第一コリント12章12~27節
弱く見える部分がかえって必要
今日は、母の日です。そして、私たちの教会は、家族の日の礼拝を守っています。その意味は、先ほど申しましたとおりです。今一度、聖書から、家族の在り方、また、神の家族について、考えてみたいと思います。
血のつながりのある家族同士の愛は、無条件です。それでも、昨今、幼児虐待が後を絶ちません。これは、一つの要因としては、家族の最小限度の . . . 本文を読む
イザヤ書2章1~5節
国は国に向かって剣を上げず
多くの国が国に向かって剣を上げることをします。それらの国は、そのことができる憲法をもっています。ほとんどの国がそうだと言って過言ではありません。ところが、日本だけは、そのことを許さない憲法をもっています。5月3日は、憲法記念日でした。日本の国は、今、これまでの憲法を変えようという動きが高まっています。そして、夏の参議院選挙においても、そのこ . . . 本文を読む
マルコによる福音書5章1~20節
主があなたにしてくださったこと
ゲラサという地は、ユダヤ人たちからすると辺境の地であり、異邦人の住むところでした。豚を飼っていたということからも、汚れたといったイメージがあります。ユダヤ人たちには豚は汚れた動物でしたから。しかし、イエス様は、どのようなところにも、福音を携えて行かれました。「一行は、湖の向こう岸にあるゲラサ人の地方に着いた」。私たちは、 . . . 本文を読む
マルコによる福音書5章21~43節
子供は死んだのではない(召天者記念礼拝)
本日は、召天者記念礼拝です。すでに神様の御元に召された方々のことを想い起こすと同時に、残されて、それぞれの人生を歩んでいる私たちが、今の歩みやこれからの歩みを見つめ直すときともなればと思います。そして、私たちの希望の源が、どこから来るのかを、ご一緒に考えることができればと願っています。
先ほど、読んでいただい . . . 本文を読む
マルコによる福音書第1章29~39節
ほかの町や村でも宣教する
今、読んでいただいた少し前のイエス様が弟子たちを招かれるところから、お話をさせていただきたいと思います。というのも、こうしたところまでを含めて考えるときに、教会の働きがさらによく見えてくるからです。
イエス様は、神の国の宣教をはじめられたとき、すぐに弟子たちを招かれました。最初の弟子たちは、シモンと兄弟のアンデレ、それから、ゼベダ . . . 本文を読む
テサロニケ信徒への手紙一第14章13~18節
いつまでも主と共にいる
キリスト教の教理のなかに、終末というものがあります。これは、どこの教会でも、その教会の信仰告白の最後にだいたい取り上げているもので、私たちの平尾教会にもそれに相当する項目はあります。私たちの平尾教会の信仰告白は、七項目目に「未来」という項目名で出てまいります。
「未来-キリストは、御約束に従い、再び来られ、すべての人を義によ . . . 本文を読む
ガラテヤの信徒への手紙6章11~18節
十字架を誇る
今日から受難週を迎えます。私たちは、イエス様の十字架を何度でも思い起こしますが、このイースターの季節は、クリスマスと同じで、毎年毎年、新たなる思いで、イエス様の十字架での苦しみに思いをはせるのです。
さて、今日は、ガラテヤの信徒への手紙6章の11節から18節の御言葉に耳を傾けてまいります。「肉において人からよく思われたがっている者たちが、た . . . 本文を読む
フィレモンへの手紙8~20節
教会というところ
世の人々は、キリスト教の教会をどのように見ているのでしょうか。他の宗教よりは、金もうけに走ったりすることは少ない、悪いことをすることは少ないと考えているでしょうか。清い感じがする、聖なる感じがすると思っているでしょうか。近寄りがたい、自分たちとは違う集団、そのように考えている方々も多いことでしょう。
教会は、こういうところです。簡潔に言えたらいい . . . 本文を読む
マタイによる福音書25章14~30節
主を信頼する気持ちが
このお話は、天の国のたとえ話です。それも、地上での、私たちの送った人生を神様と清算するときのお話と考えることができます。
ある人が旅行に出かけるときに、僕たちを呼んで、自分の財産を預けました。ある人、それは僕たちの主人のことで、神様を指していると思われます。そして、僕たちが、私たち人間です。主人は、僕たち一人ひとりに自分の大切な財産を . . . 本文を読む