ひまわりダイアリー

病気の事、松本山雅の事、日々の徒然日記

2015 松本山雅F.C. VS 横浜F.マリノス

2015-05-28 14:52:51 | 松本山雅

シャトルバス内からマリノス選手達が泊ったホテルに停まっているバスを撮ったのだが、
タイミング悪し。






松田直樹選手が亡くなって直近のホーム戦で配られたマッチデープログラム。

山雅仲間の一人が、当時配られたものを、大切に額に入れて保存していて、
それを持参したと言うので、撮らせてもらった。

松田選手が、「J2ではなく、J1の舞台へ。」と、この日を夢見ていたその日が実現。
‘特別な日’と、この日は背番号‘3’のユニやTシャツを着たブルーユニ、グリーンユニの多い事。

いろんな思いを胸に皆がこの試合に臨んだんだね。

私たちは…と言うと、
JFL時代は「1度はアルウィンに行ってみたいな。」と思っていただけで、
山雅への強い思いはなかった。
「へ~松田選手が山雅に入ったんだ!」
そのくらいの意識しかなかった。
だから、この日を特別な日と言う認識はそれほどなく、
むしろ、マリノスと山雅がアルウィンで、同じカテゴリーで対戦する事への興奮の方が強かった。







わりと早い抽選番号を引けたので、お気に入りのこの場所に座れた♪


ながぎんデー。






横浜てんこ盛り~~!!!







ペンライトじゃなくて、スマホで照らしてるんだって!!!


只々、アウェイゴール裏に釘づけ!!


ハーフタイムに撮ったんだけど「?」な写真だよね(笑)

中央辺りに仕舞いかけている白い横断幕があるんだけど。
『J1昇格おめでとう この舞台で共に』って、
ブルーとグリーンの文字で掲げられた。

私は嬉しくて思わず「ありがと~!!」と叫びながら手を振ってて、
慌ててシャッターを切った時には断幕が下されるところだった(汗)


試合は0対3の完敗でございます。。

個のレベルの違いをまざまざと見せられた試合だったよ。
サポーターも、私達より声が出ていて、全てにおいて
「これぞJ1!!」と思い知らされた。

勝利が決まったマリノスサポは松田選手のチャントを歌っていた。
その後歓喜に満ち溢れていて、パラソルやフラッグなどが掲げられ、
その盛り上がりの凄さに、思わず見入ってしまった。

試合につては悔しさはそれほど感じなかったが(あまりの見事な完敗さに…)
最後の盛り上がるサポーターの姿を観た時は悔しさが込み上げてきて、
そそくさとスタジアムを後にした。

第2ステージでは、成長して思いっきり山雅らしい試合が
マリノスと繰り広げられるであろう事に期待!!


ふるさとグルメ博

2015-05-28 13:59:32 | お楽しみ
先週の金曜日、義母を実家へ送って来てから、
松本城でこの日から3日間行われていた『ふるさとグルメ博』
(北陸新幹線延伸を記念し、信州と北陸の美味しい料理やクラフトビール、日本酒、
ワインが大集合するイベント。(食は15ブース・酒類は計100種類以上!!))へ出掛けた。















あれもこれも目いっぱい楽しむ…と言うより、
無事義母を病院へ連れて行き、異常なしのお墨付きをもらえた
「お疲れ様会」のような感じで、
飲みたいものを数杯まったり楽しみ、
それに合ったおつまみを幾つか注文した。

平日の5時前だったので、お客さんはまだまばら。
そんな事から日本酒ブースにいた私達が目に付いたのか、
地元紙のカメラマンに「笑顔で乾杯しているところを撮りたいので、
何か話をしながら乾杯してくださ~い。」と。

パシャパシャパシャとシャッター音を聞きながらモデル気取り。

ほろ酔いだった事もあり、何だかとっても良い気分だったよ♪



義母 外来日

2015-05-26 11:24:01 | 義母のこと

5月21日~22日(木~金)

起き抜けに長野の実家へ。

義母、すっかり元気な様子。
入院前のもっともっと以前のしっかりした義母に戻っていてびっくり!
随分前から脱腸の関係で体調が思わしくなかったんだろうな~と感じた。

そう言えば、入院前からかなり浮腫んでいた足がスッキリ元に戻っていた。
足の浮腫みも脱腸の影響だったんだ~と‥。

家の中を簡単に片づけてから義母の支度を整え、松本へ3人で向かった。
退院時以来の松本へのお泊り。

入浴後、身体を拭いたり、着替えなど、
退院直後のイメージがまだあって、つい手を出しそうになるが、
そんな事は全く必要なし!
そう、もう病人じゃないし、1人暮らしもできているんだものね。
あんまり普通に何でもやれる事にこちらが慣れなくて、(当時のままの感覚)
義母が別人に見えたよ(失礼な)

次の日も起き抜けに自宅を出発。
この日は最初で最後の外来日(…と、願うばかり)
11時の予約だったが、30分程早めに着き、
当分待たないとだなと思っていたら、11時前には診て貰えた。

主治医、義母を見て直ぐに、「誰?」と気が付かない様子。
「元気になったね~!!太ったね~!!!」を連発していた。

確かに救急車で運ばれた時の義母の顔色は土色で、頬がこけるほどゲッソリしていたからな~。

手術痕は異常なし♪

唯、メッシュで蓋をした方から腸が出る事はなくなったが、
出る場所を失った腸が反対側から出てしまう場合があるらしい。
反対側の腹部に異常を感じたら、今回のようにとことん我慢しないで、
早めに外来して下さいとの事だった。
そんな事がないように祈るばかりだが、こればっかりは…。
とりあえず何事もなく、しばらくは病院とも縁が切れて生活できるのは有難い。

義母のこと  2日分

2015-05-20 13:17:57 | 義母のこと

5月4日(月)

起き抜けに義母のところへ行った。

前日まで1泊で義姉が義母の様子を見に来てくれていて、
その時山ほどの洗濯やら部屋の片付けやらしてくれてあって有難かった。

笑うと傷が引きつれ、痛みが出るとかで、ほとんど笑顔を見せなかったが、
この日はたくさんの笑顔を久し振りに見れた。
随分しっかりしていて、びっくりもした。
順調な回復振りが伺えた。

しばらくは同居しなくても大丈夫そうと思った。


5月9日(土)

お見舞いのお返しを持って、義姉邸へ。


義姉お手製のお菓子を頂きながら、義母のこれからの事を話した。

しばらくはひと月に1度、松本に1泊で連れて来ようと考えている旨を伝えた。

介護認定を受けて、デイサービスを受けられるようにしてみたら…との話もでた。
入浴したり、人とおしゃべりして気分転換にもなるしと…。

私たちなどが同居していれば、その方が助かるし、義母のためにも良いと思う。
出掛ける時には支度も私が整えられるし。
しかし、義母はかなりのマイペース。
時間に縛られるのが苦手。
そしてかなりの面倒くさがり屋。

出掛けてしまえば良いのだけれど、支度するまでがなかなか気分が乗らない事が多くて、
私などがいれば促したり、一緒に支度を手伝ったり出来るだろうけど、
1人だと、決められた日時にきちんと自分一人で支度してまでデイサービスを受けるとは
とうてい思えない。
逆に義母にとって気分転換どころかストレスを溜めてしまう気がする。

こちらが良かれと思っていても、本人には精神的にとても負担が掛ると言う事もある。
それは避けたい。

義母の気持ちに寄り添いつつ、お互い負担なく…な最善の方法…
難しいね。


義母 松本へ来て10日目

2015-05-19 14:28:19 | 義母のこと

4月29日(水)

起き抜けに、3人で長野の実家へ出発。

朝食は梓川SAにて。

実家へ着くなり、義母は大股の急ぎ足でどこへ行くと思えばトイレへ。
私たちが荷物を降ろしたり、バタバタしている最中、
いつの間にかトイレから戻り、部屋に入って来たと思ったら、
座り込むことなく、何かを抱えて縁側へ。

何を抱えていたんだろうと様子を見ていたら、
今夜義母が使う枕を日の当たるところに干していた。

いやいやこれにはたまげたよ!!!

松本では何をするにもモソモソしたり、甘えたりしていたのに、
帰ってきた途端、体調の良い時の義母に行き成りスイッチが入ったらしい。

この様子を見て、とどめを刺された感じだったな~
やっぱり住み慣れたここで過ごす事が義母には一番なんだとね。
嬉しさが身体中から出てたもの!

唯・・・、
昔からの古い家…通称ボロ屋。

2週間足らず家を空けただけで、ガタ加減が加速したらしい。
普段使わない部屋の電気が付かなくなってる。
入院したばかりの時はまだ付いたのに。

漏電が怖いので、付かないように切っては来たが…。
他にもあちこち心配どころが出始めていた。

古い家は住まなくなれば、一気に駄目になるんだな~
まさか義母よりも先に家の方が駄目になり始めるとは…トホホ

この先の事をまたいろいろ考えないと…。