平尾バプテスト教会の礼拝説教

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会での、日曜日の礼拝説教を載せています。

2013年3月10日 教会というところ

2013-03-13 23:58:34 | 2013年
フィレモンへの手紙8~20節
教会というところ

 世の人々は、キリスト教の教会をどのように見ているのでしょうか。他の宗教よりは、金もうけに走ったりすることは少ない、悪いことをすることは少ないと考えているでしょうか。清い感じがする、聖なる感じがすると思っているでしょうか。近寄りがたい、自分たちとは違う集団、そのように考えている方々も多いことでしょう。
 教会は、こういうところです。簡潔に言えたらいいと思います。教会のことをイエス・キリストの教会と言います。それは、聖書にイエス・キリストの体なる教会であると書かれているからです。世の人々が教会というとき、おそらく建物、器を指していう場合が、多いと思います。しかし、実際は、教会は建物を指しているのではありません。そこに集っている人々の群れを指して、教会と呼んでいるのです。
 今日のフィレモンへの手紙のはじめの方の挨拶のなかに、こういう言葉があります。「あなたの家にある教会へ」。家にある教会、つまり、そこに集っている人々の群れを指して、家にある教会と呼んでいるのです。キリスト教が、ローマ帝国の公認を受けたあとの教会、キリスト教がローマ帝国の国教となった以降と、それ以前のローマ帝国やユダヤ教、その他の諸宗教からの迫害の中にあった初代教会の時代とは、その建物の規模や立派さなどは、雲泥の差があったと思われます。
 迫害のなかにあった時代は、それぞれの信徒の家にある教会、家の教会が主だったでしょうし、場合によっては、墓のなかで礼拝をまもっていた時代もありました。しかし、キリストの教会は、迫害の中でこそ、その力を発揮したのです。キリスト教は、迫害されればされるほど、広がっていったのでした。こうした、家の教会の一つ一つが、キリストを証していました。
 初代教会の迫害の中にあるキリスト者たちに、権力に対する憎しみは生まれてこなかったのでしょうか。敵意は生じなかったのでしょうか。武器を手にして立ち上がることはなかったのでしょうか。彼らは、むしろ、競技場の中で、ライオンの餌食となり、見世物とされることもありました。多くの拷問にあって、牢獄で死んでいくもの、処刑される者もありました。権力者だけでなく、地域の者たちに迫害されることもあったことでしょう。彼らには、イエス・キリストという模範となる方がおられました。彼らが、キリストに従う者たちであったのなら、武器を手にすることはなかったはずです。敵を愛し、その敵のために祈りなさい、とイエス・キリストは、教えられました。彼らは、天の国が自分たちの故郷であることを信じ、神様にその命を委ねていきました。
 イエス・キリストは、敵を赦し、愛すること、そうすることが完全な者の姿であると言われました。「わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである」そう言われたあと、「だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい」。しかし、敵を愛し、そのもののために命をお捨てになられたのは、まさに、イエス様でした。父なる神様が、神様の独り子であられたイエス様を、神様に背き、敵対して歩んでいる一人一人の人間のために十字架におつけになられました。ですから、この世における、イエス・キリストに従おうとするキリスト者たちの模範はすでにこのイエス・キリストの十字架によって、示されているのです。
 そこで、今日のフィレモンの手紙の内容です。この手紙は、パウロが書きました。パウロは、いくつかの教会に宛てて手紙を書いており、それらは、新約聖書に含まれています。その中でも、この手紙は一番短く、しかも、教会に宛てたというよりも、フィレモンという個人に宛てて書かれたものでした。フィレモンという人物は、おそらくパウロが、伝道をしてイエス様を信じるようなった人物でしょう。その彼に、どのような用件の手紙だったのでしょうか。それは、フィレモンの所有していた逃亡奴隷のオネシモをそちらに送り返すから、彼を赦し、受け入れ、しかもこれからは奴隷としてではなく、主にある兄弟として扱って欲しい、というものでした。
 このとき、パウロはどうなっていたかというと、囚われの身になっておりました。牢獄に入っております。もちろん、盗みをしたとか人に暴力を振るったとか、そういうことではありません。イエス様を宣教していただけのことです。いわゆる、彼が宣べ伝えていたイエス・キリストにある福音の内容が、権力をもっている者たちの意にそぐわなかった、あるいは、彼を訴え出た者たちの意にそぐわなかった、そういうことです。パウロが、獄中にいるときに、フィレモンが、そのパウロの世話をさせるために、自分の所有していた奴隷のオネシモを送ったけれども、彼は、約束の期限が来ても、フィレモンのもとに戻って来なかったということが、一つには予想されます。
 そのまま、パウロのもとに留まって世話をし続けていたということです。それで、今や、彼の立場は、逃亡奴隷という汚名を着せられることになりました。もう一つの解釈は、オネシモが、フィレモンのところを何かの罪を犯して、逃げ出し、捕えられてパウロが、入っている牢獄に入れられ、そこでパウロからイエス様の話を聞く機会が与えられて、信仰に入ったのではないか、ということです。
 いずれにしても、オネシモもまた、その主人のフィレモンと同じで、パウロの話を聞いて、イエス様を信じ、信仰に入ることになりました。パウロはオネシモについて、「彼は、以前はあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにもわたしにも役立つ者となっています」と言っています。しかし、パウロは、いったんは、このオネシモをフィレモンのもとへ、戻そうと考えました。
 ここにパウロのイエス・キリストに従う者としてのありようが、描かれています。まず、パウロとフィレモンとの関係においては、主従の関係が成り立っていたとは言えます。それがこの話を考える前提にあります。ですから、「わたしは、あなたのなすべきことを、キリストの名によって遠慮なく命じてもよいのですが、むしろ、愛によって訴えてお願いします」と言いました。権威権力のもとに、命令によって、こうしなさい、とは、パウロは言わないということです。
 愛によって訴えてお願いしたい、ということでした。あとの方で、同じようなニュアンスのことを言っています。「本当は、わたしのもとに引き止めて、福音のゆえに監禁されている間、あなたの代わりに仕えてもらってもよいと思ったのですが、あなたの承諾なしには何もしたくありません」。パウロがこう考えるのは、「それは、あなたのせっかくの善い行いが、強いられたかたちでなく、自発的になされるようにと思うからです」。イエス・キリストによって、救われ、解放された者は、他者に強いられたからそうするという生き方を選びません。強いることもしません。あくまでも自分の自由意思で、そのような行為をしたと、ということを誇りにするでしょう。
 そして、パウロは、さらにフィレモンへお願いするのでした。「その場合」、つまり、あなたのところへオネシモが戻って、ずっと、そこで再び生活をするようになった場合、「もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、つまり愛する兄弟としてです。オネシモは特にわたしにとってそうですが、あなたにとってはなおさらのこと、一人の人間としても、主を信じる者としても、愛する兄弟であるはずです」。
 帰ってきた逃亡奴隷のオネシモを罰するどころか、赦し、しかも、これからは奴隷以上の者としての扱いをしてほしいと言ったのです。当時の奴隷制度が、普通の日常の生活であった時代、その制度を根底から覆そうという人々のほとんどいなかった時代、普通のことであり、ほとんどの人々に、何の問題意識も生じなかった時代、こういうことはありえないことでした。
 逃亡奴隷は、捕えられれば、その主人は、いかなる厳罰にも処していいことになっていました。いわゆる、煮て食おうと焼いて食おうと自由だったのです。ですから、奴隷の側から言えば、逃亡を企てるというのは、よほどのことであったに違いありません。捕えられれば、恐ろしい罰が待っておりました。
 パウロは、「わたしを仲間と見なしてくれるのでしたら、オネシモをわたしと思って迎え入れてください」とフィレモンに頼んでいます。ローマ市民権をもち、自分に福音を伝えてくれたパウロと、奴隷の身分であり、自分を裏切って逃亡して、自分に損害を与えたオネシモを同じ仲間と見なせ、というのは、非常に難しかったと思われます。しかし、パウロにとってオネシモは、フィレモンにとっても、「一人の人間としても、主を信じる者としても、愛する兄弟である」ことに変わりありませんでした。
 パウロは、この手紙のあいさつの部分で、フィレモンのことを次のように評価しています。「わたしは、祈りのたびに、あなたのことを思い起こして、いつもわたしの神に感謝しています。というのは、主イエスに対するあなたの信仰と、聖なる者たち一同に対するあなたの愛とについて聞いているからです。・・兄弟よ、わたしはあなたの愛から大きな慰めを得ました。聖なる者たちの心があなたの御蔭で元気づけられたからです」。フィレモンは、そのようにパウロや多くの伝道者たちを支えていた人物だったと思われます。しかし、当時の社会の中にあって、奴隷の存在やその扱いについては、キリスト者になったあとも、相変わらずの考え方をしていたということです。
 パウロは、奴隷制度を根本から問題にしようとはしていません。それよりも、一人の人間が、イエス・キリストを信じたという時点で、同じ兄弟姉妹になったことを大切にしているだけなのです。イエス・キリストに従うありようを今後は問題にしていかなければなりません。イエスキリストを信じ、イエス・キリストに従おうとするならば、同じ人間をどのように扱うことが神様に喜ばれることなのか、しかも、彼もまた、今や、イエス様を信じているのです。そこにあっては、ひと並びです。
 パウロのオネシモを何とか受け入れてもらおうとする姿勢は並々ならぬものがありました。それは、もし、パウロの心を理解できず、フィレモンが、怒りにまかせて、オネシモを逃亡奴隷として、他の人々と同じように罰したら、パウロのしたことはとんでもないことになるのですから。彼は、こうも言っています。「彼(オネシモ)があなたに何か損害を与えたり、負債を負ったりしていたら、それはわたしの借りにしておいてください。わたしパウロが自筆で書いています。わたしが自分で支払いましょう」。
 パウロは、手紙を書く場合、口頭で語ったものを誰かに代筆させていたケースも多々あったようです。この場合は、自分で書いているということをここで述べているのは、これが、証文にもなりうるということでしょう。きっと自分が返します、という約束をしているのです。しかし、パウロは、ここでもこのように述べています。「あなたがあなた自身を、わたしに負うていることは、よいとしましょう。そうです。兄弟よ、主によって、あなたから喜ばせてもらいたい。キリストによって、わたしの心を元気づけてください」。パウロは、フィレモンがきっとオネシモを自分が望んでいるように受け入れてくれることだろう、と信じています。
 パウロは、オネシモを自分のところにとどめて、自分に仕えさせることもできたのでしょうが、そのことを放棄しました。オネシモは、フィレモンのところへ帰らず、逃亡し続けることで、解放された生活を送り続けることができたかもしれませんが、それをせず、ひょっとしたら厳罰に処せられるかもしれない主人のもとへ、パウロの執り成しをもらって、戻っていったことでしょう。フィレモンは、どうしたでしょうか。パウロやほかの伝道者たちへの扱いは、愛に満ちたものであったでしょうが、イエス・キリストを信じることになった逃亡奴隷にも、同じようにできたのでしょうか。
 そして、もし、このオネシモをパウロが望んだように、一人の人間として、主を信じるものとして、愛する兄弟として、扱うようになったのであれば、他の奴隷に対してもまた、彼らに対する見方が変わっていったことでしょう。このお話が、聖書に含まれているということは、そのようにフィレモンが行って、のちに彼が称賛されたことを証明しているのです。
 主にある教会は、抽象的なものでなく、このように具体的なものであるはずです。イエス・キリストを信じることによって、私たちは、日常のそれは常識と考えている人間関係においてすら、主に喜ばれる歩みを行っていくことができるのです。期待されています。互いの主に従う行為を見て、互いにまた喜ぶことができるのです。それは具体的です。
 私たちはこれからも主にある兄弟姉妹として、神の家族として、イエス・キリストの体なる教会としての歩みを行ってまいりましょう。


平良師

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