貧々自適

仕事のかたわらデジカメを構えたり
季節のうつろいや人の優しさに触れ感激する
そんな貧乏オヤジのつれづれ帳です

家内奮闘

2013-02-03 02:33:44 | 家族のこと
暮から体調不良の家内にダブルパンチどころかトリプルパンチ。
ホントなら、今日(3日)は「カニ食べ放題」のバスツアーに出かけるはずだったのですがキャンセル。
(高校時代の剣道部5人組で年に一回温泉などに出かけている)
通夜が終わってヤレヤレと一息つき、くつろぎかけたとたん家内の携帯に着信。
家内のなぎなたの先生が亡くなった、との報せでした。

中学生の頃から指導を受け、娘の結婚式の主賓でもあった家内にとって最も大切な大先生(範士8段)。
全国トップクラスのその先生は、家内の実家近所にお住まいで大正15年生まれ。
もちろん、私らの結婚式にも家内側の主賓として出て下さったし、ウチの母を引き取ったときにも
「知り合いが誰もいないだろうから、私と同じデイサービス施設に」と誘ってくださいました。
母は30年近く前に一度会ったきりの先生を憶えていなかったろうし、名前も憶えられなくなっていたけれど、
雰囲気(家内の近しい人という)で分かったのかよく話しかけていたそうです。

その先生が年末から脳梗塞で入院、家内が見舞いに行っても分からない状態でガックリきていましたが、
10日ほど前に消化器の病気も併発「手の施しようがない(余命数日)」と宣告されていたとのこと。
家内は『ウチのばあちゃんより先生の方が長生きしそうと思っていたのに…』と。
ところが母が先に逝き、逆転したなぁと話していた矢先の訃報。

結局同じ日に二人とも…となって『ばあちゃんが独りじゃ寂しいからと引っ張ったのかも…』。
「そやなぁ、三途の川の渡し舟の席を取っとくで~、ってゆーとるかも」
ちなみに、先生は夜遅くに亡くなられたので1日お通夜・2日葬儀の日程※となりましたが、
葬祭場も同じならフロアも同じ、ついでに遺影の額縁も同じピンクだったそう。
 ※ウチも同じ日程を打診されたが、当初の日程にして正解でした
結局、家内は4日連続喪服を着用、同じ葬祭場へ通う破目になりぐったりして帰ってきました。
日曜日は「何もしなくていいから、ゆっくり休養したらいい」と慰労しときましたよ。

【おまけ】
夕方から娘が来て、会葬者名簿のパソコン入力を手伝ってくれました。
一段落して娘の手土産のケーキを食べよう、と紅茶やコーヒーを二男が淹れてくれた途端、
食器棚の食器が崩れお皿がパリン!(取り出したときズレたらしい)
娘が『おばあちゃんが、自分らの分だけか!と怒っとるんやぁ』(オカルトか!)
あわてて母の分もお供えしましたよ(笑)

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
何てこと (もも)
2013-02-03 16:54:58
奥様さぞお力落としのことでしょう。

どうぞ慰めてさしあげて下さい。
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温泉+グルメでも(笑) (讃岐の団塊オヤジ)
2013-02-04 02:03:50
まぁ、母は一年前から入院していたし、先生も余命一週間と宣告されていましたから、
心の準備はできていたでしょうが、気を使う葬儀の応対+仕事(月末)もあるし…
今は「気が張っている」ので持ちこたえていますが、気がゆるむと疲れがドッと、と。

ちなみに、ウチが日程をずらしていたら家内は「かけもち」になってたかも(笑)
おかげでウチは「貸切」になり、ほとんど親族のみだったのでゆったり。
先生の方は弔問客700人とかで大混雑でした。

四十九日が終わったら、温泉+グルメのツアーでも…と不謹慎なことを考えてます。
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