ちいさなちいさな いのりのことば

 * にしだひろみ *

入道雲 *日々のつれづれ*

2015年08月03日 | Weblog

入道雲を見ました。

蜩の鳴く、しずかな夕暮れに。





それは、水色の空に浮かんでいました。

たっぷり、ゆったり、杏色の入道雲。






そしてわたしは、思い出しました。

幼い頃に見た、不思議な不思議な入道雲を。





幼い頃に不思議な体験をした、という人は、わたしのまわりにたくさんいます。

幼い人というのは、特別な時空に住んでいるのでしょうか。

大人には見えないものを見、大人には聴こえないものを聴き、大人の知らないことを知っているから。





幼い日、わたしは、確かに見たのです。

仁王様の姿をした入道雲を。

四尺玉の大花火のように、あまりにも大きな仁王様が、空いっぱいに座していたのです。



何となくそんな形をしていた、というようなものではありません。

顔も、身体も、纏う衣も、全てはっきりと鮮明にわかるのです。




仁王様は、空いっぱいに座して、片手を膝に置き、片手に短い棒のようなものを持ち、こちらを見ていました。

怒りの形相ではありませんでしたが、穏やかで、威厳に満ちていました。





見つけたわたしは、叫んだと思います。

しばらく圧倒されていました。

それから、乗りかけていた自転車を道に置いて、家族を呼びに行きました。






その後、その雲がどうなったのか、家族はどんな反応をしたのか、全く覚えていません。





わたしには、他にも、不思議で素敵な思い出がいくつかあります。

みな、心の宝箱に大切にしています。




解明したら、壊れてしまうような気がするから、

不思議なまま。

わからないまま。








そんなわたしからの、お願いです。


幼いひとが、もしも、不思議なお話しをしてくれたら、

大切に、大切に、聴いてあげてください。

舞い降りる雪を、両手で受け止めるような心で。




解明も、否定も、しなくていいのです。

夢が、自由で無限なように。




不思議を胸に抱えた子どもを、まるごと、そのまま、しっかりと受け止めてあげてください。


受け止めてくれる人の存在は、その子どもがこの世界にしっかり留まるための、杭になるでしょう。


そして、子どもたちは、大人に、やわらかな心と自由な魂を思い出させてくれるのです。














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