴冠式のときに、油を注ぐというようなことをしていたのでしょう。ペトロは、イエス様というお方は、そのような方だと告白したのでした。それまでの、イエス様との過ごした時のなかに、ペトロにそう思わせるに十分な数々の出来事がありました。
 障害を負っている人々や病の人々を癒すという奇跡を見ました。あるだけのわずかな食物をイエス様が祝福されたことによって、それを分けて食べると、4000人、5000人という大勢の人々が、食べて満腹するという体験もしていました。
 弟子たちだけで船で湖の上をこぎ進んでいたとき、強い逆風が吹き、彼らは四苦八苦して、不安の中におののいていました。その弟子たちのところへ、湖の上を歩いてこちらにくるイエス様の姿を見ました。そして、船にイエス様が乗り込まれると、風が静まったという体験もしました。イエス様の教えもまた、これまで聞いたことのないような心の躍るお話であったでしょうし、その語り口は、自ら権威のある方のようでありました。
 ですから、ペトロは、イエス様のことを、この方こそ、メシアだと考えたのでしょう。そのとき、ペトロの抱いていたメシアに対するイメージは、かつてのダビデ王のようなメシアでした。しかし、これは、当時の誰もが抱いていたメシア像だったのです。ペトロだけではありませんでした。おまけに、当時は、メシアを待ち望む思いを多くのユダヤ人たちが持っていました。
 それは、ローマの支配に対するユダヤ人たちの不満が鬱積して、何とかローマからの解放を勝ち取ることはできないだろうか、そのためにきっと、あのダビデ王のような強い王様が、来てくれるに違いないと思って、その人の到来を待っていたのです。
 そして、ペトロも、そのようなメシア像を心の中に抱きつつ、イエス様の力ある業の数々を見て、「あなたは、メシアです」と答えたのでした。その証拠に、その告白をした直後に、イエス様が、「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている」、と弟子たちに、はっきりと話されたときのこと、ペトロは、イエス様をわきへお連れして、いさめ始めたのです。
 新共同訳では、いさめはじめたという訳をしていますが、岩波の佐藤研さんの訳では、「叱りはじめた」となっています。いさめるというのは、「おもに目上の人に対してまちがいを改めるように言う。忠告する。」と国語辞典にはあります。ペトロも大胆なことをしたものだと思います。
 しかし、それほどに、ペトロには自身があったのでしょう。イエス様の言われたことは、間違っている、そのようなはずがない、と彼には確信があったのです。それほどに、当時のメシアに寄せるイメージ、メシアに対する期待には、揺るがすことのできない一般的、常識的なものがありました。マルコの8章33節は、「イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペトロを叱って言われた。
 サタンよ、引き下がれ、あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている」と、そのときのペトロに対するイエス様のお怒りがどれほどだったかが、わかります。ペトロに対して、サタン、と悪魔呼ばわりをされたのですから。
 しかし、ここでのイエス様は、「イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペトロを叱った」とあり、イエス様は、ペトロだけをじっとご覧になって語ったのではないことがわかります。弟子たちを見ながらとありますから、イエス様は、お前たちもそうなのか、と弟子たち全体への、お前たちもペトロと同じように、そのように誤解しているのか、との思いがあったのではないでしょうか。
 さて、イエス様が十字架につけられたときのことですが、死刑の判決が下されたあと、イエス様は鞭で打たれました。それから、兵士たちは、総督官邸で、部隊の全員を集めて、イエス様に茨の冠をかぶらせ、「ユダヤ人の王、万歳」といって敬礼し、何度も頭を葦の棒でたたき、唾を吐きかけ、ひざまずいて拝んだりしました。そして、さんざん侮辱したあげくに、刑場へ連れていったのです。
 イエス様を「本当に、この人は神の子だった」と言ったあのローマの百人隊長も、このとき、他の兵士たちと同じように、イエス様の侮辱に加わっていたのでしょうか。そうかもしれません。彼は、ずっと、そのときから、否、裁判のときからイエス様の近くにいてイエスというお方を見ていたのかもしれません。イエス様は、刑場へ向かう道中で、かついでいた十字架の重さによろよろとなっていたのでしょうか、体も随分と衰弱していたでしょうから、そのうち歩くことができなくなったようです。
 そのために、兵士はそこを通りかかったキレネ人のシモンに十字架を無理に担がせたのでした。そうした、イエス様の無様な姿もずっと、この百人隊長は見ていたのかもしれません。十字架につけられたあと、兵士たちは、イエス様が着ていた服を分け合いました。そのとき、両側に強盗をして処刑されることになった二人の者たちも一緒でした。
 ようするに、イエス様もまた、強盗たちと同列に見なされることになったのです。そこを通りかかった人々、祭司長や律法学者たちなど、およそ十字架の周りに集まっていた人々は、こぞって、イエス様を侮辱したのでした。
 「他人は救ったのに、自分は救いえない。メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう」というような、およそ、このようなことを人々は代わる代わる言ったのでしょう。「一緒に十字架につけられた者たちも、イエスをののしった」とあるように、強盗を犯した者たちまでもが、イエス様をののしったのでした。すべての者が、イエス様を侮辱し、ののしったのでした。
 そのような侮辱とののしりの中で、十字架につけられてから6時間経過したとき、イエス様は、大声で叫ばれたのです。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」これは、日ごろイエス様の使われていたアラム語であったようです。意味は、「わが神、わが神、なぜ、わたしをお見捨てになったのですか」。そばにいた者たちは、このエロイが、エリヤに聞こえたようです。それで「そら、エリヤを呼んでいる」と言いました。
 ですから、本当に、このとき十字架の上で叫ばれたイエス様の言われたことばを理解した人々がどれだけいたでしょうか。ローマの百人隊長は、さらに何と言ったか、意味を理解することはできなかったでしょう。イエス様は、絶望のうちに絶叫なさって死んでいかれました。
 しかし、彼は、このように息を引き取られたのを見て、「本当に、この人は神の子だった」と告白したのでした。「このように」とは、どのようにだったでしょうか。人々から嘲られ、ののしられ、散々侮辱され、苦しみに苦しんで、最後に、何かを絶叫されて(私たちはそれが神様どうしてお見捨てになったのですか、という絶望の果ての叫びだったことを知っていますが、周りにいた者たちはほとんどが何を言ったのかはわからなかったのでしょう)、そうやって死んでいかれたのでした。
 そのような死だったのです。それはすべての者たちから見捨てられた者の死でした。もちろん、弟子たちはイエス様が捕らえられたときに、逃げてしまって、十字架におつきになったときには、どこかに隠れるようにして、潜んでいたのでしょう。かろうじて、遠くの方に、イエス様についてきていた女性たちが見守っていたということだけが伝えられています。
 そして、その死は父なる神様に見捨てられた死でもあったのです。百人隊長にとって、裁判からずっとイエス様を見てきていたのであれば、なおさら、その死は悲惨という以外の何ものでもなかったはずです。どこにも慰めのない死でした。百人隊長が、見たのは、このような死ではなかったでしょうか。しかし、その中に、彼は、神の子、キリストとしてのお姿を見たのです。
 ところで、サタン、引き下がれとペトロを叱ったイエス様は、そのあとにこう続けました。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。
 ひとはたとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。神に背いたこの罪深い時代に、わたしとわたしの言葉を恥じる者は、人の子もまた、父の栄光に輝いて聖なる天使たちと共に来るときに、その者を恥じる」。
 ペトロは、イエス様からどのようにして自分が死んでいくかを聞かされたときに、そのイエス様のお話を恥ずかしい内容だと思いました。ですから、脇へお連れして、いさめ始めたのでした。「必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され」るなど、メシアとして、あってはならないことだったからです。
 メシアは、ダビデのように、強く立派な王でなければならないとペトロは考えていました。他の弟子たちもそうであったでしょう。しかし、イエス様の死は、みじめで悲惨な死でした。身近にずっといた弟子たちですら、こうした生前のイエス様を誰ひとりとして、理解することはなかったのです。
 その死をみつめていたローマの百人隊長がこのように死んでいかれたのを見て「本当にこの人は、神の子だった」と言ったことは、実に驚くべきことでした。兵士であり、しかも百人隊長としての価値観は、まさに強いというところにあったはずだからです。強さと誇りが兵士の大切にしていることではないでしょうか。
 イエス様の死は、まさにその反対にありました。弱く、人としての誇りも何もない、否、それどころか、無様な、みじめな最後でした。そのイエス様を見ていて、百人隊長は、「本当に、この人は、神の子だった」と告白したのです。
 私たちには、二つの選びが用意されているのではないでしょうか。一つは、キリストのこの十字架をみて、「メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい、それを見たら、信じてやろう」という祭司長や律法学者たちの立場、神様を試す、信じてやろうという、神様を意のままにしようという人間のまさに罪の中にある立ち方です。もう一つは、力なく惨めな十字架上のお姿に、私自身の罪をみ、この私のためにイエス様が十字架についておられるという悔い改めの立ち方です。
 私たちは、どこに神様を見出そうとしているのでしょうか。このローマの百人隊長のように、十字架につけられている弱く悲惨なお姿の、そしてどうしてお見捨てになったのですかと父なる神様に絶叫されて死んでいった方の中に、木につるされた者は呪われた者だと言われていた、その十字架につけられている者の中に、神の子を見出すことができるでしょうか。
 そして、この神の子の死によって、私たちは救いを得たと告白できるでしょうか。あの力なく、悲惨な十字架の死を遂げたお方、ナザレのイエスこそ、キリスト、メシア、私たちの救い主です。そういった意味で、イエス・キリストと、そのようにお呼びするとき、すでにそこには私たちの信仰の告白がなされているのです。私は、イエス様、あなたをキリストと告白します。


平良 師

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