gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

迷歩録 厳しさ

2018-09-14 12:37:42 | 日記
  白露や  払い落して  大根蒔き  発芽楽しむ  七十の爺

                                ひのひら  ろくべえ




     曇り空の夜明けから、徐々に雲が裂け、太陽が顔を出し、夏日に戻りつつある、今日の天気

    冬野菜の代表である。大根の種まきを行った。発芽が楽しみである。上手く育つことを天に祈

    るしかない。全部が発芽することは少ないが、期待は全部である。期待と実態は違うことが多

    い、それが、地球の自然ということではないだろうか。

     スポーツの世界も同じこと、コーチや監督の期待と、選手の成長過程は違う、違うから、思

    い通りにならないからと、相手を必要以上に、権力で「厳しく」しても、結果は好転しない。

    それは野菜を育てるも同じこと、厳しい条件を与えたから、良い野菜ができるわけでもない。

    逆に過保護的に肥料を沢山上げたから、良い野菜が収穫できるわけでもない。

    野菜の個性を知った上での管理が大切となる。

     つまり、如何なるものであろうと、育てるという管理とコーチングは同じではないだろうか。

    相手の育つ環境、条件を整えて行く、そのことを行うのがコーチ、であり監督であり、協会と

    いう組織ではないだろうか。

     利権を維持したり、既得権を守るために、選手に、表面上の厳しさ、暴力を行うとは、とん

    でもない事である。野菜であれば、育つことすら否定することにもなりかねない行為なのである。

     厳しさはとかく身体的なストレスに限定されるようだが、それだけではない、言葉や、対応な

    ど、様々なパワハラがあることを、知らなければならないのではないだろうか。

     「厳しさ」だけを美化してもそのことだけでは理解できないこともある。

     監督やコーチ、協会というものは、「厳しさ」はまず自分からスタートしなければ、他者には

    伝わらないことを知ってほしいものである。

     援助も同じこと、クライアントだけに「厳しさ」を求めるのではなく、援助する側の自分に求

    める「厳しさ」があることが大切な事ではないだろうか。

     自分に厳しく、他人に優しく、厳しさを持っている者は、他人には優しくなれる。自分に甘い

    者は、他人に厳しい。この法則は成り立つのではないだろうか。