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平尾バプテスト教会の礼拝説教

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会での、日曜日の礼拝説教を載せています。

2013年9月29日 エステル記の意味

2014-05-20 22:37:58 | 2013年
エステル記8章1~8節 エステル記の意味  エステル記のような物語は、聖書の中では、あまり好まれません。ユダヤ人にとっては、自分たちを殲滅しようとした敵を倒したという痛快なお話なのですが、キリスト者である私たちには、イエス様が語られた福音に照らしてみても、よくわからない書と言えるでしょう。和解とか、平和とか、暴力の連鎖を断ち切るとか、そのようなテーマに生きようとしている私たちには、何となく違和感を . . . 本文を読む

2013年9月15日 主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない

2014-05-12 21:57:51 | 2013年
詩編23編 主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない  「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない」で始まる詩編の23編は、私たちにはとても馴染みのある、詩編の中でも、最も愛されているものの一つです。私たちは、この詩によって、多くの慰めを得てきました。とても、美しい詩ではないでしょうか。  ところで、ダビデが歌ったとされるこの詩編は、いったいどのようなときに、ダビデが歌ったものと考えられてきた . . . 本文を読む

2013年9月8日 神様のご計画に祝福を見る

2014-05-05 12:27:32 | 2013年
敬老の日礼拝にて ルツ記4章7~17節 神様のご計画に祝福を見る  時代は、イスラエルがまだ12部族に分かれ、士師と言われる指導者がそれぞれの部族を治めていたころのお話です。ユダの地のベツレヘム(イエス様がお生まれになった町)に住んでいたエリメレクという男が、飢饉が国を襲ったので、家族を連れて、モアブの野に移り住みました。当然、彼らはイスラエル人、アブラハムの子孫でありました。家族には、妻のナオミ . . . 本文を読む

2013年8月11日 真の主権者

2014-05-02 17:09:18 | 2013年
ダニエル書2章37節~49節 真の主権者  ネブカドネツァル王は、即位して2年目のこと、何度か奇妙な夢を見て、不安になり眠れなくなりました。夢を見て、ある程度、今の自分の状況を逆に理解させられるときがあります。つまり、今の自分は、このようなところに欲求を感じているのだな、ストレスがあるのだな、不安があるのだな、そういったことです。ところが、何ら、思いあたるものがない、まったく意味不明、そのような夢 . . . 本文を読む

2013年8月4日 信仰を守るために

2014-04-27 01:20:41 | 2013年
ダニエル書1章1~21節 信仰を守るために  ユダの王ヨヤキムが即位して3年目のことでした。バビロンの王ネブカドネツァルがエルサレムに攻め上ってきて、都は陥落しました。神殿の祭具の一部は持ち去られ、ヨヤキムと一部の主だった者たちは捕囚となってバビロンに連れていかれました。紀元前610年台のことです。預言者ダニエルは、そのとき少年でしたが、捕囚として連行された者たちの一人でした。それでも、すぐに南ユ . . . 本文を読む

2013年7月28日 霊を吹き込まれる神

2014-04-17 23:48:19 | 2013年
エゼキエル書37章1~14節 霊を吹き込まれる神  預言者エゼキエルは、神様の御手に導かれて一つの幻を見ました。それは、枯れた骨がたくさんある、ある谷に連れていかれるというものでした。枯れた骨というのは、まったくどのような可能性もないということを表しています。卑近な例で言えば、だしをすっかりとられた豚の骨のようなものです。さらに、それを天日で干して、砕いて、あとは肥料か何か使われるのを待っている状 . . . 本文を読む

2013年7月21日 神自らが牧者となる

2014-04-17 00:40:26 | 2013年
エゼキエル書34章1~16節 神自らが牧者となる  預言者エゼキエルは、あるとき、神様からイスラエルの牧者たちに対して伝えるようにと、次のような内容の言葉を受けました。イスラエルの牧者たちというのは、具体的にはイスラエルの王たち、為政者たちを指しておりました。群れとは、イスラエルの民を指しております。非常にストレートで具体的な指摘でした。「災いだ、自分自身を養うイスラエルの牧者たちは。牧者は、群れ . . . 本文を読む

2013年7月14日 神は誰の死をも喜ばない

2014-04-11 23:27:55 | 2013年
エゼキエル書18章30節~32節 神は誰の死をも喜ばない  エゼキエル書の18章には、罪を犯した者は死ぬ、犯さない者は生きる、また、罪を犯しても悔い改めて正しい生き方をするなら生きる、と書かれています。前回にも触れましたように、当時のイスラエルの人々は、先祖や父親が罪を犯せば、その子孫や息子もまた、その罪ゆえに厳しい裁きを受けるということわざがありました。「先祖が酢いぶどうを食べれば、子孫の歯が . . . 本文を読む

2013年6月9日 神の手の中にある私たち

2013-07-27 12:21:55 | 2013年
エレミヤ書18章1~12節 神の手の中にある私たち  エレミヤに神様は、陶工のところへ行けと言われました。いわゆる、フィールドワークです。神様は、具体的な現場を見せて、そこからエレミヤに神様の言わんとするところを理解させようと考えられました。陶工とは、陶磁器を作る職人です。エレミヤは、陶工が粘土からいろいろな器を作るのを見ました。そして、せっかく一つの形ができても、それが気に入らなければ自分の . . . 本文を読む

2013年6月2日 わたしはあなたを預言者として立てた

2013-07-19 17:40:09 | 2013年
エレミヤ書 第1章1~10節 わたしはあなたを預言者として立てた  神様からの召命に関するお話は、いくつもあります。新約聖書には、イエス様からペトロをはじめとする弟子たちが招かれた物語が書かれていますが、これもまた、召命の一つと理解できないことはありません。そういった意味では、私たちキリスト者たちは、すべてイエス様からの、神様からの召命に与り、それに応答した者たちです。  ペトロたちは、わたしに従 . . . 本文を読む