印度ヒマラヤは崖っぷち

非人情的、破壊的、創造的。又崇高、峻嶮。

寛永寺篤姫の墓

2011-09-30 17:48:01 | 近代史
篤姫ドラマの人気に伴い、これまで、あまり知られていなかった篤姫の生涯に興味を持つ人が増え、お墓参りに行きたいという要望が激増しているとか。

篤姫のお墓は、上野の寛永寺の奥にある徳川家の墓所内で、夫の家定のお墓と並んでいます。

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今日史跡散策で、西日暮里~谷根千地区をあるいた。
谷中霊園のなかに、徳川慶喜の墓があるのは、前にいったことがあって、その時は運よく慶喜さんのお孫さん、といっても、40歳くらいの男性で気さくな人で、お墓のある敷地の中に、入れて下さいました。ぐるっと回れば、鉄柵ごしに見えるようになっていた。全貌が見渡せるのを今日初めて知りえた。一瞬にして、全容が鉄柵越しに見渡せる場所があるとはしらなかった。誰かが鉄柵の隙間に花束をはさんであった。もう枯れてはいたけれども。

次に寛永寺にいった。大きな静かな場所で、奈良の、東大寺の庭のようであった。そこに、篤姫の墓が非公開であることが看板絵のmapに書いてあった。みんなで記念写真をとって、40人くらいいて、すぐに出発する構えをみせてはいたけれど、足並みに乱れが生じていた。

アクセルをかけて、見に行こう。後ろからMさんがいたので、篤姫の墓をみてくる。といって、もうダッシュした。寛永寺の奥の出口付近に向こうから来た自転車の人にきく。篤姫さんのお墓はどちらですか?向こうの敷地の一番奥にありますよ。(非公開だから、見えにくいから。)でも塔の上の部分は見えますよ。

それだけ聞けばOK.ちょっと時間的に難しかな。とはいえ、そこまでいってみる。引き返してMさんが途中まで、きていた。Mさんに塔の上だけですけど。群れない、慣れない、頼らない。そういう主義でいっているから。皆さんごめんなさい。Mさんと戻りかけると、三々五々ではあるが一行は出発していた。けれども、何人かは根本中堂の写真撮っている人もいた。誰にも気づかれず、密かな篤姫さんの江戸末期の空気に触れた思いだった。でも気づかれていたね。

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