印度ヒマラヤは崖っぷち

非人情的、破壊的、創造的。又崇高、峻嶮。

へーベルハウスのへーベルとは?

2013-03-25 17:39:09 | 日記
一昨日パルコで俳句会があった。脚力を鍛えようと階段で10階まで。
帰りも3キロあまり歩いて帰る。家の近くの463バイパス沿いにモデルハウスの構造見学会が3月23,24(土、日)でopenしていた。入口で風船をもってお客さんを呼んでいた。4時30分くらいで、5時までだからと、案内された。お客さんいないでしょと思いつつ、一休みのつもりで、一流住宅メーカー8社が勢ぞろいの、建設途中の立派な構造の家々をみてまわる。完成では見られないマル秘がたっぷり見れます。といってはいるけれど…一組だけお客さんが一軒の家の中にいた。

「ヘーベルてなんなのでしょう?」
「へーベルはセメントのことです。寒いところで発揮します。塊でもってきて、使っていく。北海道で使われる。この辺では、美薗駅のイオンモールの壁がへーベルですよ」
そう係員の営業マンから説明をうける。
「セメントは皹がはいって、崩れることはないのですか?」
「ー25度で25分間つけて、さらにもう一度ー25度つけて、実験した限りでは壊れない。そのあとのことは解りません」
今度美薗に行った時外壁見てみようかな。
あまり長居するとやっかいなことに巻き込まれるから、お礼をいってそそくさと撤退する。

耐火性は、防火地域、準防火地域である都心方面でのヘーベルハウスのシェアを見ればわかるように、ヘーベル板で被われたヘーベルハウスの方が明らかに優れています

牟岐駅(むぎえき)

2013-03-25 16:49:19 | 日記
ヨーガの友人が31日から四国巡礼にでかける。去年も行かれていた。何回かに分けていっている。今回は一番長くて12日間と言っていた。
今回は四国の南の海沿いを足摺岬までと言っていた。

「飛行機でどこまで行くの?高松空港?」
「白装束はどこで着替えるの?」
巡礼のときはみんな白装束なのは前に何人か行かれた人から聞いている。
みんな一人旅で、初めの一つ目のお寺で衣装一式購入したようですが。近辺の軒先で寝たり等地元の親切に、お世話になって、そんな楽しみ方もあるのだろう

この方のは贅沢巡礼。一人旅ではない。バスでのツアー。
「高松空港のホテルで1泊。そこで白装束に着替えて、迎えのバスで行く。
高徳線で高松からむぎ駅まで」
「ムギエキ、どういう字?」
聞くだろうと思ってすでに左の掌に字をと、もう一方の指がすでに動いていた。
「牟田の牟に、岐阜のぎ」
「牟岐駅から12日間、4月12日に帰ってきて4月15日(月曜日)のヨーガにはでてくるよ」とのこと。
「お気を付けて」

いつも巡礼は3月終わりから4月~5月初めまでと決まっている。四月の四国は巡礼で賑やかになるでしょう。春の季語となっている。秋の巡礼はわざわざ秋をつけないといけない。

春先の鮑の内臓を食べさせると猫の耳が落ちる

2013-03-24 13:16:18 | 日記
■アワビ(鮑、鰒、蚫、英名 abalone)は、ミミガイ科の巻貝の総称。またアワビ属をHaliotisではなくてNordotisとしている図鑑もある。雌雄の判別は外見からではほぼ不可能で、肝ではなく生殖腺の色で見分ける。生殖腺が緑のものがメスで、白っぽいものがオスで ...
  栄螺のつぼ焼きで青いところが苦みがあって美味しいと食べる人いるよね。

■肝は美味しいですよ。 店で売らないのは・・・新鮮なものが入荷しづらいからでは? 生きたアワビなら何の問題も有りませんよ。 肝醤油に刺身をつけてペロリ・・・。デモねー考えますよ。

■アワビの殻の背面には数個の穴が並んでいる。この穴は鰓呼吸のために外套腔に吸い込んだ水や排泄物、卵や精子を放出す頼んでいるという。
るためのもので、殻の成長に従って順次形成された穴は古いものからふさがっていき、常に一定の範囲の数の穴が開いている。アワビではこの穴が4 - 5個なのに対し、トコブシでは6 - 8個の穴が開いている。また、アワビでは穴の周囲がめくれ上がっており穴の直径も大きいのに対し、トコブシでは穴の周囲はめくれず、それほど大きくは開かない。
  この穴に味噌を詰めたのでしょうか。

■希であるが、春先のアワビ類の中腸腺の摂食により、光過敏症の中毒症状を発症することがある[2]。これは、アワビの餌である海藻のクロロフィルに由来するピロフェオホルバイドaとクロロフィルaによる物であるが、季節性を持つ蓄積の理由は明らかになっていない。この光過敏症に関しては、東北地方には「春先のアワビの内臓を食べさせるとネコの耳が落ちる」という言い伝えがある。
   うーん、だからかな。

鮑の肝レシピ

2013-03-24 12:31:39 | 日記
反省会でみなオーダーするものが違っている。Sさんは好みの『しらこの和え物』を頼んだ。400円。おつまみにいつも頼んでいるという。食べたことはまだない。今回食べることになるが。
Yさんは『菜の花のおひたし』400円。おつまみにいつも頼んでいるという。
あと焼き鳥といってレバーを、とYさんはレバーは嫌だという。体が受け付けないという。

子供の頃、おふくろがいつも鮑の穴にみそを塗りこんで、焼いてご飯にかけた想い出があって、嫌だという風でしかない。毎日そればかりたべていた。肉はすでに売り物になっている。大船渡にいたから、漁業で苦労したのだろうか。付きまとっている苦い思い出らしい。

それで内臓というものはすべて嫌いだという。だからしろい、鱈のしらこのふわふわには手を付けない。焼き鳥は「カシラ」を注文していた。2本からしかオーダーできないからということで2本来た。かしらといっていたけど、そんなにかたくなかったけど。

それほど嫌いなものになるとは、それから、日本列島は縦に長いから、その違いが感じられた。日本語で言葉を交わす外国人の様だと思った。
それから蝦夷の話になった。蝦夷の子孫で味はそのころからのものだというけれど。

それから、子供のころからの味の好みは備わっていく。大人になっても食べるものは制限がある。美味しいと思う所は同じではない。戦後生まれは給食で味が個性なく統一されてきたようである。日本には戦後食べ物が無くて、米からいろいろ日本に食糧援助があり。子供たちは育ってきた。



胆沢城(いさわじょう)

2013-03-24 00:18:05 | 日記
一昨日カタクリハイキングで反省会しているときに、お城のことが話題になって、小さい頃近辺に胆沢城(いさわ)があったという。
「どんな字?」教えてくれたけれど、ピンとこなかった。月編に元旦の旦だよ。
「どんなお城なの?」
「しゃちほこがあるような立派なものではないよ。
山の上でもないよ。平地だよ。
塀で囲っているだけ」

そのうちずっと忘れていた。
TVをみていて、むつ いさわ たも に蝦夷(えみし)がすんでいた。と最初に言っていたので地理と胆沢城記憶からよみがえった。
現在の水沢市に築かれた。朝廷軍の兵士として、胆沢城の警護にあたっていた鎮兵の復元像は、中国の漢の時代の1000体の傭兵のstyleと似ているね。

阿弖流為の首塚は京阪電鉄牧野駅歩7分

2013-03-24 00:11:08 | 日記
その後、第2次、3次蝦夷征伐で坂上田村麻呂が活躍。

ついに胆沢地方を征服し鎮守府が多賀城から胆沢城へと移されました。
たびかさなる蝦夷征伐によって蝦夷側の疲弊も相当なものであったのでしょう。
ついに蝦夷の族長阿弖流為(アテルイ)と副官母礼(モレ)が500人を連れて坂上田村麻呂のもとに投降してきました。

坂上田村麻呂は阿弖流為と母礼を平安京に連れ帰り、帰順した2人を東北へもどし東北平定に利用しようと2人の許しを朝廷に請いましたがかなわず、河内国で処刑されました。

現在では枚方市宇山が有力地とされ、牧野公園のこの首塚はそのすぐ隣の牧野町にあるのです。本当はどうなのでしょうか。

周辺地域史の見直しが進められていく中で、アテルイは朝廷に従わぬ反逆者から地方自治を死守するため朝廷に立ち向かった悲劇のレジスタンスとなっていったというわけです。なんか2年くらい前にみたキューバかあの辺の映画の主人公みたい。題名何だったかな?東北と京都遠かったでしょうに。あっでも大河ドラマで京都守護職に会津班いきましたね。八重のお兄さん覚馬さん。

桓武天皇が蝦夷(えみし)征伐

2013-03-23 23:59:47 | 日記
この時代桓武天皇しか知らない。桓武天皇(近藤正臣)が出ていたので、この時代の事が明確になっていった。

阿弖流為(アテルイ)の鮮烈なデビューは、桓武朝の第1次蝦夷征伐の征東大使紀古佐美率いる5万を超える軍勢を2000にも満たない兵力で打ち破るというものでした。

「アっちゃん(アテルイ)、今日も言ったげて」
「ああ、聞きたいかエゾの武勇伝」
なんか、以前書いた自分のシナリオに似ている。
ふざけてました。4年前。班の出し物の15分程度のコント。
「詳細はわすれたけれど、パソコンもコワレテ、前のパソコンに入れていたけど、消えてしまいました。
100人の村のはなしだった。~もしも○○が100人だったら~
「この話聞きたいかい?」
「聞きたいねー」
「聞きたい、聞きたい」
あの時は盛り上がりましたけど。

てとこでしょうかね。また、紀古佐美にしても桓武天皇に急かされなければ無謀な深追いで惨敗することはなかったでしょうね。
アっちゃん結局は桓武天皇に処刑されてしまう。悲劇。

ウデヘのひとも森を大切にしていた。

2013-03-23 23:36:45 | 日記
アテルイの一族は北海道に移住してアイヌ民族になるのでしょうか?

史実は勝者が後世に残すものなので、「逆賊」のアテルイ・蝦夷王国の資料は少なく、憶測の範疇を超えていませんが、アイヌが本州から、歴史の潮流にのまれ北海道の地へ移住したと考えられます

でもハバロフスクからウスリー川をさかのぼってビキン川のウデヘの人々は言っていました。アイヌのかたともその昔交流していたから。ビキン川には原住民のかたがもとから住んでいて、暮らしぶりとか服装とか、恰好がウデヘの博物館にあった写真や資料と似ている。

それに森を大切にして、森と一緒に暮らしているというセリフもいっしょだ。
川で鮭をとっているスタイルもいっしょだ。人にやさしくて旅人に親切にするとウデヘの歴史の史料に書かれていた。その昔陸続きで北海道に移り住んでアイヌとなったようなことを言っていた。史料が無いけれど。


阿弖流為(アテルイ)

2013-03-23 23:02:45 | 日記
阿弖流為の前篇が今終わった。平城京の時代の話。坂上田村麻呂がでてくる。
カタクリハイキングの後大船渡出身のかたがいて、その地方の事が少しわかりかけた。なんとなく外国人という感じがした。今まではそんな風に感じてなくて、同じ思想をする日本人だと思っていたけれど、なんとなくそうでもない。

大船渡と日本海の間の地理の複雑なことを感じた。
理解するに時間がかかりそうなそんな気がしていた。

また俳句の時も以前話題になって、東北までは征夷大将軍の範囲で北海道は謎めいていた。
以前白神大地と弘前等旅行したことはあるけれど、ここ北上川辺りは抜けている。
山形の最上川とや尼寺、天童市あたりまでしかいったことはない。
そういうこともあって最後まで見た。後編はどうなるのか。阿弖流為は騙されて平城京に行き処刑される。それで民族は北海道に移住する。
と言うのが後編であろうか。

三毳山とみかも山公園

2013-03-22 23:21:01 | 日記
三毳山は栃木県の東南に位置している。
カタクリの里は佐野市町屋町
カタクリの園は下都賀郡岩舟町
三毳山全体南半分がみかも山公園
北半分が万葉自然公園
東側とちぎ花センター

ハイキングは南口→三毳神社→中岳→三毳山→カタクリの里→管理センターとなる。大抵はそういうコースをとるけれど、道はたくさんある。今回は中岳のあとにかたくりの園をみた。
不思議なのはパンフレットが管理センターでは三毳山ハイキングコースが全体で載っている。でも南口公園のハイキングコースはみかも山公園ハイキングコースとしかのっているものしか置いていない。南側斜面のものだけ。
ここまで理解するのに謎解きのようでした。ホームページが別々になっていて、理解するのに困難だった。

2010年に登った時は。南口から登って、管理センターに午前中についてそこでお弁当食べたから。不思議に思わないでいた。そこでパンフレットももらっていたから。
土地勘のある人はすべてを理解しているのでしょう。すこしずつ自分で土地勘を広げていって自分のものにしていけばいいのでしょう。こんな終わり方でいいでしょうか。

山躑躅のころに尾根はどうでしょう

2013-03-22 16:54:17 | 日記
早春のカタクリは人が多い。
山躑躅の頃はどうなんでしょう?違った趣が楽しめるでしょうね。

道祖神も趣があった。
途中で見た蝶とてもかわいい。

「下山まですごい風がビュビュウふいていて、最後まで止まなかったね」
Yさんが言っていた。
そういえば尾根道のツツジの新芽みて、
「ツツジのころは良いだろうね」
と言っていた。
自然と歩くお手本がここにあった。

すみれ 早咲きの桜 躑躅の芽 道祖神 
遠くの日光連山 五本の指で削ったところに雪が積もっている男体山。雪山の日光白根山 昨年登った荒船山 筑波山 風が強いので山が見える。

三毳山コース

2013-03-22 16:29:38 | 日記
登山ルート
P・南口広場 広いです。トイレ、東屋、自販機あり。(国道50号沿い、道の駅「みかも」のそば)
↓ 約20分
鳥居までの登り。心臓の動悸がきつくなる。ここでばてたらおしまいだーと思いながら心臓に負荷がかからないように、速度を遅くする。
前に行っているし、地図も持っているから、雰囲気と土地勘はついている。最後まで大丈夫だとひそかに計算している。

鳥居を潜って階段を上る。
途中で下りの人が道を譲ってくれる。
「三毳神社までが、きついけど、あとはらくですよ」
と教えてくれる。
道端に菫の花がいくつか咲いていて、癒してくれる。登り切った車道に右に行くと早咲きの桜が2本満開だ。pinkが綺麗。

三毳神社 国道50号を見下ろせる 
↓ 約10分 途中、ハングライダーのフライト地点があり、視野が開ける。
  右側遠くに筑波さんが見える。
  中岳までは尾根で山躑躅の新芽が綺麗。
  躑躅のころもいいね。
  巨人の踏んだ岩の後を踏む、しばらくいくと右の蝋燭の岩あり。

▲中岳 210M 2等三角点 狭い。ベンチあり。
↓ 約3分
かたくり園 2か所ほど展望台あり。ヨガの時はここはcut

三毳の関跡  東屋、ベンチ、道祖神あり    

約30分 
山頂手前ちょっと急坂 ここでお弁当 南面で暖かい。風もない。
▲青竜ヶ岳 229M アンテナ塔が山頂の殆どを占めているので広くない。

カタクリの里

管理センター

カタクリの園以外は3年前のコースと同じだったが、整備した階段がいたるところにあった。高尾山も整備した階段があって、いくたびに変わってくる。  

三毳山の初蝶

2013-03-22 14:10:29 | 日記


三毳山に昨日行ってきた。229㍍
三毳神社から少し歩いていると、茶色に黒い点々の蝶がひらひらよたよたとまたセメントの地面に翅を広げたまま停まってしまった。
初蝶でまだ飛ぶ力がないのか、弱弱しくて、翅の表を乾していた。裏も乾かしていたのかな。翅は広げていたから。

「あっ蝶だー」
と喜んでいたら
「あれは蛾だよ」
という。でも蝶だと思うけどなあ。
「蝶と蛾の違いわかる?」
「翅を開いて停まるのが蛾で、閉じて止まるのが蝶だよ。」
「管がくるくるしているのが蝶で、蛾はまっすぐだと思うけれど」
二つの意見から蛾に判定がくだりそうだけれど、蝶だよなあ。

白馬に行った時、八方池に行く途中、これから雪渓の道に入るという地点にベンチがある。そこの雪渓の前の、ベンチのある休憩場所に、こういう蝶がリュックに停まってきた。
図書館に行って調べてみよう。

吉祥寺山門

2013-03-20 17:00:52 | 日記
吉祥寺は慈覚大師の開山と伝えられる天台宗の古刹です
この山門は桃山文化の流れを汲む江戸時代前期の建築。型式は薬医門。柱の上下に粽が見られる。柱上は正面が大冠木となり、背面が桁でそれに梁を架けている。組み物も複雑に配され、腕木や台輪をいれるなどして賑やかな軒下を作っている。