余った割り箸を使って、ちいさな敷物、簀の子をつくってみました
今年最後の収穫、ゴーヤが納まりました。
まもなく11月、父の命日がめぐってくる。
父が亡くなってから50年がすぎた・・・そして同じ11月には、母の4回忌もいっしょに・・・
父の思い出の中から、いまはもう幻となったもの
かすかな記憶をたどりながら、絵に描いてみた。
終戦直後の昭和21年4月、小学校入学式をむかえた私は満6才
学校は戦災で焼失して、そのころはかろうじて焼け残った古い木造の
平屋建て、4軒長屋が低学年用の校舎替わりとしてつかわれた。
物資はなく、入学式に着る服とて普段着にツギをあてた絣のモンペのような
ズボンに、天竺木綿の上着。
(真っ白ではなくて、薄いベージュがかった木綿です)
履物は、父手ずくりの下駄をはいていたと思う。
そんな中で、
毎日学校で使うものとして器用な父が、わが子のために
夜業をしながら作ってくれたものが
ベニヤ板の柔らかさをうまく利用して作った、めずらしい木製のランドセル
背負う紐のみが布、それ以外はすべて木製です。
走ると、背中でカタカタと音がしました。
教室で、畳の上に座ってつかった机。
軽いので、毎日手に持って通学した。
脚の部分のちいさな穴に、手を入れてもう片方の手で支えながら
片道30分以上の泥道を、てくてくと歩いての通学。
今もその道がありますが、立派なアスファルトの広い道路に変わって
車がジャンジャン通過しています。
配給でもらった、わずかばかりの大切な鉛筆と
消しゴムを入れる筆箱。二階建ての筆箱と呼んでいました。
友達がうらやましがるのを、こども心に気にしながらも
勉強はたのしくてうれしくて、一日も欠席せずに学校に行きましたねぇ・・・
今は、物があふれていて、何の苦労もなく学用品初めいろいろなものが店先に
所狭しと並んでいます。
こんな昔の話を孫たちにしてみようか・・・
はたして、本当のことだと理解してくれるのでしょうか?