印度ヒマラヤは崖っぷち

非人情的、破壊的、創造的。又崇高、峻嶮。

石垣の上篤姫の墓の塔がみえ

2011-09-30 18:22:32 | 近代史
篤姫のお墓は結局よくわからなかった。のです。

そこでwebを探してみると似たような方がいました。
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とはいえ、ノーリサーチで来た上、案内看板もないし、広すぎてどこにあるのか見当もつかない!!
聞く人もいない!(だって誰もいない…)困った私と㌧ちゃんは、寺から霊園のほうへ引き戻り、とりあえず歩いてました。すると、ひとつの門(東京下町散歩②で載せた葵の御紋入りの青銅の門ではなく、普通の鉄の門)が開いていて、そこに2~3人の人が折りたたみ式の会議テーブルの上で仏花をまとめていました。多分、花卉業者で墓参りに来た人たちに売るのでしょう。

すかさず、「篤姫の墓はどこにありますか?」と聞くと、霊園の中のほうを指さして、「あっちにありますけど、普段は公開していませんよ。」とはいえ、諦めきれない!ここですごすごと引き換えすのは勿体無い!と、せめて外観だけでも見れないだろうかと霊園の中に入ってみました。

視界の彼方まで一般の墓が建ち並ぶ広大な敷地の中に、四方石垣に囲まれたところが2ヶ所あります。

寛永寺には、4代・家綱と5代・綱吉の、2つの霊廟があり、8代・吉宗、10代・家治、11代・家斉、13代・家定は、2つのいずれかに合祀されています。ということは、ハハァ、あの2つの石垣は霊廟で、どちらかに家定&篤姫のお墓があるのね!!!石垣へ向かいます。
---↑by googleーーー

もうなんとなく、これで満足することにしました。後は和宮さまのお墓は、たいていの徳川家のお墓は増上寺ですね。きっとそこにあるのでしょう。

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