印度ヒマラヤは崖っぷち

非人情的、破壊的、創造的。又崇高、峻嶮。

満州時代に生きた人々

2012-11-13 22:11:00 | 日記
昨日NHKのFamily History にフィギュアスケートの小塚崇彦さんの祖父のことが繙かれていた。満州・ピストルと失恋というタイトルがついていた。

祖父の名前は光彦さん。仕事で満州新京(今は長春)にわたって、児玉公園で冬場そこが凍るので、そこでスケートを始める。児玉公園は児玉源太郎さんからつけられたという。今は勝利公園となっている。友人からフィギュアスケートの基本を学ぶ。コンパルソリーという基本がすべての基本となっている。S13年開催予定のオリンピックを夢に練習をする。しかしS13年の札幌オリンピックは中止となる。そのとき21歳。そして日本に戻って、戦後の31歳から酒屋をしながら、名古屋でフィギュアスケートを確立していく。compulsoryは1990に競技から廃止になっている。webに伊藤みどりさんのcompulsoryの動画がみられる。

光彦さんの友人は南方に戦争に行って戦死してしまった。友人との約束で子、子孫までオリンピックに参加の夢をもつこと。そしてS16太平洋戦争が始まる。

今日のNHKTV 歌謡コンサートは古賀征男メロディーの特集だった。S5年の歌。S13年の歌。人生の並木道(なくな妹よ、妹よなくなー)S16の歌もあった。

この時代の歌を通じてその背景のじだいが薄くにじんでくる。
小塚光彦さんの満州での生活は現在に繋がっている。
此処にも日露戦争から満州時代の知らない話が詰まっている。それが、小塚光彦さんと古賀征男さんという方を通してですが、少しは、見えてきた。そういえば長春で生まれた友人がいる。帰還するとき、北朝鮮まで生き延びてそこから漁船を用意してもらって、家族で帰還したと言っていた。10歳くらいの話。そして最近まで長春で仕事をしていた。

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