印度ヒマラヤは崖っぷち

非人情的、破壊的、創造的。又崇高、峻嶮。

タコ釣り

2012-11-13 23:48:38 | 日記
その83歳の人の家の冷蔵庫にタコが沢山塩でもんで冷凍しているという。
タコ釣りの話を披露してくれた。16匹もつれたのだって。タコ釣りの道具にはいろいろ紹介しているけれど、その方は独特。

そういえば先日ゲートブリッジに行った時も、岸壁で釣りをしていたひとがいたけど、タコ釣りかな?岸壁に縦釣りというのもあるそうだから。

でそのかたの釣り方。板というかそれを幅が狭い棒というか、、そのくらいの板に重りをつけて、釣糸に着ける。岩の上にたらす。たこは甲殻類が好みだから、砂の上でなく岩の上にたらす。糸は当然あっちこっちに引っかかる。小まめに動かして、引っかからないようにする。板も底についたら、生きているように、カニのように上下させて動かす。たこがくっつくと離れないから、静かに上げてもいい。板は横にひもなどタコのようなひらひらはつけない。タコはくっついて、引っ張ってはなれていくから。

その人だけのほうほうでしょう。秋ナスの芽摘みといい、大根のたねまきといい、いつも独自の研究をしている。頑固なひとだけれど、カラオケは卒業したと言っていた。それもよくわかる。

峠の茶屋の契約とは

2012-11-13 23:18:43 | 日記
今日の俳句勉強会がおわって雑談時間がもうけられることになった。先月もそうだったのですが、句会が伸びて雑談の時間は取れなかった。たった5人だけれど、人生をかけて集まってきている。いい加減ではない。ちやほやされるものがない。未来までは保証されているわけではない。

83歳の人は今日がグランドゴルフ大会だといっていた。Oさんはいっているという。競馬場でいつも練習をしていて、グランドゴルフを終わって、午後からここにきている。忙しい人だ。しかし今日は大会はここがあるからと出ないと初めからエントリーしなかったそうだ。それほど此処を大事にしているのでしょうか。侮れないなと、思ってしまっている。

もう一人の方は鴻巣からきているけれど、俳句の本もそこの図書館にはすくなくて、といっていた。今日聞いたけれど、田舎だからと、少しでも東京に近い方にいきたいのだといっていた。それでこの浦和にくるのを楽しみに来ている。ここでたっぷりエネルギーを持って帰られる。土曜日は仕事の都合でやすむけれど、欠席投句は必ずされる。だから第2火曜日は楽しみにされている。こちらも侮れない、と思ってしまっている。

だからパソコンの日とだぶったらこっちにくることにしている。こちらは無料で、パソコンは有料だけれど、見えない契約のようなものだ。PHPに書いていた峠の茶屋のおばあさんと同じだ。誰かくるからといつも店を開けいる。それがおばあさんのお客さんにたいする契約となっている。

満州時代に生きた人々

2012-11-13 22:11:00 | 日記
昨日NHKのFamily History にフィギュアスケートの小塚崇彦さんの祖父のことが繙かれていた。満州・ピストルと失恋というタイトルがついていた。

祖父の名前は光彦さん。仕事で満州新京(今は長春)にわたって、児玉公園で冬場そこが凍るので、そこでスケートを始める。児玉公園は児玉源太郎さんからつけられたという。今は勝利公園となっている。友人からフィギュアスケートの基本を学ぶ。コンパルソリーという基本がすべての基本となっている。S13年開催予定のオリンピックを夢に練習をする。しかしS13年の札幌オリンピックは中止となる。そのとき21歳。そして日本に戻って、戦後の31歳から酒屋をしながら、名古屋でフィギュアスケートを確立していく。compulsoryは1990に競技から廃止になっている。webに伊藤みどりさんのcompulsoryの動画がみられる。

光彦さんの友人は南方に戦争に行って戦死してしまった。友人との約束で子、子孫までオリンピックに参加の夢をもつこと。そしてS16太平洋戦争が始まる。

今日のNHKTV 歌謡コンサートは古賀征男メロディーの特集だった。S5年の歌。S13年の歌。人生の並木道(なくな妹よ、妹よなくなー)S16の歌もあった。

この時代の歌を通じてその背景のじだいが薄くにじんでくる。
小塚光彦さんの満州での生活は現在に繋がっている。
此処にも日露戦争から満州時代の知らない話が詰まっている。それが、小塚光彦さんと古賀征男さんという方を通してですが、少しは、見えてきた。そういえば長春で生まれた友人がいる。帰還するとき、北朝鮮まで生き延びてそこから漁船を用意してもらって、家族で帰還したと言っていた。10歳くらいの話。そして最近まで長春で仕事をしていた。